第23話 道具箱
クロム・ウェインドは一足先に王城に入ったレイアーヌを追って、階段を上っていた。
「ちょ、アデリナさん速いですって!」
「うっさい! 目を離したら何すっか分かんないでしょ! アンタもさっさとついてきなさい!」
アデリナの鋭い叱咤をを受け、クロムはひいひい言いながら階段を上って王城に滑り込む。
鎧を纏っているので大変である。戦闘時なら気にならないが、一人で走る少女を追うとなるといつもながら疲れる。
王城に入り、警備の兵士や道を往く文官に生暖かい顔をされ――レイアーヌを追う為いつも走り回っているからだろう――クロムらは途中でとある人物と出くわす。
「あ、団長!」
「クロムか、また彼女を追いかけているのだな?」
出会ったのはマーレスダ王国騎士団長、バガテル・ランズベンドだ。
「げっ……く、クロム、アタイは先にレイアーヌ様を追うから!」
アデリナはバガテルと出会った瞬間、嫌そうな声を上げる。すぐさま走り出したアデリナは失礼します、団長と叫んで遠目に見えるレイアーヌを追った。
「……アデリナは私が嫌いなのか?」
そんな先輩騎士の様子を見て、僅かに困惑した様子のバガテル。そんな騎士団長に、クロムは乾いた笑いを返す。
「あはは……あー、訓練がキツいから、とかじゃないですかね?」
「……そうか?」
「わ、分からないですけど……」
口ではそういったが、多分合っているだろう。この騎士団長の扱きは恐ろしい。アデリナがいつも愚痴ってくるので、良く知ってる。数年経てば、自分もそうなると考えると奇妙な気持ちである。
今はまだ見習いなので、団長の訓練には参加しなくて済んでいるが……。
騎士として、戦うモノとして、魔槍リヴァイアサンの使い手として伝説的存在であるバガテルは尊敬している。が、それとこれとは別だ。
この英雄は、少し他者への遠慮が欠けている。
正確には、部下の騎士への配慮、訓練のキツさと言う点で。
「……簡単なモノにしているハズなのだがな」
不思議そうな顔をして首を捻るバガテルに思わず苦笑するクロム。
そんな彼を見て、バガテルもまた僅かに笑う。
しかしふと笑みを消すと、真面目な表情になる。真剣な顔だ。
「……クロムよ」
「はい、何でしょうか?」
「お前は、幼馴染であるレイアーヌ様を大事に思っているか?」
唐突な問い。冗談か揶揄っているかのどっちかだと思ったが、騎士団長の表情は剣呑なほど真剣だった。
故にこそ、クロムは逡巡し、やがて同じく真剣な顔で答える。
「はい、あの人は、とても大切です」
真剣に、自身が抱いた剣の如き思いを発するクロム。普通ならこんなこと、恥ずかしくて言えないが――だが、バガテルの表情はそれすらも超えてしまうほどの力を秘めていた。
バガテルはクロムの答えを聞くと、眼を閉じ、やがて憐憫とも罪悪感ともつかぬ奇妙な視線を投げる。
「そう、か……」
それだけいって、バガテルは口を噤む。僅かに沈黙が流れ、やがて再びバガテルは口を開く。
「……慰海祭が終わったら、お前に伝えねばならないことがある。これは、お前には重い真実だ。それでも、お前は聞かねばならない。これは、お前に科せられた運命だ」
それだけいって、バガテルはその場を去ってしまう。
やけに真剣だったが……今日、この祭りが終わったら何かあるのだろうか?
