万引き家族 ー19.10.21.

監督:是枝裕和



「人たらしかニセ家族か」

登場人物のだれもがドメスティックな傷を抱えている。

しかしながら人の手を借りずには生きられない時、

知らず知らずに身についたものが、いや本能からか

「人たらし」という人心掌握の方法だったとして、

それこそが庇護を受けねば生きられぬ子供の無敵な笑みよろしく、

「愛情」の原点だったのではと思い巡らせる。


家族における機能不全は愛情の有無ではなく、

自身もまた弱者である、ということへの自覚、無自覚にあるのではないか、

と考えるのである。


特に弱者の自覚がある主人公らは過剰に受け入れると、

「人たらし」として互いに依存し「万引き家族」として暮らしていたわけだが、

それがどれほど歪んでいようがむしろ、

ゆえに真の家族として成立する関係になれたのでは、と振り返る。

同時に、その絆の濃さに、そうしなければ生きてゆけないのだという弱者の孤独を、

打算を感じずにはおれず、始終殺伐さもまた感じ続けた作品だった。


家族のあり方、と語られていたがむしろ、

親密な関係や親和性の必要、

その健全についていろいろ考えさせられた作品だった。



是枝監督の「映画を撮りながら考えたこと」を読んでいる。

印象に残っているのは、ドキュメンタリーの現場で培った対象への向き合い方だろうか。(もう曖昧)

相手は自身でない以上、思うように動いてくれるはずもなく、

その中でナニをどう撮ってゆくのか、ブレずに進んでゆく人間力が印象にある。

(ご本人はブレまくり、とおっしゃられそうだけれど、印象として)

時にモノカキにおいてキャラクターが勝手に動き出すという事態は起きるが

思う通りに動かすことが作業のほとんどで、

そうしたドキュメンタリーの現場を思うと、どれだけシリアスぶろうが

むしろシリアスであればあるほどちゃんちゃら笑えて来る甘さを感じる。

事実確認を取らないのがわたくしのスタイルだとして、

本作もまた奇想天外な作り話ではなく、かつてあった事実がベースとふんだんに織り込まれたものではないかと感じてやまない。

是枝監督だからか、ドキュメンタリー風ではなく、エンタメ風のドキュメンタリーと仕上がっているのだよな、と思わずにはおれない凄味を感じるのである。

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