第37話

 宇宙暦SE四五一八年七月二十四日 標準時間〇八二〇。


 ホアン・ゴングゥル上将率いるヤシマ侵攻艦隊は二倍近いアルビオン艦隊とジャンプポイントJPに敷設されたステルス機雷を前に苦戦を強いられている。


 ホアン艦隊に属する戦艦ルーシャンはアルビオン第九艦隊の巡航戦艦インヴィンシブル級インフレキシブル35と死闘を繰り広げていた。


 最左翼に配置された第九艦隊は勇将ジークフリード・エルフィンストーン提督の指揮の下、最も早く敵と接触していた。まさに“一番槍”という言葉を思い浮かべるほどの前進だった。


 第二巡航戦艦戦隊に所属するインフレキシブル35は加速力を生かした芸術的な機動で敵を翻弄しながら、ホアン艦隊に深く浸透していく。


 一方のホアン艦隊もこれ以上の侵入は戦列の分断を意味するため、必死に抵抗する。


 通常戦艦であるルーシャンは巡航戦艦に比べ高い防御力を誇るが、ジャンプアウト直後のステルス機雷による攻撃により防御スクリーンの機能が低下し、その特性を生かしきれずにいた。


 インフレキシブルの艦長フォレスター大佐はルーシャンの防御力の低下を見抜き、戦術士に向かって、「戦艦を血祭りに上げるぞ! そのまま敵中を突破する!」と獰猛な笑みを見せる。


 一方のルーシャンの艦長リー大佐はインフレキシブルが自艦を突破し、戦列を分断しようとしていることに気づいていた。


 ホアン上将の下に長くいる彼は上司の影響を強く受け、CICのシートから激しい闘志を見せ、「敵を止めろ! 止めてしまえば重巡航艦と大して変わらん!」と叫び、インフレキシブルに向け主砲を撃つよう命じた。


 インフレキシブルとルーシャンは、宇宙空間では零距離といえるほど接近した状態で、主砲を撃ち合った。

 二十五テラワットの反物質がキロメートル単位という極近距離ですれ違っていく。


 インフレキシブルの放った陽電子は敵に見事に命中した。

 損害こそ与えられなかったものの、ルーシャンの防御スクリーンは過負荷状態に陥った。一方、ルーシャンの砲撃はインフレキシブルの巧みな機動により回避された。


 この時、インフレキシブルは思わぬ落とし穴に陥っていた。ルーシャンに気を取られすぎ、味方の戦列から大きく突出してしまったのだ。


 しかし、戦場の真ん中で減速することは致命的な弱点を曝すことになる。フォレスター艦長はベクトルを変えて動き続けることで速度を落とさずに戦列の前進を待とうとした。


 その機動は敵に側面を晒すことになる。混戦状態となっている戦場では大きな失態とは言えないものの、目の前の強敵と対峙している状態では致命的なミスだった。


 巡航戦艦であるインフレキシブルの防御スクリーンは戦艦の主砲に耐え得るものではない。特に側面の防御スクリーンは重巡航艦とさほど変わらず、戦艦の主砲は容易にスクリーンを突き破る。


 主砲を連射していたルーシャンが放った砲撃が偶然、インフレキシブルの側面を貫いた。大量の陽電子が起こす対消滅反応により、インフレキシブルは小型の超新星となり、宇宙そらの藻屑となって消滅した。


 フォレスター以下の乗組員たちは自らに何が起こったのか知ることなく、原子レベルにまで分解される。


 勇敵を倒したルーシャンだったが、喜びもつかの間、運が悪いことにインフレキシブルの爆発によって発生した質量数千トンのデブリの直撃を受けてしまった。


 防御スクリーンが万全なら中破程度の損傷で済んだのだが、元々低下していたことに加え、インフレキシブルとの死闘により過負荷状態になったスクリーンにそれだけの質量を持ったデブリを弾き飛ばす力はなかった。


 艦首に命中したデブリはルーシャンの艦体を大きく潰していく。更にその衝撃荷重によりルーシャンのベクトルが変えられ、艦体に大きな回転力を与えていった。


 ルーシャンはスラスターを使い、必死にコントロールを試みたが、スラスターの加速力では独楽のように回り始めた艦をすぐに止めることはできない。結局、僚艦と接触し、共に爆散した。


 その光景を偶然見ていたエルフィンストーンとホアンは同時に「何をやっている!」と全く同じ言葉を吐き出していた。


 エルフィンストーンは戦列の立て直しを再度命じると、総司令官サクストン提督に具申するため、回線を開いた。


「ご覧の通り、敵は混乱しています。今、右翼の第三艦隊を押し出せば、敵を一気に殲滅できます」


 この時、アルビオン艦隊はホアン艦隊と零距離といえるほど接近し、第三艦隊以外の艦隊がホアン艦隊と激しい交戦を繰り広げていた。第三艦隊はゆっくりと前進しながら、敵の左翼を散発的に攻撃するのみで、積極的な攻勢を行っていなかった。


 サクストンはエルフィンストーンの意見具申に大きく頷くと、「第三艦隊のリンドグレーン提督に連絡。直ちに最大戦速で前進し、敵ヤシマ侵攻艦隊の側面を脅かせ」と通信士に命じた。


