第67話 遠い約束。
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小さな山に囲まれた、草木が生い茂る静かな土地。そこが彼女たちの居場所だった。その暖かさが、少女たちの全てだった。少女たちはいつからかそこにいて、誰に教わることなく責務を果たす。
あらゆる生物が己の生きる意味を知らないように、少女たちもまたなにも知らずに生きていた。
……いや、違う。少女たちには1つだけ、確かなものがあった。いつからか一緒にいる友人たち。彼女たちは、なくてはならない存在だと知っていた。
蜘蛛と、鯨と、山羊。その3柱の神々で、小さな世界を回していた。
鯨が喰らい、蜘蛛が形を与え、山羊がそれを壊す。夢を使った、世界の循環。放っておけば勝手に腐るこの世界を、彼女たちは彼女たちのやり方で回していた。
けれどある日。そんななくてはならない友人たちと、喧嘩をしてしまった。神といえども心はあり、1,000年生きても喧嘩すると心が痛んだ。
少女たちの土地に、人間がやって来た。
彼らは瞬く間に家を作り、野を耕し、家畜を飼い、村を築いた。少女たちはそんな人間をどうするか話し合い、揉めてしまった。
鯨と山羊は、彼らと仲良くなりたいと言った。彼らと関わる為にわざわざ人形を創って、友達になりたいと2人は言った。
しかし蜘蛛は、それを拒絶した。確たる理由があった訳ではない。ただ本能で、それはダメなことだと蜘蛛は思った。今まで色んな生き物が、この土地にやってきた。けれど少女たちは、それら全てと関わることをしなかった。
だって自分たちは、彼らとは違うイキモノだから。
けれど2人はその蜘蛛の言葉を無視して、人形を創り村へと降りた。だから蜘蛛も慌てて人形を創り、その背を追った。
……でも、どうしても村に降りることはできなかった。そこに降りると今まで培ってきたものが全て壊れてしまいそうで、どうしても……怖かった。
「…………」
だから少女は1人、村から離れた山中で空を見上げていた。
「妾は、なにをやっているんだ……」
自分たちと同じく、言葉を操る生き物。確かにそれは、とても興味深い。この土地から出たことがない2人がはしゃぐのも、無理はないことだ。
でも……。
「お姉ちゃん、なにやってるの?」
ふと背後から、そんな声が響いた。
「な、なんだお前は……!」
創りたての人形に慣れていなかった少女は、すぐ側まで近づいて来ていた人間の気配に、気がつくことができなかった。
「僕もね、喧嘩したんだ。だからここまで、逃げてきたんだよ」
まだ小さな少年は、少女の動揺を無視して笑う。
「……そんなこと、聞いておらん。いいから立ち去れ、小僧。妾は貴様などに構うつもりはない」
「でもお姉ちゃんもこんな所に1人でいるってことは、喧嘩したんでしょ? なら一緒に居ようよ。1人は、寂しいよ?」
「…………」
蜘蛛の少女は、なにも言えなくなる。悠久の時を生きる神が、こんな歳はもいかない子供に図星を突かれた。それは言いようがないほど愚かしく、少女は自嘲するように息を吐く。
「喧嘩はね、ダメなことだってみんな言うんだ」
「……だろうな」
「うん。でもね、僕は許してやる気はないんだ。だってみんな、僕の言うこと信じてくれないんだもん」
そこで少女はちらりと、少年を見やる。……少年は、震えていた。今の季節は、冬だ。神である少女は、この程度の寒さなんて問題ではない。
けれど彼は人間で、しかもまだ子供だ。こんな子供がこんな寒さの中1人でいるのは、さぞ辛いことの筈だ。
「もう家に帰れ、小僧。……仕方がないから、妾が送ってやる」
「……やだ。僕は間違ってないもん」
「馬鹿者。そんなこと言っている場合か。貴様……震えているではないか。寒いのだろう?」
「それを言うなら、お姉ちゃんだって一緒でしょ?」
「妾は寒くなどない。なんせ妾は──」
「でも手、震えてるよ?」
「────」
そこで少女は、ようやく気がつく。
自身の手の、震えに。
無論それは、寒さによるものではない。ずっとずっと一緒だった少女たちと仲違いした寂しさが、少女の手を震わせる。
「……妾は、大丈夫だ。…………いや、妾はもう家に帰る。だからお前も、家に帰れ。近くまで送ってやるから」
「ほんと? お姉ちゃんもう、大丈夫なの?」
「妾のことはいいのだ。いいから、行くぞ」
少女は少年を無理やり抱えて、村の近くまで降りる。するとすぐ近くに、少年を探しているであろう2人の男女の姿が見えた。
「ほら、行け」
少女は少年を下ろし、言う。
「……お姉ちゃんは、1人で大丈夫なの?」
「妾のことはいいのだ。いいから早く──」
「あ、そうだ。これあげる!」
