第28話 お帰り。
長い長い夜が明けて、ゆっくりと日が登っていく。俺と赤音ちゃん……いや柊 赤音は、そんな茜色の空を見上げながら2人で並んで歩いていた。
「実は私、養子なのよ」
柊 赤音は、当たり前のようにそう言った。
「……そう、なのか」
「ふふっ。なによ、そうなのかって」
「いや、いきなりそんなこと言われても、なにを言えばいいのか……分からないだろ?」
「別に、なにか言って欲しいわけじゃないわ。ただあんたには、知っておいて欲しかったの」
「……そっか」
俺の知ってる赤音ちゃんは、柊という苗字ではなかった。だからもしかしたらとは思っていたけど、実際に聞くとやっぱり驚く。
「そうだ。そういやもう、プレゼントは開けたのか?」
余計なことは訊くべきではないと思い、そう話を逸らす。
「プレゼント? なによそれ。私そんなの、貰ってないわよ」
「え? じゃあ緑姉さん、まだ渡してないのか。……いや、もしかして未だに、喧嘩してたりするのか?」
「……うるさいわね、大丈夫よ。もうちゃんと、仲直りしたから。……それで? プレゼントってなに? どうしてあんたが、私にプレゼントくれるの? 中身はなに?」
「内緒。家に帰ったら、緑姉さんに訊いてみろよ。そしたらきっと、渡してくれると思うから」
「なによ、言いなさいよ。気になるじゃない」
「言わねーよ。……頑張ってバイトして買ったんだから、期待してろ」
そう言って、軽く笑う。柊 赤音も、楽しそうに笑ってくれる。
日が登るまで泣き続けた柊 赤音は、当たり前のように『帰ろう』と言った。だから俺は、また飛んで行くのかと少しわくわくしていた。……けど、日が登ってからは軽々しく魔法を使いたくないらしく、あの高台から2人でゆっくりと歩き続けていた。
「…………」
……正直、まだ疑問は残ってる。
魔法少女について。昨日の夜、どうやって俺のピンチを知ったのか。どうして俺を、助けてくれたのか。
そして彼女が俺を、どう思っているのか。
あの頃から、なにもかもが変わってしまうほど時間が流れた。ようやく約束を果たすことはできたけど、だからって一緒に逃げる必要はもうない。
きっと柊 赤音は、俺の初恋だった。でも、今も当時のように彼女が好きかと問われれば、少し困る。そしてきっとそれは、彼女も同じ筈だ。
柊 赤音が、俺をどう思っているのか。彼女はそれを最後まで、口にしなかった。だから俺も、自分の気持ちを言葉にしようとは思わなかった。
「……っと。ここまでだな」
分かれ道に差し掛かったので、足を止めて真っ直ぐに柊 赤音を見つめる。
「なに? どうかしたの?」
柊 赤音は、軽く首を傾げて俺の顔を覗き込む。
「助けてくれて、ありがとな。……それに、ずっと待っててくれて……嬉しかった。だからこれから──」
「いやいやいや。……どうしたのよ? いきなりこんな所で、そんなこと言い出して」
「いやだって、駅はあっちだろ?」
「……は? なんで、駅? なんか用事でもあるの?」
「……? いや、家に帰るんだから、電車に乗らなきゃダメだろ? ……流石にもう、蘇芳さんの家には帰れないしな」
その俺の言葉を聞いて、柊 赤音は驚いたというように目を見開き、首をぶんぶんと横に振る。
「あんたまさか、あの山小屋みたいな家に帰るつもりなの? ……というか、うちに来ないの?」
「いやだって、約束してただろ? もうあの家には、立ち入らないって」
「……あ」
柊 赤音は、思い出したというように口を開く。
「俺はさ、ずっとお前に嫌われてるって思ってた。だからあんなに必死になって、俺を追い出そうとしてくるんだって。……でも、そうじゃなかった。お前があんなに必死に俺を追い出そうとしてきたのは、魔法少女のことがあったから。……詳しく訊くつもりはないけど、人に知られちゃ困ることなんだろ?」
「それ、は……」
「そんな顔しなくても、俺は大丈夫だよ。今度こそ本当に、大丈夫。もう1人で、我慢なんかしない。……だから、またな」
そう言って、駅の方へと歩き出す。……けれどすぐに、服の裾を掴まれる。
「……待って」
足を止めて、振り返る。柊 赤音は、怒ったような顔で俺を見つめていた。
