第24話

 宇宙暦SE四五二二年七月二十日 標準時間一八〇〇。


 帝国艦隊のジャンプアウト予想時刻の一時間前、ハースは戦闘指揮所CICに入ってきた。


 しかし、まだ戦闘準備は命じられておらず、CICは通常のシフト中だった。そのため、指揮官シートには副長のジェーン・キャラハン中佐が座っている。

 キャラハンはハースの姿を認めるとすぐに立ち上がり、きれいな敬礼で迎え入れる。


 ハースは答礼を返しながら、「ご苦労様」と労い、


「艦長はどこかしら? もう来ていると思ったのだけど」


「艦長はお食事中です。一九〇〇にCICに入られる予定ですが、こちらに向かうよう連絡いたしましょうか?」


「いいわ。そう言えば先ほど放送が入っていたわね。シフトについている者以外は夕食ディナーだと……私もご相伴にあずかろうかしら。戦闘前にクリフが用意した食事が出されるのでしょ?」


 そう言って笑いながらCICを出ていった。


 ハースが言った通り、クリフォードは軍の糧食以外に私費で食材を購入していた。画一的な糧食は栄養価や安全の観点では問題ないが飽きやすい。


 軍の食事ではないというだけで乗組員たちの人気は高いが、彼は高級な食材こそ用意していないもののプロの調理人コックに調理を依頼していたため、この食事を待ち望む乗組員は多かった。


 これはクリフォードのオリジナルではなく、多くの艦長が行っていることだが、彼の場合は他の艦長より質のよい物を多く準備している。


 もちろん、食中毒などのリスクを考え、同じ食事を全員に出しているわけではない。それでも何度かに分けて全員に当たるよう工夫されていた。


 キャラハンはハースの後姿を見ながら、ここに来た目的について考えていた。


(艦長がここにおられないことは分かっていらっしゃったはず。だとすれば、必ず意味がある……)


 そこで意味ありげに笑い、肘でつつき合う下士官たちの姿に気づく。


(CICにいる下士官たちに聞かせたかったようね。そうすればこの噂は艦隊中に一気に広がる。提督が“同じ釜の飯”を食べたという話が広まれば下士官たちとの連帯感は一層強くなるわ。さすがは賢者ドルイダス、抜け目がないわ……)


 彼女の予想通り、ハースは下士官兵たちの食堂メスデッキに向かっていた。

 狙いもキャラハンが考えた通りで、艦隊の下士官兵の士気を上げることを目的としている。


 キャラハンはクリフォードの個人用情報端末PDAにハースがメスデッキに向かったという情報を送った。


 情報を受け取ったクリフォードはハースの狙いに即座に気づくものの、特に反応しなかった。



 ハースが下士官兵たちの食堂に現れると、全員が起立する。更に敬礼しようとした。

 ハースは笑いながらそれを制し、


「食事を続けて頂戴。それとできればだけど、私にも艦長が用意した食事をいただけないかしら。結構おいしいという評判を聞いているから、フフフ」


 一人の若い技術兵が「了解しました、提督アイ・アイ・マム!」としゃちこばって敬礼し、食事を取りにいく。


 すぐに当番兵からトレイを受け取り、「これが本日の夕食ディナーであります!」といって、ハースの前に置いた。


「あら、本当に美味しそう。クリフは王太子殿下と一緒だったから結構美食家グルメなのね。では、私もご一緒させて頂くわ」


 彼女の言う通り、クリフォードの用意した食事は一流レストランに準備させたものだ。白身魚のソテーや温野菜のサラダなど、冷凍保存されているとはいえ、“ディナー”というにふさわしいものだった。


 ちなみにアルビオン王国軍では夕食を“ディナー”、昼食を“ランチ”と呼んでいるが、四交替体制シフトの関係から質に差はなく、兵士たちはその言葉を聞くたびに同僚と意味ありげな笑みを浮かべることが多い。