少し考えるが、思い至る事など無く、やがてクロムはレイアーヌを追おうとして――気が付いた。
「あ、見失った……」
レイアーヌとアデリナを見失ったクロムは、地道に城内を探すことになる。しかし奇妙な事に、目撃情報はあるものの、どこへ行ったかは何故か分からない。結果クロムは、彼女らが戻ってくるまで待機する羽目になったのだ。
◇◇◇
目の前にいたのは探していたヴェドと、見覚えのない美少女。
だが何故だろう、その視線は先ほど出会った彼とは違う。決定的に違う。いや、或いは――隠していた本質や真実が、浮かんでいるような気がする。
そう、もう――隠す必要はない、とでも言いたげに。
「……ヴェ、ドさん?」
彼が放った言葉の意味。
測りかねて、困惑する。
そんな少女の様子を見て、隣に立った桃色の髪をした美少女がケラケラ笑う。
「アッハッハ! あ~あ、ホント滑稽ね」
彼女は笑って、レイアーヌに近づく。
狂気的な振舞いに思わずレイアーヌは恐怖し後退る。
そんなレイアーヌの間に入って、剣を抜刀し守るのはアデリナだ。だが経験豊富な騎士であるハズのアデリナの構えは引けていて、素人であるレイアーヌから見てもお粗末なモノだった。
理由は明確だ。
「……ッ。は、離れなさい、痴れ者……ッ!」
そう言い放って威嚇するアデリナだが、声は震えていて、共鳴する様に身体にもソレが現れる。
早い話、彼女も恐れているのだ。
アデリナの様子を見て、美少女は目を細める。やがてパチンと手を叩くと、クルリと回って大袈裟な所作でヴェドの後ろに隠れる。
「やだぁ、こわ~い。こ~んな可愛いスーパー美少女、ヘルメスちゃんにそんなぶっそーなモノ、向けないでよ~」
この酸鼻な光景広がる場にて相応しくない異様な振舞い。明らかに異質な存在を前に、レイアーヌは困惑と恐怖を極めていく。
そしてそれは、護衛のアデリナも同じだったようだ。視線には当惑が、所作には恐れが浮かんでいた。
「離れろ鬱陶しい」
気怠げに言ったヴェドが、ヘルメスなる美少女を蹴飛ばすように遠ざける。ヘルメスは「何よ」とだけ言って不満げに振舞うが、彼らの間には疑念や困惑はなく、明らかに知己である事が窺える。
ヘルメスから視線を逸らしたヴェドは、腕を組んでレイアーヌ達を見下ろす。
「……劇が始まる前に真実を知ってしまうのは中々な役回りだな。まあいいさ、知りたいか? マーレスダ王国の地下に、何故こんな異質な場があるのか。その他諸々の事実――もう一度聞こう、知りたいか?」
ヴェドはまるで圧倒的上位者の如く、或いはネタバラシをする劇作家のように、当惑するレイアーヌらに語る。
言葉の真意をつかみかね、だが所々の意を汲み取り、どうにか理解する。異常な光景で凍り付いていた思考が、ようやくまともに回り始めた故だった。
「………し、知りたいです。当たり前です! 知りたいに決まってるじゃないですかッ! どうして、どうして私達の国が、こんなことをしていたのかッ!」
まともに回り始めた思考から導き出された答え。それを発した瞬間、ヴェドは僅かに眉を動かし、対照的にアデリナは目を見開いて驚愕する。
「レイアーヌ、様! どうして、我らが王国がこんなことをしたとッ!?」
「だって、城にあった魔法陣から入れるんだもの……それに、このフラスコの文様……」
そういってレイアーヌが指したのは、マネキンのような少女が浮かぶ大きな培養槽。その基盤らしき場所には、マーレスダ王国を象徴する国旗の意匠――翼と波、竪琴のマークが施されていた。
紛れもなく、この怪しげな場所がマーレスダ王国の領域であると証明していた。
「そん、なっ……」
レイアーヌに教えられ、絶望を以って表情を彩るアデリナ。
そんな彼女らの様子を見て、ヴェドは溜息をついた。
