空母いぶき ー19.5.29.

監督:若松節朗



「エンタメとしての限界、そのさじ加減の良さ。」

原作は一切、知らない。

その状態で想像していたのは、もっとプロパガンダ色の強い、

言い換えるなら単純なあおり映画かと思っていた。

が実際は、きれいごとにも、ナショナリズムにもカタルシスをおいていない、

案外と押さえた内容になっていたなと感じる。


おそらく原作をご存じの方はぬるさ、物足りなさに不満を抱くのではないだろうか。しかし映画は好みにより原作など読まないだろう人へ向けても配慮されているふしが多々あり、

物足りなさ等は軍事面、政治面からある種のマニアックさを端折ることで、

とっつきやすさを演出した結果のようにも感じられる。


それでもブレない点はテーマとして1本、筋を通しており、

ここに大衆エンタメとして成立させるための限界と、

しかしながら易く終わらぬそのさじ加減の良さを見たように思う。


佐藤浩一さんと、真逆路線をゆく中井貴一さんの演技も見ものかとオススメ。



タラレバ世界、シュミレーションものだ。

もし、第三次世界大戦の引き金となり得る有事が密かに起きていたら。

SFやファンタジーならどこかで跳躍的展開が行われるが、

シュミレーションものは常に現実をベースにしているため、跳躍で結末を呼び寄せるのではなく、妥協、落としどころ、に結末を設定する。

そのありそうでない、シビアさが見ものだったり。

こうした物語の前提にあるのは、鑑賞者もまたシュミレーションについてゆけるだけの同じ基礎知識がある、だろう。

だがこれがなかなか難しく、ここで情報豊富な人に沿えばマニアックとなり、平凡、もしくは不足気味な人に合わせると腰砕けに終わる。

フォローするため劇中で不足な人向けの「説明」を挟んだりするのは常套だが、これが豊富な人には蛇足となりバランスが難しい。

もちろんこれはモノカキにも言えることで、いわゆる地の文での設定説明、に当たる。

この説明量には限界がある以上、自由に調整できる箇所は残る「マニアックさ加減」となるわけだが、本作においてはそのギリギリを攻めた、という印象が強かった。(NRの知識量に準ずる)

ということはつまりだ。

もし自身がシュミレーションものを書く場合、自身の知識量に酔って全開で書いてはいけない、ということだろう。

俯瞰で見て調整できる程度、さらに知識を仕入れておくか、

俯瞰で見て調整できる程度、抑えて書くか

が読みよいキモではないのか、と感じるのである。

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