 ハースがメスデッキで食事をしたという噂は艦隊内に一気に広がった。公式には何も発表されていないが、下士官たちが持つ独自のネットワークが威力を発揮したのだ。


 下士官兵たちの反応はおおむね良好で、ハースは大艦隊同士の戦闘を控えピリピリとした雰囲気を和らげることに成功した。



 標準時間一九〇〇。


 クリフォードは予定通りCICに入った。予定ではあと一時間半ほどで敵艦隊を視認するということで、CICには緊張感が漂っている。


 キャラハンから指揮を引き継ぐと、その直後に参謀長らを引き連れたハースが入ってきた。クリフォードが敬礼をもって出迎えると、ハースは笑みを浮かべて答礼する。


「美味しかったわ、艦長。これからは私の分も用意しておいてくれるかしら」


了解しました、提督アイ・アイ・マム。何かご希望があれば伺っておきますが」


「そうね。今日は魚料理だったから、次は鶏料理がいいわね」


「了解です。しかし、高価なものではありませんから、その点はご了承ください」


 半ば笑いながらクリフォードがそう言うと、ハースもそれに合わせるように彼をからかう。


「あら、私はあなたほどグルメじゃないわよ。今日のディナーくらい美味しければ充分過ぎるわ」


 敵の大艦隊が現れる前のCICとは思えないほど暢気な会話だった。

 そんな会話をCICの下士官たちが耳にし、横にいる同僚たちと笑い合っている。


 ハースはCICの緊張感を軽減しようとし、それにクリフォードが乗った形だが、見事に成功した。


 クリフォードは表情を引き締めると、自分の席の後方にある司令官用のシートに座るハースに向かって話しかけた。


「敵は予定通り現れると思われますか?」


 ハースは未だに笑みを消すことなく、「ええ、私はそう思っているわ」と答える。


「では、このまま直進でしょうか?」


 クリフォードはそう聞くものの、ハースの答えは何となく分かっていた。彼もそうだが、ハースも敵艦隊が自分たちを視認したら、一旦アラビス星系に引き返すと思っている。


「恐らくそうなると思うわ。敵が本当に五個艦隊だけなら引き返すしかない。数で劣り、地の利がないのに戦いを挑むようなことはないでしょうから」


「そうなると追撃ですか?」


 その問いにハースは僅かに間を置く。


「どうかしら。私なら追撃しないのだけど。それにこの距離だと追撃しても敵に準備の時間を与えることになるわ。もし私が追撃するとしたら一日程度時間を置いてからね。でも、エルフィンストーン提督はどうお考えになるか微妙なところ」


 クリフォードも同じことを考えていた。“烈風ゲール”と呼ばれるほど神速の用兵を駆使するジークフリード・エルフィンストーン大将が総司令官であり、間を置かずに追撃を命じる可能性は否定できない。


「罠はどうでしょうか? 敵があえて五個艦隊しか送り込まなかったことが気になります。もし、マヤークに現れた艦隊がすべてでないとすると、優勢な敵に待ち伏せされる可能性があります」


 言っているクリフォードもその可能性は低いと考えているが、CICにいる参謀や部下たちに聞かせる目的で質問したのだ。


「それはないと思うわ。帝国は我々がどのタイミングでどの程度の戦力を送り込んだのか知らないのだから、アラビスジャンプポイントJPで我が軍が待ち伏せすることを考えて最大戦力で向かってくるはず。そうしなければ各個撃破されるだけだから」


 超光速通信が存在しないため、連絡手段は情報通報艦のリレーによる原始的な方法に頼らざるを得ない。そのため数日程度の伝達の誤差は充分にあり得る。もっとも最短時間は星系間の距離で決まってくるため、理論上の限界はどの国でも把握できる。


 但し、別の要因で艦隊を動かすことは充分にあり得る。

 特に敵国、または仮想敵国との緩衝宙域付近では大規模な演習を行うことが多く、ここテーバイ星系でも五個艦隊程度の演習を何度も行っており、その情報は帝国にも伝わっていた。


 そのため、大艦隊が思いもよらぬタイミングでいる可能性があり、偵察が難しい敵国の支配宙域に入る場合は最大戦力をもって進入することが軍事上の常識だった。


 二人の会話に副参謀長のアルフォンス・ビュイック少将が加わってきた。


「だとすれば面倒ですね。どこまで敵を追い掛けるかはエルフィンストーン提督のお考え次第ということになりますから」


「そうね。統合作戦本部もこの状況はあまり考慮していなかったようね。戦略目的が明確じゃないから提督は苦労しそう」


 そう言いながらもハースは今回の戦略目的はある程度明確であると考えていた。

 彼女の考えでは敵を自由に動かせないようにすること、もっと端的に言えばテーバイに現れるであろう帝国の五個艦隊をヤシマに向けさせないことが今回の目的となる。

 しかし、敵が逃げていく場合は対応が難しいとも考えていた。


(エルフィンストーン提督はともかく、フォークナー中将総参謀長がそのことをどう考えるかね。もし、テーバイ星系を守ることに固執するようなら帝国の思惑に乗せられることになるわ。敵が撤退するなら、さっさとヤシマに増援を送った方がいいのだけど……)


 ハースは内心ではそう考えるものの、そのことは口にせず、参謀長であるセオドア・ロックウェル中将に別の話を振る。


「敵を追撃する場合、我が艦隊が先鋒になると思うわ。陣形はどうしたらよいかしら?」


 その問いにロックウェルは即座に答える。


「巡航戦艦を前衛とした紡錘陣形が望ましいでしょう。もちろん補助艦艇は切り離すことになります」


「そうね。それがいいわ。ではエルフィンストーン提督からの指示が来る前にその検討を進めておいてちょうだい」



 一時間半後の標準時間二〇三〇。

 帝国艦隊は予想された時間通りにアラビスJPにジャンプアウトした。その数は二万五千隻でこれも情報通りだった。

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