第89話 いいよね?
白い呪いというのがなんなのか、考えていた。
久しぶりに来た学校。久しぶりなのに、なにも変わることのない見慣れた場所。まだこの高校に通い始めて数ヶ月だから、特に思い入れはない。だから久しぶりに学校に来たからといって、なにか感じるわけでもなかった。
……まあそれは、俺に友達が1人もいないからかもしれないが。
とにかく、ようやく帰ってきた日常。そして、久しぶりの1人の時間だ。少し前までは1人でいることが人生の99%を占めていたのに、今では寝る時も誰かと一緒だ。
だから俺はそんな1人の時間……授業中に、白い呪いについて考えることにした。
俺の呪いは、全てが上手くいかなくなるというものだった。
産まれた直後に死んでしまった俺は、未来の幸福を代償にしてその死をなかったことにした。だから姉さんが呪いを断ち斬ってくれなければ、俺は不幸しかない人生を歩むことになっていたのだろう。
ということはつまり。白白夜の死神の呪いというのは、なにか願いを叶えた代償のことを指すのかもしれない。
「…………」
そして姉さんは、言った。呪いを受けている者は、なにか異常を起こすと。俺が不幸を振り撒いていたように、呪われているその誰かもなにかしらの異常を振りまいている。
……けれど振り返ってみても、みんなの周りは異常だらけで、なにが白い呪いの異常かなんて分からない。
「…………」
……でもなにか、とても大切なことを見落としている気がする。日々の生活に小さな違和感があるのに、それを上手く言葉にできない。
と。そこで聴き慣れたチャイムが響いて、久しぶりでも長い授業が終わって昼休みに突入する。
「さて、なに食べるかな」
そう呟き、思考を切り替え立ち上がる。今日は弁当を作ってきていないから、学食に行こうか。それともパンでも買って教室で食べるか。……そんなことを考えながら、教室を出る。すると、ピコンとスマホから着信を知らせる音が響く。
どうやら、メッセージが届いたようだ。
「……っと。橙華さんから、か」
『屋上で待ってるよー』
橙華さんから届いたメッセージには、そんな簡素な一文と可愛い熊のスタンプが押されていた。だから俺は『すぐにいきます』とメッセージを返して、屋上へと向かう。
橙華さんがどうして俺を屋上に呼び出すのかなんて、分からない。けれど別に断る理由もないので、俺は早足に屋上へと向かう。
「…………」
……だから俺は、最後まで気がつかなかった。朝からずっと向けられていた、絡みつくような視線に。
◇
「あ、なずなくん。こっちこっち!」
屋上へと続く扉を開けると、柔かに笑った橙華さんが手を振って俺を呼ぶ姿が見える。
「橙華さん。お弁当、作って来てくれてたんですね」
屋上の床に敷かれたレジャーシートには、まるで花見の時のような大きな重箱がいくつも置かれていた。
「えへへー。実は昨日の夜から、なずなくんの為に作っておいたんだ。驚いたでしょ?」
「そりゃあ、驚きましたけど……。でも朝ごはん一緒に作った時は、こんな重箱なかったですよね?」
「ふっふー。実は驚かそうと思って、隠しておいたんだー。ほら、そんなことより早く座って。ここで外の景色でも見ながら、一緒にお弁当食べよ?」
「分かりました。じゃあ、頂きます」
色々と言いたいことはあったが、とりあえず今はそう答えて橙華さんの前に座る。
「…………」
今日は日差しが強くなくて、風が気持ちいい。こんな所でお弁当を食べられるのだから、学校というのも中々悪い所ではない。
「……あれ? なずなくん、食べないの?」
「食べるのは、みんなが来てからじゃないんですか?」
橙華さんが用意してきたお弁当は、どう考えても1人で食べ切れる量じゃない。だからきっと、みんなで一緒に食べる為にこんなにいっぱい作ってきたのだろう。そう思っていたのだけれど、橙華さんは首を横に振る。
「これはぜーんぶ、なずなくんの分だよ?」
「そうなんですか?」
「うん。なずなくんに喜んでもらいたくて、頑張ったんだ! ……あ、でもちゃんとみんなの分も作って渡してあるから、それは心配しなくても大丈夫だよ?」
「…………」
橙華さんはニコリと笑う。その笑みは無邪気でとても可愛いのだけれど、なにかが……欠けているような気がした。
「そんなことより、ほら。一緒に、食べよ? あーん」
「……あーん」
