ぼくとあの娘とボウシインコ

斑猫

フェルト細工から始まる恋 上

 中学校で同じ部活だった玉川博美が美大を出て芸術家として活動している事をぼくが知ったのは、偶然に偶然が重なった結果の事だった。

 駅前の書店で現代アートに関する雑誌を何気なく見た僕は、鮮やかに印刷されたその記事の中に、見覚えのある名前と見慣れぬが見慣れた誰かの面影を宿す女性の顔写真を見つけてしまった。そう。その記事に記されていた彼女こそが玉川博美その人であった。

 けれど、名前を確認するまでその娘があの玉川さんであるとはすぐに解らなかった。芸術家肌だった玉川さんの存在は中々に強烈だったから、中学時代の記憶の中にしっかりと残っている。けれどあの頃の彼女はびっくりするほどあどけなく、また用心深い癖に妙に野暮な雰囲気を併せ持ったような少女だったのだ。幼さゆえの未熟さが放出される、護ってあげたいと思わせるような少女だった事は事実である。しかし少なくとも僕の記憶の中にある玉川さんは色気とは無縁の存在だった。

 今一度、玉川博美と銘打たれた文字と彼女の写真を見比べる。既に二十六になっているという彼女は、化粧も写真の写り方にも慣れているといった風情で微笑んでいた。ランドセルを背負っていた頃から港町のギャラリーを眺めながら通学していましたと言っても通用するような、そんな洗練された雰囲気が写真からも十二分に伝わってくる。

 本当は、彼女はカエルやアオダイショウやゴイサギやアナグマがうろつくような田舎で生まれ育ち、そういった動物たちを尻目に通学していた身分だった。その事を仔細に知っているぼくももちろん田舎者である。玉川さんとの違いは、山奥の工場でサラリーマンとなり、田舎暮らしの気配が未だ抜けていない所であろう。


 雑誌を持つ手が震えていたのは、何も上等な紙を使ったこの雑誌が重かったからではない。ぼくは静かにページを閉じると、そのままレジに直行した。心臓は早鐘を打ち、だらしなく開いてしまった唇からは熱い吐息が漏れている。

――彼女に会いたい。最後に会った十二年間で育んだ彼女の豊饒なる芸術の世界をぼくも知りたい。芸術の方面には無学だけれど、それでも彼女の知っている事をぼくも共有したい。できれば彼女の心が欲しい。

 会計を済ませながら、ぼくの心はそのような事で満たされていた。要するに玉川さんに恋をしたのだった。



 ぼくのねぐらである安アパートには、ぼく以外に暮らしている人間は特にいない。だからまぁ、帰ってきた状態のまま床に寝ころび、だらしなく雑誌を広げるという行為も許容される……いそうろうがしびれを切らさない、数分間だけのひとときではあるけれど。


「帰って来たんやな、ミツル。ただいま」


 ネイティブな関西弁がぼくの耳元に入り込む。ややしゃがれたその声を耳にしたものは、人間のおっさんが呼びかけているのだろうときっと思うだろう。しかしこれは半分だけ正解で残りの半分はまちがっている。ぼくの根城だったアパートの一室にはいそうろうが暮らしている。彼は人間ではない。一羽のアオボウシインコだ。名前をルゥと言う。元々は伯父の飼い鳥だったのだが、わけあってぼくが彼を引き取り、面倒を見ている。


「ただいまルゥ。お行儀よくしていましたか」

「もちろんや」


 ぼくは声をかけながら籠の扉を開けてやった。アオボウシインコだが、ルゥに対してはごくごく普通にぼくは敬語を使って話す。大型のインコやオウムの類はおそろしく知能が高いという話は知っていたが、ルゥと暮らすようになっていやというほど思い知った。大型インコが人語を操るのは珍しい事ではないが、ルゥは完全にぼくの言っている事と自分の話している事を把握しているようだった。さきほどぼくはルゥがいそうろうだと言ったが、時々家のあるじはこのルゥで、ぼくがいそうろうではないかと思うときさえ度々ある。

 ルゥはぼくの事を弟分だと思っているようだが、それは正しかった。ルゥは二十七歳のぼくよりも十歳以上年上なのだから。

 開かれた扉からルゥはゆっくりと外に出る。小鳥のように手に乗ってきたり、飛び回ったりする事は無い。ただただ淡々と、インコ特有の独特な歩み方で床をとことこと歩き回るだけだ。健康診断の折にルゥは風切り羽を切られてしまい、今は飛べずにいるのだ。鳥の事を知らずにいたぼくの失態であるのだが、ルゥは羽を切られた事を責め立てたりはしなかった。


「なんや。新しい本を買ってきたんやな。珍しいやんミツル」


 ルゥはさも当然のように買ってきたばかりの雑誌に近付いてきた。ぼくは慌てて雑誌を取り上げ、胸元のルゥが届かない場所まで抱え上げた。


「かじりたいならば古新聞やかじり心地の良いチラシを用意します。この本だけは勘弁してください」

「何や、わしはかじるとも何とも言うてへんで。ただまぁ、シブチンのミツルが新しい本を買うなんて珍しいなとおもただけや」


 うわめっちゃぼくの私生活に興味あるやん……ダークグレイの舌を見せびらかすルゥを見つめながら、ぼくは苦笑いしていた。ルゥが賢い事も洞察力が高い事も知っている。だけど、こうして現実を突きつけられると何とも面はゆい気分になってしまう。


「な、女の子が写っとったみたいやけど、興味あるんやな、その娘に」

「ぼくだって男だぞ。そりゃあ、女の子にだって興味はあるさ。それにしても、おっさんみたいな事を言うじゃないか、ルゥよ」

「わしはミツルから見たらオッサンだろうな。はっ、ははははは」


 ルゥは本当にオッサンのような声を出し、ついで首を上下にウネウネさせて笑い出した。きっと彼にはこまごまとした事を話さねばならないのだろう。

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