 エルフィンストーンは「ありがとうございます」と言って満足げに頷くと、すぐに麾下の艦隊の再編に掛かった。


 総司令部からの命令を受け取ったハワード・リンドグレーン提督は前進することを躊躇っていた。


(後方のマオ艦隊が迫っている。ホアン艦隊の側面を突くということは我が艦隊が最も前進するということだ。場合によっては敵中に孤立するかもしれん……ホアン艦隊が戻ってきたということは、ヤシマは既に解放されているのだ。戦略目的は達しているのに、無理をして戦力を損耗することに何の意味がある……)


 リンドグレーンは一度目の命令に対し、「後背の敵への備えが必要である」という意見具申を行った。


 それに対し、サクストンは「後背の敵への備えは現時点では不要。前方の敵に集中せよ」と返した。


 リンドグレーンはそれでも「ホアン艦隊は正面の五個艦隊で充分に対応できるはず。我が艦隊は全軍の崩壊を防ぐため、マオ艦隊に向かうべきである」と再度回答した。


 サクストンは怒りを抑えながら、「総司令部の命令である。直ちに前進し、敵側面を攻撃せよ」と命じる。


 リンドグレーンから「我が第三艦隊が向かえば、マオ艦隊は必ず減速する。それにより時間を稼ぐことができる」と回答がなされると、遂にサクストンの怒りが爆発した。


「マオ艦隊は第三艦隊を無視する可能性が高い……議論は無用! これ以上の時間の浪費は利敵行為と看做す!」


 怒気を込めて返信した。普段の彼なら最後の一言は加えなかっただろうが、それほど戦況に余裕がなかったのだ。


 リンドグレーンは利敵行為という言葉に「何という言い草だ!」と激高する。


「サクストン提督に総司令官たる資格なし! 第三艦隊は祖国の危機を回避するため、独自に行動する!」


 一方的に通信を送ると、指揮下の艦に対し、転進を命じた。


「後方から迫ってくるマオ艦隊を牽制する。前進を中止し、直ちにマオ艦隊の側面を突く進路を取れ!」


 彼の幕僚たちは「それでは総司令部の命令に……」と反対の意思を表明するが、


「我々が向かわねば戦線が崩壊する! 命令に従え!」とサクストンへの怒りを幕僚たちに向けた。


 幕僚たちは顔を見合わせるものの、戦場においては直属の上官の命令に従わざるを得ない。


 特に大きな裁量権を持つ艦隊司令官の命令に逆らうことは抗命罪に当たり、正当な理由があっても軍法会議にかけられ、有罪となる可能性が高い。彼らは仕方なく、各艦に進路変更を伝えていく。


 第三艦隊司令部から伝えられた航路はアルビオン艦隊の後背を直接守るものではなかった。それはマオ艦隊の右側面を突く航路だった。


 リンドグレーンの作戦はマオ艦隊の側面を脅かし、進攻を遅らせることにあった。戦術としては合理性が認められるが、この航路は退路であるハイフォン星系側JPに向かう航路と一致しており、それが戦後に疑惑を招くことになる。


 多くの将兵が疑問を持つ中、リンドグレーンの命令は第三艦隊を動かしていく。



 サクストンは指揮系統を無視した行動に激怒し、第三艦隊副司令官にリンドグレーンの指揮権を奪うよう命じようとしたが、総参謀長アデル・ハース中将がそれを押し留める。


「これ以上、第三艦隊に混乱を与えては敵に利することになります。今は前方の敵に集中し、第三艦隊がマオ艦隊を牽制してくれることに期待しましょう」


 ハース自身、第三艦隊が成功するとは思っておらず、腸が煮えくり返るほど怒りを覚えていた。しかし、ここで怒りに任せた行動を取れば、全軍の崩壊を早めると思ったに過ぎない。


(生きて帰れたら、必ず報いは受けてもらうわ! あなたの勝手な行動で何万というアルビオン将兵が死ぬのだから……)


 エルフィンストーンを始め、他の艦隊の司令官に動揺が見られたものの、執拗に抵抗しているホアン艦隊を殲滅することが先だとリンドグレーンの行動を頭から締め出す。そして、その怒りをぶつけるかのように「敵戦列を突破せよ!」と異口同音に命じていた。



■■■


 ジュンツェン防衛艦隊司令官マオ・チーガイ上将は、敵の最右翼が自分たちに向かってくることに、最初は自らの目を疑った。


(なぜだ? あのままホアン艦隊の側面を突けば、奴らの勝利は確実だった……サクストンも全軍を把握しきれていないということか……ならば、我らに勝機は残っている!)


 マオ艦隊の誰もがそう思い、旗艦のCICでは沈黙が支配する。幕僚の一人がその沈黙を破った。


「どうしますか? 減速して迎え撃ちますか?」


 マオは即座に「このまま敵本隊に向かう! 減速は不要」と言って、アルビオン第三艦隊を無視する形で、〇・一光速での慣性航行を続行させる。

 彼はこの機会を最大限に利用することを考え始めていた。


(一個艦隊が抜ければ、総数はほぼ互角。いや、挟撃が可能な我々の方が有利になる……敵第三艦隊は無視してもよかろう……)

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