橙華さんが差し出してくれた唐揚げを頬張る。……それは冷えているとは思えないほどジューシーで、とても美味しい。けれど、やはり一瞬。橙華さんの目に、冷たいなにかが見えた気がした。
「美味しい?」
慈しむように、橙華さんは俺を見る。
「凄く美味しいです。やっぱり橙華さんは、料理が上手いですね」
「そんな風に褒めてもらえるなら、頑張って作った甲斐があったよ!」
橙華さんは幸福そうにニヘラ笑って、今度は卵焼きをこちらに差し出す。
「……いや、自分で食べられますよ?」
「ダメ。せっかく2人きりのご飯なんだから、こうやって食べないともったいないでしょ?」
「そういものですか?」
「そういうものなの!」
そうやってしばらく、2人でお弁当を食べる。そんな時間はとても幸せで、なにより橙華さんの料理は頬が落ちるくらい美味しかった。
「うっぷ」
けれどいかんせん、量が多過ぎだ。だから食べ切る頃には、満腹で一歩も動けなくなっていた。
「ご、ご馳走様でした……」
そのままバタンと、レジャーシートの上に倒れ込む。眼前に広がる青い空が、目に痛い。あまりにお腹が膨れ過ぎて、意識が持っていかれそうだ。
「ふふっ、お粗末さま。全部食べてくれて、ありがとう」
橙華さんはそう言って、ゆっくりとこちらに近づいてくる。そしてそのまま、俺の頭を自分の太ももにのせる。
「……いいんですか?」
「うん。全部食べてくれたお礼に、膝枕してあげる」
「ありがとうございます。……でも、食べてすぐ寝ると太っちゃいそうですね」
「なずなくんはスッとしてるから、少しくらい太っても大丈夫だよ」
「ですかね?」
「うん。……あたしなんか、また服がキツくなってきたんだ……。ほら、制服見てみて? 胸のところ、パツンパツンでしょ?」
「…………」
そう言われて見上げると、真っ青な空に大きな影が差していた。そして橙華さんはそのたわわな影を、見せつけるようにムニムニと揉む。
「あ、なずなくん赤くなってる〜。かっわいいなぁ。……いいよ? 少しくらいなら、触っても」
「いや、ダメでしょ。ここ学校ですよ?」
「ふーん。つまりなずなくんは、学校じゃなかったら揉んでくれるんだ」
「いや、揉みませんよ。……揉んだら、大きくなるって言いますしね」
「あたしは別に、いいんだけどな。なずなくんに大きくしてもらえるなら」
冗談めかして、橙華さんは笑う。笑って優しく、俺の頭を撫でる。そしてそのままなんでもないことのように、俺の頬に……キスをした。
「────」
ドクンと心臓が跳ねる。身体に力が入る。
「ふふっ。忘れてたでしょ? あたし言ってたよね? なずなくんがあたしにキスしたくなるまで、何度も何度もキスするって」
「……そう、でしたね」
「うん。それに、デートするって約束もしてるしね」
そこでまた、冷たい唇が頬に触れる。
「……実はあたし、嫉妬してるんだ。黄葉ちゃんがなずなくんに告白したって聞いた時、凄く……嫉妬した。黄葉ちゃんが戻ってこれて、本当に嬉しかったのに。泣いちゃうくらい……嬉しかったのに。なのにその言葉を聞いた瞬間、あたしの頭……真っ白になっちゃった」
橙華さんの唇が頬に離れる。大きな胸の向こうから、橙華さんの視線が肌を刺す。
「橙華さん。俺は──」
と、そこで。俺の言葉を遮るように、授業開始5分前を知らせるチャイムが鳴る。
「……橙華さん。とりあえず今は、教室に戻りましょう。話なら放課後……は緑姉さんと約束があるから、夜にでも付き合います。だから、今は……」
そう言って俺は、立ち上がろうとする。
「動いちゃダメ」
けれど橙華さんのその一言で、身体が動かなくなる。
「とうか、さん?」
橙華さんの柔らかな太もも上で、大きな胸を見上げる。それ以外、なにもできなくなる。指先一つ、動かすことができない。
これはまさか、橙華さんの……。
「なずなくん。今からあたしと、デートしようよ」
「おれ、は……」
「ダメ。いいって言ってくれるまで、そのまま動いちゃダメ。いいって言ってくれるまで、ほっぺたはむはむし続けるから」
橙華さんの柔らかな唇が、また俺の頬に触れる。……抵抗できない今の状況では、その感触がやけに鮮明に伝わってくる。
「…………」
だから、俺は……。
「──なにやってるんですか。橙華姉さん」
そこで扉の方から、緑色の声が聴こえた。……そしてちょうど、授業開始を知らせるチャイムの音が響いてしまった。
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