「もっと知りたければ、この辺りにある資料でも読むといい。後は、この奥の扉――」
そういってヴェドが指したのは、部屋の奥にある重厚で不吉な両開きの扉。
「お前という存在が、何なのか。実によく理解できるだろう」
そう言い残したヴェドらは、部屋の入り口にある魔法陣へ向かう。この場を去るつもりなのだろう。
「待って! あ、貴方達は一体――」
魔法陣の転移が発動し、光に呑まれているヴェド達に向かってレイアーヌは問う。
ヴェドは転移する直前、初めて表情を変えた。僅かに微笑んだ顔、不吉を予感させる悪魔のような笑み。
――すぐに分かるさ。
口の中でそう呟いた彼は、転移によって消失した。
「…………」
伸ばした手の先、既にいない彼らを求めるように、レイアーヌは暫く虚空を掴もうとして――やがて力なく腕を下す。
沈黙が領域を支配し、やがて静かに緊張が緩まっていく。レイアーヌは感じていたのだ、死ぬかもしれないという恐怖を。
得体の知れない二人、悪夢のような光景。
見知らぬ珍しい狼の旅人に抱いていた好奇は消え失せ、恐怖と共に僅かに残った使命感のみが彼女の縁となっていた。
この国の歌姫として、何が起こっているのか知る義務がある。
まだ幼い少女は、拙い正義感をかき集めて立ち上がる。――同時に、アデリナが携えていた剣が彼女の手より落ち、カランと虚しい音を響かせた。
レイアーヌがアデリナに目を向けると、目を見開いて震え、荒い息を吐きだしていた。
「……っ。ハァァァ……ハァ……」
彼女は何度か大きく深呼吸して落ち着くと、剣を拾って強く握りしめ、ボソリと呟く。
「……こ、殺されていた、確実に……ッ! 戦いにすら、ならないっ……。っつ! クソ……アタイじゃ、絶対に、届かない……何も出来ずに、終わっていたッ……! アイツらの、気分次第で」
泣き出しそうなほど震えていたアデリナの独白。それを聞いてレイアーヌは愕然とする。
(クロムが敵わないって言っていたアデリナさんでさえ、どうしようも出来ないほど……あの人達は、強かったってコト? なら、下手したら騎士団長サマより――)
浮かんだ不穏な考えをすぐに消し、蹲るアデリナの背中を優しく撫でる。
「だい、じょうぶよ。アデリナがいなくて、ひとりだったら私、怖くてきっと……だから、大丈夫よ」
震える声で、情けなくなるほど月並みな慰めを口にする。自分の事すらままならない状況で、実に説得力の無い言葉だとは思うが、実際アデリナがいなかったら不安で押しつぶされていただろう。
傍に誰かがいる、それも信用できる人がいる。それがどれだけ恵まれているかを、強く感じたのだ。
「レイアーヌ様……申し訳ございません。そして、ありがとうございます。アタ――私は、もう大丈夫です」
ぎこちなくだが微笑んだアデリナを見て、レイアーヌもつられて笑う。
そうして落ち着いてから、先の言葉が過る。
『――この扉の奥……お前という存在が、何なのか。実によく理解できるだろう』
脳内で反芻するヴェドの言葉。つられるように、或いは惹かれるように、レイアーヌは奥の扉を見る。
「………」
レイアーヌはゆっくりと、奥の扉へ進む。
「れ、レイアーヌ様?」
「知らないといけない……そんな気がするの。だから見てみようと思う、あの先を」
「……お、お止めください。こんな危険な場所、レイアーヌ様がおわす事すら相応しくないと考えます。ここは引き上げ、報告して他の者に――」
「忘れたの? ここはマーレスダ王国の施設なのよ。魔法で隠すなんて、やっぱり後ろ暗い事をしてるんだわ。報告しても、調査してくれるなんて思えない……」
「し、しかし……」
国を忠を尽くすと誓い、騎士となったアデリナとしては認めたくないのだろう。
いや、自分だってそうだ。
マーレスダ王国に生まれ、育ち、国の為に歌う。
