第94話 不安。



 柊 緑は、不安だった。



 全ての授業が終わって、放課後。なずなが長い長い夢を見ていたことなんて知らない緑は、約束通り校門前でなずながやってくるのを待っていた。


「私は一体、なにがしたいんでしょう……」


 そんな小さな呟きは、誰にも届かず消える。緑はずっと、不安だった。不安でなにより、怖かった。



 自分には、なにもない。



 華やかで歩くだけで人目を惹く姉妹たちとは違い、自分には誇れるようなものがなにもない。自分だけ、華がない。


 緑はそう、思い込んでいた。


「…………」


 長女である青波は、なんでも完璧にこなす誰より優れた少女だ。橙華は青波ほどではないが器用になんでもこなすし、料理も上手で胸が大きい。紫恵美も橙華ほどではないが胸が大きいし、ゲームが得意で甘え上手だ。


 赤音は学校一の美少女なんて言われるほどの美人で、ああ見えて一途で優しい少女だ。そして黄葉は運動能力が図抜けていて、なにより……誰より早くなずなに想いを伝えた。



 自分の姉妹たちは、みな魅力的で個性的だ。



「なのにどうして、私だけ……」



 秀でたところがないのか。



 緑は真面目な性格だから、学校の成績はいい。けれど頭の良さでは青波には遠く及ばないし、成績も橙華や赤音とそこまで差がある訳ではない。……でも他に誇れるようなことなんて、なにも思い浮かばない。


 だから緑は香水をつけてみたり、髪の手入れに気をつけてみたりして、色々と努力をしてみた。……それがどういう感情に基づく行動なのか深く考えもせず、なずなに好かれる努力をし続けた。


 ……まあそれも、天底災禍が来たせいで疎かになってしまっていたのだが。



「でも……それでも、私は……」



 自分に自信が持てない。



 それが、緑の偽らざる本心だった。そんな不安をずっと抱えていたから、緑は強引になずなと約束を結んだ。魅力的な姉妹たちがいない場所で、2人きりで話がしたかった。なずなに少しでも、意識して欲しかった。


「……あ」


 そこでようやく、なずなが早足にこちらに近づいてくる姿が見える。だから緑は急いで、不安に沈んだ表情をいつもの笑みで覆い隠す。


「ごめん。待たせちゃったな、緑姉さん」


 緑の方に駆け寄ってくるなずなの瞳は、少し前からすれば考えられないほど、温かな生気に溢れている。死人のようだと揶揄されていた頃とは、比べ物にならない。


「別に、待ってなんかいませんよ」


 そんななずなの瞳を見ているだけで、緑の心臓はドキドキと音を立てる。


「ならよかった」


 なずなが、小さく笑う。その笑みはやはり、温かだ。いつもは冷たい表情をしていることが多いから、そんな笑みを向けられると胸がズキリと痛む。この笑顔の為なら、なんだってできると思ってしまう。


「でもやっぱり、私なんかじゃ……」


「うん? なにか言った? 緑姉さん」


「……いえ、なんでもありません。それより早く、行きましょう。なずなと一緒に行きたいなって思ってた、カフェがあるんです」


 緑は少し強引にそう言って、なずなの手を引いて歩き出す。


「…………」


 ……なずなそれになにも言わず、優しく手を握り返してついてきてくれる。そんななんてことのない優しさが、緑はどうしようもなく嬉しかった。


「なずなはやっぱり、優しいですね」


「なんだよ、突然」


「突然なんかじゃないです。なずなはずっと、優しいです。……ずっとずっと、前から」


 なずなの腕を、強引に抱きしめる。少しでも意識して欲しくて、胸を腕に押し当てる。すると薄らと、なずなの頬が赤くなる。


「なあ、緑姉さん」


「なんですか? なずな。……もしかして私の胸、気に入ってくれましたか?」


「いや、そうじゃなくて……。変なこと訊くけどさ、緑姉さんってなにか……悩み事とかない?」


「……え?」


 本心を見透かされたような言葉に、緑の口から間抜けな声が溢れる。


「別に、思い過ごしならそれでいいんだ。でも……ちょっと、思ったんだよ。緑姉さんはなにか、俺の知らないものを1人で抱えてるんじゃないかって」


 なずなのその言葉は、姉……蜘蛛の少女から聞かされた白い呪いと、先程の夢での白い影の言葉から導き出されたものだ。



『姉妹の中で1番、あの娘が不安定で飲み込みやすかった』



 そんな言葉が、今もなずなの胸に突き刺さっている。けれどそんな事情を知らない緑は、自分の不安を見透かされたのだと勘違いしてしまう。


「……なずなは、なんでもお見通しなんですね」


「いや、俺は──」


「大丈夫です、気を遣わなくても。……分かって、ますから」


 なずなが今日、付き合ってくれたのは……ただ心配だっただけ。自分と一緒にいたいと思って、ここに来てくれた訳じゃない。


 そんな考えが頭を過ぎる。胸が、ズキリと痛む。


「…………」


「…………」


 そしてそれから2人は、黙って歩き続ける。緑は沈鬱な表情のままなにかを考えるように遠くを見つめ、なずなはそんな緑の真意が分からず、なにも言えない。


 熱い日差しが照りつける中。2人は重い沈黙を纏ったまま歩き続け、隠れるように建てられた小さなカフェまでやってきた。


「なずな。ここのガトーショコラ、凄く美味しいらしいですよ?」


 先程の沈鬱さなんてなかったように、緑は笑う。……その笑みはどう見ても、無理な笑顔だ。


「……それは、楽しみだな」


 けれどなずなは余計なことは言わず、席に座って注文を済ませる。


「緑姉さん。俺は──」


 そしてそのまま、緑の真意を確かめようと口を開く。……けれどそれを、緑は迷いのない瞳で断ち切る。



「なずな。聞いてください」



 運ばれて来たコーヒーとガトーショコラに口をつける前に、緑は真っ直ぐになずなを見る。そしてそのまま緑は、続く言葉を口にする。


「なずな。実は私たち、ずっと昔……一緒に遊んだことがあるんです」


「……! そうなのか?」


「はい。それでその時、約束してたんです。……大人になったら、結婚しようって。……覚えて、ませんよね?」



「────」


 緑の唐突な言葉を聞いたなずなは、驚きに目を見開いたまましばらく動くことができなかった。


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