「まだ、なにかあるのか? ……ああ。心配しなくても、魔法少女のことは誰にも──」
「そうじゃない! そうじゃなくて……あれよ。その……あんたはね、何年も私を1人で待たせた酷い奴なの」
柊 赤音は頬を赤くして、服の裾を強く引っ張る。
「……もしかして、怒ってる?」
「違う! そうじゃなくて……あんたは約束を破る酷い奴だから、今さらもう1回くらい破られても、その……いいの! だから、うちに来なさいよ。……ううん。来て、欲しい。……ダメ?」
「……いいのか?」
いつのまにか青くなっていた空から、暖かな日差しが降り注ぐ。それは、色も重さも形もないけど、確かに俺たちを照らしてくれる。……遠い遠い場所から、太陽は今もこの世界を照らしてくれている。
柊 赤音は、まるでそんな太陽のような笑みを浮かべて、言った。
「私ももう大丈夫。だってあんたは、ちゃんと私を見つけてくれたから。だから……一緒に、帰ろ?」
そんな柊 赤音の眩い笑みに、心臓がどくんと高鳴る。
「…………」
だから俺も精一杯の笑みを浮かべて、言った。
「いや、俺は向こうの家に帰るよ。荷物、取りに行かないといけないしな」
「…………普通、ここで断る?」
柊 赤音は、恨めしそうに俺を見る。
「俺も今まで、何度も意地悪されたからな。これはその、仕返しだ」
「……なによ、それ」
呆れたように息を吐いて、柊 赤音は小さく笑う。
「でも思えば私も、随分と酷いことをしたわね。……けど絶対にもう、そんなことはしない。約束する。パンツなんていくら盗んでも、文句なんて絶対に言わない。だから……待ってるからね?」
そう言って、柊 赤音は笑った。
「ああ。すぐに行く」
だから俺も、笑った。
◇
人生は、開けない冬だ。それはずっと俺を縛ってきた言葉だけど、同時に心の支えでもあった。
「……あっつ」
大きな鞄を背負いながら、頬を伝う汗を拭う。柊 赤音と別れて一度家に帰った俺は、色々な準備を済ませて、いつかの時と同じようにゆっくりと歩いていた。
「なんで今日は、こんなに暑いんだよ」
そう愚痴を溢して、また歩く。
『先生』が遺した、最後の原稿。それはもう破かれてしまって、この世にはない。……けれど今さら、蘇芳さんを責めようとは思わない。
だってついさっき、彼女はわざわざ俺の荷物を持って家まで謝りに来てくれた。そしてまた、うちに来ないかと誘ってくれた。
もう絵を描かなくてもいいから側にいて欲しい、と。
でも俺は、それを丁重に断った。だって、今の俺には……。
「……っと。忘れてた」
途中でコンビニに寄って、原稿用紙を買う。もうあの原稿用紙は残ってないけど、それでも『先生』の詩を完成させることはできる。
『孤独こそが人生だ。寂しさこそが運命だ。寂しさは、明けない冬を思わせる。寂しさは、静かに静かに降り積もる。雪は、いくら集まっても冷たい。そして──』
この『そして』の先に、なにが続くのか。あの原稿用紙に拘らなくても、それを考えることはできる。
「アイスも一緒に、買えばよかったな」
なんて呟いて、また歩き出す。
人生は、明けない冬だ。死ぬまで苦しんで、苦しみ続けて生きていく。それが俺の人生だと、そう思っていた。……いや、ずっとそう思い込むことで、我慢してきた。
でも……。
「……見えてきた」
久しぶりに見る大きな家を見つけて、歩くスピードが上がる。どうしてか、自然と頬が緩む。……もしかしたら家に帰るというのは、そういうことなのかもしれない。
人生は、明けない冬だ。
ずっとずっと、長い冬に凍えてきた。……でも昨日、気がついた。柊 赤音のお陰で、気がつくことができた。
だから……
『孤独こそが人生だ。寂しさこそが運命だ。寂しさは、明けない冬を思わせる。寂しさは、静かに静かに降り積もる。雪は、いくら集まっても冷たい。そして──』
そして、優しく抱きしめられると溶けて消える。
「行くか」
軽く笑って、玄関の扉を開ける。
明けない筈の冬が明けて、春がきた。その俺の春を祝福するかのように、6人の少女たちは花のような笑顔で俺を出迎えてくれた。
「お帰りなさい!」
「──ただいま」
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