歌姫という才能があったからか、他の人達よりもいい暮らしをさせて貰っている。
王城の皆は優しいし、そう、とてもこんな事をしていたり、容認しているとは思えない。
しかし……この場にあるモノが、それを否定する。
だからこそ、真実を知らねばならない。
国を守るため、レイアーヌは歌う。
なればこそ、深淵を暴く義務があるのだ。
「私はいくわ、アデリナ」
「……一部の者が暴走してこんなことをした可能性だってあります。或いは、先ほどの者達による偽装かもしれません」
「前者は有り得るかもしれないけど、後者は難しいでしょ? こんな大掛かりな嘘を吐けるとは思えないもの」
「……そう、ですね」
「アデリナ、付き合わせてごめんなさい。でも、お願い、一緒に来てくれない?」
「……」
「散々偉そうな事を言っておいて酷いけど、私、怖いの」
「……!!」
「この先に進んだら、私という人間が、覆ってしまうような気さえして。我が儘言ってるのは分かってるけど、お願いできない、かしら……」
レイアーヌの言葉は震えていたが、確かに熱が籠っていた。
じっと聞いていたアデリナが立ち上がり、レイアーヌの下で跪く。
「申し訳ございません、騎士として、レイアーヌ様の護衛の本分すら忘れてしまっていました。御身が何処かへ行かれるというのであれば、随行し守るのが私の役目です」
真摯な言葉で、アデリナはレイアーヌに答えてくれた。昔からクロムと共に守ってくれているアデリナ。一緒にいてくれると考えれば、未知の場所に踏み入れるのも怖くない。
「……ありがとう」
心の底からの感謝。いつもは色々と口うるさく、鬱陶しいと思う事もあるが、彼女の存在がどれほど恵まれているかを理解したのだ。
そうして覚悟を決め、レイアーヌ達は奥の扉を目指す。
「……この奥に、いったい何があるんだろう」
レイアーヌは重厚な扉に触れる。ひんやりとしていて、吸い付くようにも感じる。
「……」
傍ではアデリナが腰の剣に触れじっとレイアーヌを見守る。守られていることを思い出し、レイアーヌは一つ息を吐いて扉を開く。
――そうして、レイアーヌは見てしまった。
「こ、これはっ……!?」
立ちすくむレイアーヌの横で、アデリナがこの部屋を初めて見た時よりも驚愕した声を上げる。
だが今のレイアーヌにアデリナへ意識を配る事は出来なかった。
「あ、ああ……」
恐怖から、意味の無い呻き声を上げてしまう。
自然と涙が浮かんできたのは、その光景を見てしまったが故。
「……なん、なのよ。何なのよこれは! なんなのよッッッ!!!」
遂に浮かんだ意味のある言の葉は、絶叫となって迸った。
現状への問い、或いは切望。
レイアーヌはかつてないほど、答えを欲していた。
無理もない。
彼女らが見たのは、
――左右に並んだ培養槽に浮かぶ、レイアーヌ達だった。
思考が白くなる。
凍り付いていた脳みそは、現実を受け入れるのを拒んでいる。
だが、生物としての基本原理は、ショックから肉体を復調させる――無慈悲にも。
そうして思考速度が元に戻ると、やはりもう一度見なければならない。
受け入れがたい現実を。
残酷という言葉で片づけるには余りにも、涜神的光景を。
何が起こっているのかは、無学なレイアーヌにも理解できた。
人を、人ならざる方法で生み出す。
母なる子宮より生まれることなく、学と魔による牙城より捻り出されるという恐怖。
レイアーヌは、ただ恐怖していた。
「うっ……」
部屋を初めて見た時とは比べ物にならないほどの吐き気を催したレイアーヌ。
口を押えて蹲る。どうにか我慢しようとするが、視界の端で無表情で浮かぶ自分の姿を捉えた瞬間、
「うげえええぇぇえ!!」
胃の中のモノをぶちまけてしまう。饐えた匂いが不気味な部屋に広がり、レイアーヌが苦痛と恐怖に歪む姿が吐瀉物に映り込む。
