第22話 ……ごめん。
「…………」
リビングのソファに腰掛けた赤音は、なにかを確かめるように赤い腕輪に視線を向ける。
「……あいつ、大丈夫かな」
つい先ほど、偶然なずなと公園で出会った。まるで運命みたいな出会いだったけど、それは本当にただの偶然だった。だからなずなの顔を見た瞬間、赤音の心臓はどくんと跳ねた。
……けれどなずなは酷く、疲れているように見えた。それこそまるであの頃と同じように、なにもかもを諦めたような目をしていた。
「もしかしてあいつ、また昔みたいに……」
言葉を途中で止めて、息を吐く。……赤音は一瞬、思ってしまった。
もしかしてなずなは、新しく仲良くなった女の子に虐められているのかもしれない。なら自分が、助けてあげなきゃいけない、と。
「……なんて、馬鹿みたい」
でもそれは、自分にとって都合がいいだけの妄想だ。そのことに気がつかないほど、赤音は馬鹿ではなかった。
「そもそもあいつを虐めていたのは、私じゃない」
だからきっとなずなは、新しい家で暮らすようになって少し疲れていただけなのだろう。……仮にそうじゃなかったとしても、それはもう……自分には関係ないことだ。
赤音はそう強く自分に言い聞かせ、遠い空に視線を向ける。
「……あいつ、嬉しかったって言ってくれた。ありがとうって、言ってくれた」
ならもう、それだけで充分だ。それだけで自分は、今日も『夜』を戦える。
「…………」
そう思うのに、赤音の胸に冷たい不安が影を差す。
……もう2度と、なずなには会えないかもしれない。
どうしてか、そんな予感めいた不安が胸のうちで渦巻く。……でも赤音は、そんな弱さを無理な笑顔で打ち払う。
「さて、そろそろ時間ね」
真っ白な月が、ゆっくりと暗く染まる。それを合図にするかのように、少女たちは『夜』へと向かって歩き出す。
「……赤音姉さん、少しいいですか?」
けれど『夜』に繰り出す直前、しばらく話していなかった緑がそう声をかけてくる。
「別に構わないけど、時間がないから手短にお願いね」
その赤音の言葉を聞いて、緑は怒りを抑え込むように小さく呟く。
「なずなのところにお見舞いに行ったのは、赤音姉さんですか?」
「……なんの、話よ」
「なずなから、メッセージが届いたんです。お見舞いの品、ありがとうって。でも私、なずなのお見舞いになんて行ってません」
「だから私だって、言いたいの? でも残念ながら、私は行ってないわよ。あいつのお見舞いになんて」
赤音はそう言って、誤魔化すように窓の外に視線を逃す。けれど緑はただ真っ直ぐに、赤音の姿を見つめ続ける。
「お見舞いに行くくらいなら、どうしてなずなを追い出したんですか! どうしてなずなを……傷つけたんですか! 答えてください!」
「だからお見舞いになんて、行ってないわよ。……そもそもどうして今になって、そんな話をするの? 今さらそんなの、もうどうだっていいことじゃない」
「……私は、知ってます。赤音姉さんが、理由もなく理不尽なことをする人じゃないって。だからきっとなにか理由があって、いつかそれを話してくれるんだと、ずっとそう思ってました。なのに赤音姉さんは、いつまで経ってもなにも言ってくれない……」
「それで痺れを切らして、私のところに来たってわけね。……でも悪いけど、私から言うことはなにもないわ」
「赤音姉さん! 私は──」
「赤音、緑。話はまた、あとにしなさい。……そろそろ『夜』が始まるよ?」
2人の様子を遠巻きに眺めていた青波が、そう声を響かせる。だから2人は黙って頷き、『夜』に向かって歩き出す。
「……私はまだ、許してませんから」
そんな緑の呟きが、最後に小さくその場に響いた。
◇
そして少女たちは、今日も『夜』を駆ける。
未だに破壊することが叶わない、巨大な蜘蛛の悪夢。それは時間が経つ度、『夜』が深まる度に力を増していき、少女たちは防戦一方になっていた。
「ごめん! もうあたしの魔法じゃ、止められない! 攻撃、緑ちゃんの方にいったよ!」
橙華のそんな叫び通り、蜘蛛の巨大な脚が凄い速さで緑に迫る。
「……この程度なら、問題ありません」
そんな状況にも緑は一切臆することなく、右手を前に掲げて魔法を発動させる。
「────!」
するとその瞬間、緑の方へと迫っていた蜘蛛の脚は細切れになって霧散する。
「ダメ! 緑ちゃん! 脚は、1本じゃない!」
「……え? しまっ──」
橙華の声を聞いて、緑は慌てて次の魔法を発動しようとする。……が、夜の闇に紛れて迫る蜘蛛の黒い脚は、予想以上に速い。
……もう、間に合わない。
そう緑が思った瞬間、声が響いた。
「いい加減、鬱陶しいのよ……!」
赤音は苛立つようにそう叫び、赤い瞳で緑に迫る2本の脚を睨みつける。
するとそれだけで、2本の脚はいとも簡単に燃え尽きる。……すぐにまた、再生してしまうが……。
「ほんと、化け物ね……」
「……その、助かりました、赤音姉さん」
真っ直ぐに蜘蛛の悪夢を睨みつける赤音に、緑はそう言って頭を下げる。
「……別に。これくらい、当然よ」
「それでも本当に、助かりました。赤音姉さんがいなかったら、私は今頃……」
2人の間に、少しだけ穏やかな空気が流れる。……が、そんな風にのんびりしている暇はないというように、また蜘蛛の悪夢が暴れ出す
