第29話 始まるよ!



 ひいらぎ 青波あおはは、とある人物の呼び出しに応じ、大学をサボってカフェを訪れていた。


「やっほ。青波、こっちこっち〜」


 いつも通り、晴れやかな表情で笑うその女性の姿を見つけた青波は、呆れたように息を吐く。


「相変わらずね、母さん」


「青波も、変わってないようで嬉しいよ」


 正面に腰掛けた青波を見て、姉妹たちの母親である真白は心底から楽しそうに、ニヤリと笑う。


「それで? どうして私だけ、こんな所に呼び出したの? ここまで来たなら、うちに帰ってくればいいのに」


「そうしたいのは山々なんだけど、今赤音に会うと怒られちゃうから辞めた」


「赤音は別に、怒ったりしないよ。……母さんが隠してることを、全て正直に話せばね」


「それが話せないから、わざわざ青波をここに呼び出したんだよ。それにこれから、また出かけないといけないしね」


 真白はそう言って、運ばれてきたコーヒーにこれでもかと砂糖を入れ、スプーンでクルクルとかき混ぜる。


「……また出かけるのね。、そんなに立て込んでるの?」


「まあね。色々と想定外なことがあって、ちょっと忙しいんだよ」


「想定外って?」


「内緒。それより、そっちの想定外はどうだった? 灰宮 なずなくん。彼の悪夢、相当に手強いようだね」


 真白とは対照的に、青波はブラックのままコーヒーに口をつけ、軽く目を細める。


「どうにかは、なったよ。赤音が頑張ってくれたお陰で、昨日は大人しく消えてくれた」


「つまりまだ、壊せたってわけじゃない。まあ、あれを完全に壊すのは、今のみんなじゃ無理か。……いや、当時のみんなでも難しいかな」


「……まるで、見ていたような言い草ね」


「そりゃまあ、実際に見ていたからね。私はずっとずっと、みんなことを見てるよ」


 そこでまた笑う真白に、青波は呆れたように息を吐く。


「母さんは、灰宮 なずなくんがあんな悪夢を見てると分かってて、彼を家に呼んだの?」


「そうだよ。だって天底災禍と彼の悪夢が同時に現れたら、対処のしようがないでしょ? だから早めに、弱点を見つけておいて欲しかったの。……赤音には、悪いことしたけどね」


 ちっとも悪びれた様子のない真白に、青波はまた息を吐く。


「母さんは、彼の悪夢はもう終わったと思う? あの蜘蛛は、もう『夜』には現れないとそう思ってるの?」


「いいや。彼の悪夢は、終わってなんかいないよ。このままなにも手を打たなければ、あの蜘蛛はまた絶対に『夜』に現れる。……でもその話は、最後かな」


 真白は自分勝手にそう言って、ちょうど近くを通った定員にチョコレートケーキを3つ注文する。


「そんなに頼んで、食べられるの?」


「余裕余裕。青波も食べたいなら、頼んでいいよ? お母さんが好きなだけ、ご馳走してあげる」


「……私は辞めとく。ケーキは帰りに買って、みんなと食べる」


「そ。青波は相変わらず、いいお姉さんしてるね」


 真白は真っ白な自身の髪を耳にかけ、またコーヒーに砂糖を入れる。


「ねぇ、青波。灰宮 なずなくんの悪夢がさ、どうして蜘蛛の形をしてたか分かる? 『夜』に現れる悪夢は普通、その人が1番思い入れのある形で現れる。なのにどうしてか彼の悪夢は、巨大な蜘蛛の形をしていた」


「……どうせ母さんは、その理由を知ってるんでしょ?」


「まあね。でも順を追って話さないと、意味が上手く伝えられない。だから青波。もう一個、質問だ。君が昔見た天底災禍は、どんな形をしていた?」


 その問いを聞いて、青波は軽く目を閉じ過去へと思いを馳せる。


「……形なんて、なかったわ。私が見た天底災禍は、夜の闇そのものだった。だから消すことも壊すことも、できなかった」


「そう。天底災禍とは、『夜』そのものだ。だからあれには、形なんてものはない。……でも、天底災禍は神の悪夢。その悪夢を見ている神自身には、ちゃんと影も形も存在する」