少年は少女の言葉を遮って、ずっと握っていた小さな花を手渡す。
「綺麗でしょ? それね、100年に一度しか咲かない花なんだ。みんな嘘だって言うけど、ほんとなんだよ? それ、お姉ちゃんにあげる!」
「……いいのか?」
「うん! ボクは大人になったらまた見つけるから、それはお姉ちゃんにあげる! ……あ、そうだ! その時はお姉ちゃんも一緒に、連れて行ってあげるね! 約束だよ!」
少年はそのまま、駆け出す。
「…………」
少女の手には、どこにでもあるような小さな花が残された。……けれど少女にはその花が、宝石のように輝いて見えた。
「100年待てば、またこれが咲くのか。ここは妾たちの土地なのに、そんなことも知らなんだ……」
怒りにささくれだっていた心が、温かさに溶ける。たったこれだけのことで、少女は人を愛してしまった。
「……ふふっ。100年後が楽しみだな」
小さな花を持って、少女はその場を後にする。そしてそのまま2柱の神と合流し、2人にそのことを話してやった。100年に一度しか咲かない花と、大切な約束について。
2人もそんな少女に負けないくらい楽しい思い出を、蜘蛛の少女に話した。そして3人は、一緒になって考えた。どうやってこの愛しい者たちと、関わっていくのか。どうやったら彼らを、幸せにしてやれるのか。
胸に刺さった不安なんて見えなくなるほどその時間は楽しく、時間はあっという間に過ぎていった。
そして最後に、『今度の役目を終えたら、みんなで彼らに会いに行こう』そう約束して、少女たちはいつもの役目をこなすことにした。
鯨が喰らい、蜘蛛が形を与え、山羊が壊す。人の世界とは関係ない、神の世界の役目。少女たちはそれをさっさと終わらせて、急いで村へと向かった。
けれど……そこに村など、なかった。
役目を終えて村へと降りたのは、ちょうど約束した100年後。たったそれだけの時間で、村は滅んでいた。
「なん、で……」
沢山の血が流れた。花は、咲かない。沢山沢山、血が流れだ。花は、決して咲かない。何年待っても、あの美しい花はどこにも……。
それからまたしばらくして、人がやって来た。死んだ。また違う人がやって来た。殺された。あの少年のように優しく笑った男の子が、少し目を離した瞬間に大人になり人を殺す。
──なんだこの、悍ましいイキモノは。
少女たちはこの土地を捨て、外の世界に逃げた。外の世界になら、また花が咲くかもしれないから。
……けれど外は、もっともっと悍ましかった。人が人を殺し、神がそれを嗤う。沢山の血で地面が赤く染まり、その上で神が嗤う。
この世界は、真っ赤な地獄だ。
少女たちは、全てを諦めた。機械のように決められた役目だけをこなし、それ以外は目を瞑り眠り続ける。永遠に近い時間を、そうやって過ごした。
そしてある日、声を聞いた。
──全ての神々と人々に、祝福を。
それは呪いの言葉だった。神でも人でもない存在の、この世界に向けた宣戦布告。その声を聞いた瞬間、世界が白い夜に染まり……痛みが、入れ替わった。
神々がまるで人のように、互いを殺し合い血を流した。人々はその姿を見て、神話だなんだと言って楽しそうに笑った。
そしていつしか神は滅びて、人々は神を忘れた。けれどどうしてか、3柱の神々だけはその呪いから免れた。人を憎みながらも愛し続けていた少女たちだけは、どうしてか呪われずに済んだ。
けれど悠久を生きる少女たちも、もう限界だった。蜘蛛はもう痛みに耐えられず、悪夢を抱えて眠りについた。鯨の心は溶けて消え、大きな闇となり世界に根を張った。
そして山羊はその角を折り、大きな骸となって7つに砕かれた。
だから少女は今も、悪夢を見る。
こんな狂った世界は許せないと呪いながら。全て全てなくなればいいと、怨嗟の声を響かせて。夢を見ることしかできない神は、眠りながら憎悪する。
「うる、さい……!」
そこでようやく、赤音は自身の意志を取り戻す。
「……っ」
胸が、痛む。優しい少女の叫びが、今も耳に痛む。
「……でも、関係ない!」
人は愚かな生き物だ。神は弱い生き物だ。世界は全て、狂っている。この世は間違いだらけで、流れる血と痛みだけが真実だ。
……けれどそんなことは、誰だって知っていることだ。
「間違ってるって分かってる。理不尽だって知ってる。……でも、そんなことで膝を抱えて悩むのなんて、もうとっくに卒業した」
だから赤音は、手を伸ばす。万年生きた少女の悪夢を蹴り飛ばし、呑気に眠る大切な家族に向かって。
「黄葉──!」
真っ赤に燃える少女の意思が、長い夜に亀裂を入れた。
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