「2人とも! 喋ってる暇があるなら、わたしの援護を頼む!」
そう叫んだ黄葉が、迫りくる蜘蛛の大足を片腕で引きちぎり、そのまま蜘蛛に向かって空を駆ける。
「────!」
蜘蛛はそんな黄葉に苛立つように、耳障りな鳴き声をあげて口から糸を吐き出す。
「それはもう、何度も見てます」
そう呟いた緑が風を起こし、蜘蛛が吐き出した糸を逆に蜘蛛自身の方へと押し返す。
「ここで、ボクの出番だね」
そして、ただ1人この場に居ない紫恵美の魔法である巨大なゾンビの人形が、蜘蛛の動きを止めるようにのしかかる。
「長くは保たない! だから黄葉、やるなら早く!」
「サンキュー! 紫恵美ねぇ! ……おらっ、喰らえ! これが私の100%だ! 黄葉クラッシュ!!」
空間がきしむほど速い黄葉のパンチが、蜘蛛の腹部に直撃する。
「──!」
蜘蛛が、宙を舞う。
黄葉の強力パンチを受け、蜘蛛は無防備な姿で夜空に吸い込まれるように浮かび上がる。そしてその隙をついて、緑が先程の糸を使い蜘蛛の身体を拘束する。
「これで死んでくれると、有難いんだけどね」
夜空を見下ろすくらいの高所で待ち構えていた青波は、動きが止まった蜘蛛の全身を視界で捉える。
「……そういうことか」
そんな青波の狙いに気がついた紫恵美は、自身の魔法である巨大なゾンビの人形を、沢山の小さな人形に変化させる。そしてその小さな人形を使って、辺りに漂う悪夢を破壊していく。
「こっちは、あたしたちにまかせて! 行くよ? 赤音ちゃん!」
「分かってる!」
一連の戦闘に参加していなかった橙華と赤音は、紫恵美と黄葉の動きから青波の狙いに気がつき、紫恵美の人形では破壊し切れない大きさの悪夢を破壊していく。
だから『夜』が始まって以来はじめて、蜘蛛の悪夢は完全に無防備になる。
長くて多い脚は全て自身の糸で絡め取られ、辺りには吸収できる悪夢もない。蜘蛛はそんな状況でも必死になって足掻き、助けを求めるように大きな叫びをあげる。
「────!」
……が、そんな蜘蛛を助けてくれる人間は、どこの世界にもいやしない。
「さて、準備は整ったね」
姉妹のみんなが蜘蛛から距離を取ったのを確認して、夜空に立った青波が魔法を発動する。
姉妹にはそれぞれ得意な魔法があり、役目の間は主にその魔法を使って戦う。
緑は、風を使った切断。
黄葉は、肉体強化。
赤音は、炎。
紫恵美は、人形の操作。
橙華は、催眠。
そして、青波は……。
「バイバイ。誰かの悪夢」
青波の腕輪が鈍く光り、魔法が発動する。
「──!」
蜘蛛は、苦痛に歪んだ声をあげる。……が、青波の魔法から逃れる術はもうない。
視界に収めたものなら、なんでも消滅させられる青波の魔法。少しでも視界からはみ出ていれば効果はないが、それでも一度視界に収めてしまえば、どんなものでも消し飛ばせる。
それはこの巨大な蜘蛛の悪夢も例外ではなく、だから蜘蛛は一切の欠片も残さず『夜』の世界から消え去る。
「……終わった」
赤音のその呟きに、誰もなんの言葉も返さない。……だってみんな、分からなかった。本当にこれで、あの蜘蛛の悪夢を破壊することができたのか。誰も確かな確信を、得られなかった。
「終わりなわけないじゃないですか、赤音姉さん」
赤音の前に現れた緑は、呆れたように息を吐く。
「……! じゃあまだ、あの蜘蛛は生きてるの?」
「違います。『夜』はまだ、始まったばかりだと言ってるんです。私たちの敵はあの蜘蛛ではなく、神の悪夢──天底災禍です。だからまだまだ、終わりじゃありません」
「……そうね。緑の、言う通りね。ちょっと気が抜けてた」
「はい。でも……さっきは、ありがとうございました。その……やっぱり赤音姉さんは、凄いです」
「私なんか、青波姉さんと比べればまだまだよ。……でも、緑が無事でよかった」
2人は顔を見合わせて、小さく笑う。それだけで、ずっと胸に刺さっていた棘が消えたような気がして、2人の胸は同じように軽くなる。
「…………」
だから赤音は、真っ直ぐに緑を見て口を開く。
「いつか、話すわ。全部全部、本当に全ての問題が解決したら。みんなにも、あいつ……なずなくんにも、ちゃんと全ての事情を伝える。今はこれだけしか、言えない。……ごめん」
「いいです。……もう、いいです。それより今は──」
「──っ! 危ない! 緑!」
赤音は必死な形相でそう叫び、力いっぱい緑を突き飛ばす。するとまるで、緑の影から湧き出るように現れた蜘蛛の悪夢が、長い糸で赤音の身体を絡め取る。
「赤音姉さ──っ!」
そんな赤音を助けようと、緑は腕を前に掲げる。……が、急速に巨大化していく蜘蛛の脚に蹴り飛ばされ、間に合わない。
「……ここまで、か。どうして嫌な予感ほど、よく当たるのかしら……」
赤音はそう言って、全てを諦めたように肩から力を抜く。そんな赤音を助けようと、姉妹みんなが必死になって魔法を発動する。……が、もう間に合わないと赤音は誰より強く自覚していた。
「……ごめん、みんな。あとは……任せた」
最後に赤音は、笑った。そうしてなんの容赦もなく、蜘蛛の悪夢は赤音の身体を飲み込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます