第44話
第二次ジュンツェン会戦の翌日である七月二十五日。ゾンファの情報通報艦がシアメン星系に向けて
ジュンツェンからシアメンまではFTLでも約四日間掛かる。シアメンでの交渉を終え、情報通報艦が戻ってくるには十日近くが必要だった。
アルビオン艦隊は工作艦をフル活動させ、損傷した艦を補修していく。
ヤシマ解放作戦、作戦名“ヤシマの夜明け――Operation Yashima Dawn――”、通称YD作戦参加部隊のうち、ジュンツェン進攻艦隊のグレン・サクストン総司令官とアデル・ハース総参謀長は頭の痛い問題を抱えていた。
先の第二次ジュンツェン会戦において総司令部の命令を無視した第三艦隊司令官ハワード・リンドグレーン大将の処遇についてだ。
彼の命令違反は明白であるため処分が必要であるが、休戦状態とはいえ敵地で艦隊司令官を更迭するには、命令違反を行ったことを公表しなければならず、第三艦隊だけでなく全軍の将兵に少なからぬ動揺が起きると考えた。
「リンドグレーン提督を拘束すべきだと思うが、総参謀長の意見を聞きたい」
「このまま提督に指揮権を与えておくことは危険です。キャメロットに帰還するまで待つ必要はありません。しかし……」
明敏なハースにしては珍しく、僅かに逡巡する。
「この状況で司令官を更迭することは兵たちの動揺を招きます。提督に病気になってもらい、副司令官に指揮権を移譲させることが最も穏便に済ます方法でしょう」
彼女自身、内心ではリンドグレーンを処分したくて仕方がなかった。彼の命令違反は明確であり、その行為によって数万の将兵が戦死している。
しかし、戦闘が終了した今、リンドグレーンを処分するには軍法会議が必要になる。
作戦中の戦場ということで各艦隊司令官が判事となるが、司令官が集まる軍法会議を行えば必ず情報は漏洩する。
一度噂がたてば、艦隊内に一気に広まることは容易に想像でき、リンドグレーンだけでなく、彼を御し得なかった上層部全体の不審に繋がる。
ここは敵地であり、最低でも十日間はここに残る必要がある。
今のところ敵将マオが戦端を開くとは考え難いが、敵地で下級士官や下士官兵たちが動揺する事態は可能な限り避けなければならない。
そのため、ハースは妥協案の提示しかできなかった。
後年、彼女はこのことを後悔したと述懐している。
『リンドグレーン提督の処分については毅然とした態度で挑むべきでした。仮に兵たちに動揺があったとしても、サクストン提督であれば充分に対処できたはずですし、ゾンファが休戦協定を破って戦闘になったとしても、そのことで兵たちの士気は上がり、懸念されるような事態に陥ることはなかったでしょう……あの当時、その後のリンドグレーン提督の破廉恥な行いを予想することはできなかったとはいえ、それを誘発した責任は当時の私にあったと考えています……』
サクストンの許可を得たハースはリンドグレーンにそのことを提案するが、
「小官は至って健康である。仮病を使うことなど考えられん」と言って拒否した。
彼は戦場にいる間に自らの行為の正当性を示し、処分を免れることを考えていたのだ。
その言葉にハースは激怒するが、強引に入院させるわけにもいかず、更に他の案件の対応に手を取られ、結果として放置する形になってしまった。
リンドグレーンはその時間を活用し、自らの行為の正当性を補強すべく行動を開始した。
彼は自らの権限で行える艦隊内の士官の論功行賞を巧みに使い、自分に有利になる証言を引き出そうと画策した。艦隊内の上級指揮官は自らの負い目もあり、リンドグレーンの言葉に頷くしかなかった。
しかし、捨石にされた砲艦戦隊だけは事情が異なった。彼らは艦隊と行動を共にしておらず、更に自分たちを見捨てたリンドグレーンを擁護する気はなかった。
リンドグレーンは砲艦戦隊の証言が自分に不利になると考え、砲艦戦隊の士官たちに対し、甘言と恫喝を巧みに使い取り込もうとした。生き残りの士官たちに対しては評価の低い砲艦戦隊からの転属を仄めかし、少しずつ取り込んでいった。
そして、特に大きな戦果を上げ最後まで戦場で奮闘した第四砲艦戦隊の司令エルマー・マイヤーズ中佐と、敵駆逐艦戦隊との戦闘で武勲を挙げているクリフォードに接触した。
マイヤーズには大佐への昇進と勲章を餌に第三艦隊の転進が合理的であったと証言するよう迫り、クリフォードに対しては生存者数の多さを指摘し不利な証言を行わないよう恫喝を行った。
「……君の艦の生存者が異常に多いのは戦闘継続可能な状況で艦を捨てたからではないのか? もし、そうであるなら敵前逃亡にも匹敵する所業だ。多少の武勲など関係なく軍法会議にかけることになる。今の名声を失いたくはなかろう……話は変わるが、君も第三艦隊の行動に疑問を感じていないのではないかね」
リンドグレーンは既に異例の出世を遂げているクリフォードに対し昇進の約束より恫喝の方が有効であると考えた。
それに対し、クリフォードは毅然とした態度で反論する。
「第三艦隊の行動について証言を求められた場合には、軍人としての責務と良心に従って証言いたします。また、艦を放棄した件ですが、
リンドグレーンは最後の言葉を自分の行為に対する非難と受け取った。
クリフォードにリンドグレーンを非難する意図はなかったが、負い目に感じているリンドグレーンは激怒する。
「コリングウッド少佐! 君は私が恥ずべき行為をしたと言いたいのか! ここには君が頼りにするノースブルックもコパーウィートもおらんのだ! その高慢さが命取りになることを思い知るがいい!」
頭に血が上ったリンドグレーンは、クリフォードが義父であり財務卿のノースブルック伯爵と元第一艦隊司令官で現軍務次官であるコパーウィートの力を背景に自分を恐れないと勘違いした。
リンドグレーンはクリフォードが戦闘継続可能な状態で艦を放棄し戦闘を回避したとして
この件に関し、マイヤーズは戦闘記録を第三艦隊司令部に提出し、クリフォードの行為が正当なものであると主張したが、その戦闘記録はリンドグレーンにより握り潰された。
また、副長であるオーウェル大尉などレディバードの乗組員たちは最後まで戦ったクリフォードを不当に拘束したことに抗議し、それが聞き入れないと分かると独自に行動を開始した。
准士官や下士官たちは独自のネットワークを持っており、そのネットワークを使ってクリフォードが不当に逮捕されたことを艦隊内に広めていく。
更にオーウェルは第一艦隊にいる元同僚の士官に対し、負傷した機関長を助けるため、脱出を遅らせて救助に当たった話などを広めていった。
リンドグレーンは下級士官や下士官兵たちの行動に注意を払わなかった。彼は怒りに任せてクリフォードを査問会議に掛けようとした。
査問会議は艦隊内で行われるため、秘密裏に処理できると考えたが、この情報は下級士官や下士官兵たちによって他の艦隊に伝わり、その結果総司令部にも伝わった。
そして、サクストンやハース、更には奮闘した第九艦隊司令官エルフィンストーン提督らを激怒させる。
“
「砲艦で二隻の駆逐艦を沈めた勇者を卑怯者のリンドグレーンが裁くだと! いつから我が軍はゾンファと同じになったのだ! このような破廉恥なことが許されるはずがない!」
サクストンはハースに対し、
「これほど愚かであるなら、直ちに解任した方がよいのではないか」と憮然とした表情で言い、ハースもこの状況に至っては軍の士気を下げる行為を見過ごすわけにはいかず、
「対処いたします」と答えるしかなかった。
彼女は
(私が軍の士気を考慮して穏便に済まそうとしたのに台無しにしてくれたわ。そうは言ってもここは敵地。まだシアメンから敵の輸送艦隊が戻ってくるには数日掛かるわ。でも、少なくとも“クリフエッジ”の坊やを見殺しにするわけにはいかないわね。それこそ軍の士気に関わるから……)
ハースは第三艦隊の旗艦マグニフィセント08に自ら乗り込んだ。そして、リンドグレーンに面会を申し込んだ。
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