第19話 逃れられない。



 その土地には、神がいた。



 その神は数千年前からその土地に根付き、夜の闇から人々を護ると言われていた。今となってはその存在を信じる者は誰もいないが、それでもその神を祀った神社はまだ街に残されている。



 赤音たち柊家の役目は、人々を護ることだった。



 ただの言い伝えではなく、実際に存在するその神は人の夢を喰らう。いい夢も悪夢ももろとも喰らい、それを現実へと吐き出す。


 人を助ける夢を見たなら、現実でも人を助ける。逆に人を殺す夢を見たなら、現実でも人を殺してしまう。


 特に『夜』と呼ばれる期間は、普段とは比べ物にならないくらい沢山の悪夢を吐き出し、多くの人間を死に誘う。……そして、その『夜』の最終日。神の悪夢──天底災禍てんていさいかと呼ばれる大災害が、夜の闇を染め上げる。



 その天底災禍から人々を守ることが代々柊家の人間が担ってきた役目であり、赤音たちはその役目を……



 ──魔法少女と呼んでいた。



 ◇



 夜の闇を蹴って空を駆ける赤音は、ふわふわと宙を舞う大きな風船のような悪夢を、赤い炎で燃やし尽くす。


「……まだ始まったばかりなのに、随分と夢が多いわね」


 赤音はそう吐き捨て、次の夢を探して夜を駆ける。


 神が吐き出す夢は、柊の人間である彼女たちにしか視認できない。そしてその夢は、風船だったり、車だったり、人だったり、化け物だったり。ありとあらゆる形で、夜の闇から吐き出される。



 赤音たちはその夢を、魔法を使って破壊する。



 夢を破壊する、夢の魔法。柊家には代々、神の骸で創ったとされる腕輪が受け継がれていて、彼女たちはそれを腕にはめることで魔法を行使する。


 願ったことをなんでも叶える、夢のような魔法。彼女たちが本気でできると思えば、空を飛び指先1つで車だって持ち上げてみせる。



 ……しかし逆に言えば、少しでも無理だと思えば、たちまち魔法は解けてしまう。



「関係、ない……!」



 ふと思い浮かんだ少年の顔を打ち消し、軽自動車くらい大きい亀の形をした悪夢を、ひと睨みで燃やし尽くす。赤音以外の少女たちも各々街に散らばって、数多の悪夢を破壊する。


 久しぶりの役目ということもあり、少女たちの動きにのようなキレはない。しかしそれでも、始まったばかりの『夜』に苦戦するほど、彼女たちは弱くはない。


「ほんと、どれだけいるのよ!」


 唐突に現れた大きな獣のような悪夢を燃やして、赤音は疲れたように息を吐く。


 魔法の力も有限であり、使えば使うほど疲弊する。特に少女たちはもう魔法に適した年齢ではないから、その疲労は当時の比ではない。



 1番想像力豊かな、子供の頃。今からちょうど5年前に、当代の役目は全て終わる筈だった。



 『夜』が最も深まった時に現れる、神の夢たる天底災禍。



 彼女たちはそれを、打ち払うことができなかった。本来なら勝てる筈だった神の悪夢に、少女たちは敗北した。故に今、こうしてそのツケを支払うことになった。


 『夜』の間なら、少女たちは最強だ。どんな悪夢であったとしても……たとえそれが神の悪夢でも、少女たちが負けることなんてあり得ない。……けれどそれは、魔法が使えればの話だ。



 ──魔法とその役目は、家族以外の誰にも知られてはいけないよ。



 それは母親である真白が、1番最初に伝えた言葉だ。……けれど、幼かった少女たちはその約束を守ることができず、困っていた友達を魔法を使って助けてしまった。……秘密を、知られてしまった。


 助けられた友達は、魔法なんてものを信じなかった。けれどその噂を聴いた誰かが、あの子たちは魔法使いなんだと言った。それからは噂が噂を呼び、柊の姉妹は全員……化け物なんだと、そんな風に言われたりもした。



 そんな噂に晒され続け、少女たちは自分たちの魔法を信じることができなくなった。



 そしてそんな最悪のタイミング現れた、神の悪夢──天底災禍。普段の少女たちなら、敗北することなんてあり得なかった。けれど魔法が使えなくなった少女たちでは、どうすることもできなかった。