 その言葉で、真白がなにを言おうとしているのか察しがついた青波は、形のいい眉を歪めてコーヒーに口をつける。


「どうやら仕事の方は、上手くいってるみたいね」


「まあね。色々と想定外はあったけど、収穫もあった。……この土地に住まうとされる、神。天底災禍を吐き出し続ける、最低最悪の大神。残念ながら、その神様についての文献はほとんど残っていなかった。けど1つ、面白いことが分かった」


 そこで真白は間を作るように言葉を止め、真っ赤な瞳で真っ直ぐに青波を見る。


「この土地で信じられていた、人々の夜を守るとされる神。その神はね、蜘蛛の神さまなんだよ。ずっとずっと前から、この土地に根を……いや、糸を張ってる蜘蛛の大神。それが今も、この土地のどこかに隠れてる」


「……灰宮 なずなくんの悪夢が蜘蛛の形をしていたのは、彼がその神となにか関係があるから?」


「さあ。それはまだ、分かってない。けど、偶然だとも思えない。、きっと彼は私の想像以上に特別だ。……もしかして彼なら、長年続いてきた柊の役目……魔法少女を、終わらせることができるかもしれない」


 真白はそこでまた、笑う。真っ黒な太陽のように、暗く眩く口元を歪める。


「……それで? 母さんは私に、なにをさせたいの? 私の大事な妹たち……いや、新しい弟も含めて。彼ら彼女らを傷つけるようなことじゃないなら、協力してあげてもいいわよ?」


「ふふっ。いい娘を持って、私は嬉しいよ」


 姉妹の中で1番自分に似ている青波の笑みを見て、真白は嬉しそうに言葉を続ける。


「青波に頼みたいことは、2つ。1つは灰宮 なずなくんに、魔法少女と『夜』について教えてあげて欲しい。できるだけ詳しく、彼が興味を持つように」


「……いいの? 彼のことは信用してるつもりだけど、あんまり知りすぎるとまた魔法がかもしれないよ? ……私はともかく、他人の影響を受けやすい緑や橙華なんかは特に」


「大丈夫。寧ろ、その逆のことが起きるから。彼……なずなくんが魔法を信じてくれれば、それだけでみんなの魔法は強くなる。それは私が、保証する」


「…………」


 どうしてそこまで、自信満々に断言できるのか。青波には全く分からない。けれどこの人は昔からずっとこうなので、青波は余計な疑問を飲み込んで先を促す。


「それで、あと1つは?」


「それは……って、きたきた」


 そこでちょうど運ばれてきたチョコレートケーキを、真白は美味しそうに口に運ぶ。そして子供のように、口元を綻ばせる。


「…………」


 真白は昔から、なにも変わらない。彼女は青波と同じで、他人の影響を一切受けない。だから真白は未だに、誰より強い魔法を使うことができる。……もしかしたら、あの蜘蛛の悪夢を破壊できるかもしれないほどの、魔法を。


 ……けれど、真白が魔法を使うことはもうない。それを誰より理解している青波は、余計なことを口にしない。


「……それで? ケーキもいいけど、話を途中で止めないでよ。結局母さんは、私になにをさせたいの?」


「ふふっ。それはね……」


 あっという間に1個目のチョコレートケーキを食べ終えた真白は、すぐに次のチョコレートケーキをパクリと頬張る。そしてそのまま、今日1番の笑みを浮かべて……その言葉を口にした。



「彼……なずなくんとね、一緒に寝てあげて欲しいの。彼がもう悪夢を見ないよう、毎晩一緒にぎゅっと抱きしめながら寝てあげて欲しい。それが私から魔法少女みんなへの、最後のお願いかな」



「…………は?」



 その真白の言葉はあまりに想定外で、流石の青波もなにも言うことができない。



 そうしてここから、なずなの新しい生活が始まった。


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