薄暗い部屋の明かりに照らし出られるその姿は、とても不気味で、無表情で眠る少女達とは対照的だった。
「ハァ、ハァ、ゲホッ……」
荒い息を吐きだして、どうにか自分を落ち着かせる。
そうして顔を上げ、再び粗末な悪夢めいた光景が目に入る。
「……っつ」
吐き出してどうにかしたハズの気持ち悪さがまたこみ上げてくる。
それをなけなしの意志を以って堪えると、アデリナが背中をさすっていてくれた事に気が付く。だがその手は震えていて、視線を彼女に向ければ当惑や疑念が満ちていた。
「……」
レイアーヌは立ち上がって、静かに歩き始める。アデリナが何か言いたげな顔をしたが、結局黙ってついてくる。
カツン、カツンとくぐもった足音が響く。ゆっくりと不気味な研究室を歩いて、レイアーヌは左右の培養槽を眺める。
青白く輝く水の中に浮かぶのは、自分と瓜二つの少女。裸で、まるで解き放たれるのを待っているような雰囲気を感じる。
レイアーヌは、培養槽の一つに近づく。ガラス越しに自分と同じ姿をした少女に触れる。
「………彼女達は、一体何なのかしら」
「……私には、何とも」
アデリナと言葉を交わしながらフラスコを眺めていると、ガラスに貼ってあるラベルに気が付いた。ラベルには何かが書いてある。
――第四世代、今期運用分。
その言葉が何を意味するのか、レイアーヌは分からなかった。
だが、何となく、それが自分にとって良くない事というのは直感の領域にて理解できた。
「……」
レイアーヌは更に奥へ進む。その部屋は意外と広く、長い廊下のようになっている。左右にはレイアーヌと同じ少女が並んでいる。だが、何かで区切ったように、途中からレイアーヌに似た少女が消え、青い水だけしか入っていないフラスコが並び始める。
「……」
近づいて見てみると、先ほどの意味の分からないラベルと共に、何かが貼ってあった。
――使用済み。
他の空のフラスコにも同じく『使用済み』とのみ書かれたラベルが貼ってある。
暫く空のフラスコを見ていると、一つだけ異なるラベルが貼ってあるモノがあった。
――稼働中 552年・5月2日~553年・5月2日(予定)
ラベルを良く見て、そして思い至る。
「これ……去年の慰海祭の日付と、今日……」
レイアーヌが呟いた言葉に反応して、アデリナもラベルを覗き込んで頷く。
「そうですね、でもこれにどんな意味が」
「……」
レイアーヌの脳裏で奔る、嫌な予感。
僅かに感じ続けていた、外れていてほしい予想。
自分と同じ姿をした少女達、空のフラスコ、そして稼働中という言葉に日付。
まだ確信は持てない。
だが――この考えが、禁忌にも似た深淵を暴いているような気がしてならない。
「…………」
もしも、もしも自分が思った通りの真実なら。
自分は、どうすればよいのだろう。
自分は、何者なのだろう。
自分は――一体、何だったのだろう。
答えは出ない。代わりにレイアーヌは、更に奥へ進むことにした。
一番奥、突き当たりにたどり着いたレイアーヌ。一番奥には一際大きなフラスコに青い液体が満たされていて、中には奇妙な姿をした美女がいた。
翼が生えていて、身体のあちこちから羽飾りのようなモノがついている。――いや、生えているのだろうか。
「これは――」
そう呟いたのはレイアーヌではなく、アデリナだ。
「分かるの? この、ええと、彼女が何なのか」
「……ちょっと、自信ないですが。多分、守り神セイレーンです」
「守り神って、私みたいな歌姫に力を与えて、国の始まりを支えたっていう……」
「そうです、騎士となる際に勉強しました。このような姿をしていると、学んだような気がします」
「そうなんだ……でも、なら何でここに、セイレーンが……」
やはりと言うべきか、レイアーヌの疑問に対しての答えは持ち合わせていないようだ。アデリナは力なく首を振る。
そんなアデリナに気にしないでと言ってから、改めて周囲を見渡す。不気味な実験室というような風景で、人道的とも言い難い。
ふと、セイレーンが入っているフラスコから管が出ているのに気が付く。管を辿ってみると、どうやら隣の部屋に続いているようだ。
「こんなところにまた扉……」
薄暗いせいで気づかなかった。
ここにこれ以上いても情報を得られないだろうと見切りをつけ、レイアーヌはその扉に手を掛けた。
開くと、そこは更に暗い部屋だった。どうにか目が慣れてくると、そこもやはり実験室のようだ。
「……何これ」
その部屋にあるのは書類と、奇妙な薬品の数々。そして、またしてもレイアーヌそっくりの少女。今度はフラスコに閉じ込められていない。全裸のまま、施術台のような所に寝かせられている。
少女に近づいて、気づいた。
「ッ!? し、死んでる……?」
レイアーヌの小さな悲鳴に、アデリナも目を見開く。
寝ている少女の肌は青白く、血の気を感じない。腐臭こそ感じないものの、肌には艶が無く乾燥しているように感じる。
もう少し近くで検分してみると、より深く理解できた。
「これは……なんと惨い」
アデリナがそう呟くのも無理は無かった。レイアーヌもそう思った。自分と瓜二つの姿をしているなら、猶更だ。
まず、喉が異様に盛り上がっている。男性の喉仏という次元ではなく、何かが飛び出そうとしているような様相だ。
後は口の両端から吐血したように血の跡がついている。瞳には力が無く、また血の涙を流したような跡があった。
それと、首の後ろに突き刺さった管。恐らくはセイレーンのフラスコより伸びていたモノだろうか。
一体、何をしようとしているのか。
分からない。レイアーヌは首を力なく振った。調べると決意してからずっとこの調子だ。情けなくなる。
「ここには資料が沢山あるみたい。少しだけ調べてみましょう」
レイアーヌとアデリナは部屋を調べることにした。
レイアーヌは書類を漁る。片っ端から読み込んでいくが、殆どが専門用語の羅列だったりして理解できない。
暫く書類を探していると、アデリナが何かを持ってきた。
「これ、慰海の歌を行う際に渡されるモノでは?」
アデリナが持ってきたのは、血の跡が付いたペンダントだ。ぶら下がっているのは、マーレスダ王国の象徴である文様を表した飾りだ。
「そうね……確かに、そうだわ」
アデリナ曰く、何故かこのペンダントが沢山あるようだ。血の跡があるモノや、新品と思われるモノまで。
どうしてだろう……考え込んでいると、アデリナがふと一つの書類を取る。
「これ、何か気になる事が書いてありますね」
「え、本当? 見せてほしい……」
アデリナが手に取った書類を、彼女と共に覗き込む。
――この技術の確立にはいくつもの試作を経た。セイレーンが備える呪歌を人間が振るう、というコンセプトの下、かの錬金術師パラケルススが遺した技術を以ってホムンクルスと魔族の融合を行った。
――魔性の要素を多分に含む魔族だが、純粋な魔物よりも知恵持つ故に、人との親和性にも期待が持てる。
――さらに、パラケルススの技術によって錬成するホムンクルスを、予め魔へと傾倒させ組成を形作る事によって、成功率を高める。
――但し、所詮はホムンクルスなので、人間という領域を超えることは無い。終ぞ錬金術師が行った魔人兵ほどの存在は錬成できなかった。
――故に、困難を極めた。第一世代は酷く、セイレーンと人間をミキサーしたような惨状だった。容姿も酷く、到底歌姫として
――第二世代は予め制御機構を備えて錬成、結果暴走することは無く運用出来たが、容姿は人間とは言い難く、故に姿を隠匿した。
――第三世代、容貌は人間と変わらないが、精神性が不安定なのは変わらない。故に制御は必須だ。
――第四世代、容貌、精神性、人間と一切変わらない。呪歌の運用も問題無く可能。但し、耐久性に難があり、一度呪歌を行使すれば確実に死亡する。セイレーンと人間の差異によって引き起こされると考えられる。
――故に替える必要がある。だが歌姫が一年に一度交代するというのはいらぬ風評を招きかねない。記憶継承の技法を併用し、死亡の記憶のみ抹消して同一個体に活動を引き継がせる。
――この方法は原初的すぎるとの報告あり。肯定するが、次の改良が終わるまでは使用せねばならない。
――何年か運用して、次の歌姫を選定するという体でそのロットを廃棄する。さすれば、欺瞞工作の点でも抜かりはない。
――廃棄したロットと、死亡した個体は兵器への転用を検討中。現在、試作品を作成した。性能は以下の通り――
そこに書かれていたのは、レイアーヌが僅かに考えてしまった可能性。
そしてそれを裏付ける、悍ましい真実。
「……そう、これが」
失望したように、レイアーヌは呟いた。恐怖は既にない。もうとっくに、そんなものは通り過ぎてしまった。
ややあって、アデリナは書かれた内容を理解する様に書類を取り落とす。視線は虚空を見据え、手は震えて、息が荒くなる。
「そん、な」
アデリナの目には涙が浮かんでいた。だがすぐに拭うと、レイアーヌの手を取る。
「レイアーヌ様っ……!」
アデリナの手は酷く震えていた。レイアーヌの顔を見据えて何かを言おうとするが、言葉を紡げず黙りこくってしまう。
「……」
レイアーヌも同じく何も言えず、手を握り締め返す。
自分は何なのだろう。
これが真実? これが――ヴェドの言っていた真実だというのか?
ならば、単なる道具ではないか。
ヒトですらない。
クロムやアデリナと紡いだ思い出も、過ごしてきた時間も。
全て、自分とよく似た誰かが、経験してきた偽り。
自分は、何物でも無い。
消費され続ける道具に過ぎない。
自己を形成する全てが、音を立てて崩壊するのを理解した。
(私は、誰? 私は、何? 私は、誰? だれ誰ダレだれダレ誰だれだれ何ナニなにナニ何なにナニなに――ワタシ、は、は、は、は、は、わ、わ、わわわわはわはははわ)
心が死んでいく。
視界が灰色に染まる。
何もかもが――終わろうとしていた刹那、
――視界の端で、何かが蠢いた。
「――え?」
変化もない部屋で起こった変化。だからこそ、壊れかけた少女でも理解できた。理解した瞬間、一時的に人格が復調する。
「――ッ!? あ、アレは」
アデリナの視線の先。
そこには、自分のなれの果てがいた。
――出来の悪い人形のように、ぎこちない動きで迫ってきている。
「…………え?」
レイアーヌが目を見開いた瞬間、後ろへ強く引っ張られる。
「レイアーヌ様ッ!!」
引っ張ったのはアデリナだ。レイアーヌを守ろうとして部屋の外へ引っ張ったのだ。
いきなりのことでレイアーヌは体制を崩す。尻餅をついた瞬間、先ほどまでいた場所にレイアーヌモドキがダイブする。
――明らかに、敵意のある行為だ。
「わたしを、わたしたちを、殺そうとしている?」
それは――正しかった。
レイアーヌモドキが顔を上げる。
眼窩は黒い。目が無いのかと思ったが、違う。眼球が黒く腐敗しているのだ。
蕩けた眼球の液体が、涙のように伝う。
レイアーヌによく似た怪物は口を開いた。
「――e3819fe38199e38191e381a6」
言葉にすらならない、意味を持つとは到底思えない絶叫めいた声。
酷く苦しんでいるようにも聞こえた。
息が荒くなる。
信じたくなかった。
これが――いずれ自分が辿る、未来だと。
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