 唯一、他人の影響を一切受けない青波が1人で奮闘し、なんとかその悪夢を退けることに成功した。……しかしそれでも、完全に破壊することは叶わなかった。


 そしてそれから、5年後。当時よりずっと力を増した『天底災禍』は、暗い夜を引き連れて神の口から放たれた。



 故に少女たちは、今度こそ絶対に負けるわけにはいかなかった。



 たとえその行いに、、天底災禍を討ち滅ぼさなければ世界が滅びてしまうのだから。


 ……そう。本来ならそこに、なんの見返りもありはしない。魔法という人の身に余る力を行使することはできるが、それは『夜』の間でなければ、万能の力たり得ない。


 ましてや死人の命を蘇らすなんてことは、永遠の『夜』にでもならない限り、不可能なことだ。


「…………」


 だから赤音には、秘密があった。姉妹たちにも伝えていない、夜の闇より真っ暗でなにより大切な契約が。



 だから赤音は、夜を駆ける。今度こそ必ず天底災禍を討ち滅ぼし、自身の夢を現実にする為に。



 ◇



 翌日の昼休み。すっかり体調が良くなって学校にやって来た俺は、スマホを眺めながら大きく息を吐く。


「……出ないな」


 今日はどうしてか、いつものように緑姉さんが会いに来てくれなかった。……まあ無論、緑姉さんにも都合があるし、会いに来れないこともあるだろう。でも昨日、ぎゅってしてもらうって約束してたし、確かめたいこともあった。


 だから俺は朝のうちに、緑姉さんの教室まで様子を見に行った。



 けれどどうやら緑姉さんは、学校を休んでいるようだった。



 ……いや、緑姉さんだけではない。黄葉も、橙華さんも、柊 赤音も。みんなみんな、学校を休んでいた。


「まさか全員、風邪ってわけでもないだろうし……。なにかあったのかな」


 それがどうしても気になって、朝から何度かメッセージを送ったり電話してみたりした。……けれど昼休みになっても、返事は一向に返ってこない。


「気になるな。でも家に行く……のは、無理だしなぁ」


 もう2度と、あの家には立ち入らない。俺は柊 赤音と、そう約束してしまっていた。


「…………」


 無意識に、指が唇に触れる。するとどうしてか、あの時の柊 赤音の笑みを思い出す。あの、小さな幸福を噛み締めるような笑み。俺はその笑みを、いつかのどこかで見た筈だ。


 ……けれど俺がそれを思い出す前に、ふと声が響いた。


「ご機嫌よう、なずなさん」


 顔を上げる。するとそこには、昨日唐突にうちにやって来た、蘇芳さんの姿があった。


「こんにちは、蘇芳さん」


「ぼーっとされてましたけど、なにか考え事ですか?」


「いや、別になにも。昼休みだから、のんびりお昼を食べてただけ」


「でも手、止まってましたわよ?」


「…………」


 言葉に詰まってしまった俺を見て、蘇芳さんは楽しそうに長い黒髪をなびかせる。


「それより、考えてくださりましたか? わたくしの家に、来ないかという話」


「……あー、ごめん。それはまだ、考え中」


 昨日、ほとんど無理やり家に上がり込んできた蘇芳さんは、俺への愛を熱弁してくれた。そしてどうやら彼女は、本気で俺を家に誘ってくれているのだと分かった。


 ……けどついこの間、そんな誘いに乗って追い出されたばかりだ。だからどうしても、躊躇してしまう。


「大丈夫ですわよ? なずなさん。わたくしはあの女たちのように、なずなさんを追い出したりしません。……なんせなずなさんには、誰にも負けない才能があるのですから」


「……ないよ。俺に才能なんて」


「ふふっ、面白い冗談ですわね。貴方はあの、灰宮 欠慈けつじの息子なんですよ? 貴方は誰より尊い才能を、彼から受け継いでいるんです」


「────」



 灰宮 欠慈。



 その名前を聞いた瞬間、最悪の記憶が一気に蘇る。



『おい、なずな! どうして描かない? お前は俺の、息子だろっ! ならさっさと、手を動かせ……!』



 痛む頭を押さえて、蘇芳さんを見る。


「ふふっ……」


 蘇芳さんは、俺を見ていた。澄んだ瞳で真っ直ぐに、俺だけをただ見つめていた。


「……蘇芳さん。どうして貴女が、その名前を知っている?」


「愛する方のことを調べるのは、当然でしょう?」


 そう言って、蘇芳さんは笑う。まるで愛する者でも見るかのように、蘇芳さんはとても幸せそうな笑みを浮かべる。


「…………」


 その笑みを見て、俺は思った。どうやらこの少女からは、逃げられそうもないと。


 ……きっと彼女は、知っている。もう10年近く前に死んだあいつのことまで調べたのだから、その先のことも調べがついている筈だ。



 絶対に隠さなければならない、俺の秘密を。



「…………」


 まるで助けでも求めるかのように、スマホに視線を向ける。……けれどいくら待っても、スマホの画面は真っ暗なままだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る