Fukushima 50 ー20.3.11.

監督:若松節朗



「領分を知る」

松の廊下調で「いかにも日本的な演出」なのでは、と少々警戒していたが

冒頭から切り込むスピーディーかつ、あえて専門用語をセリフで説明したり、素人向けのテロップが入ることもないドライな展開に想像以上、好感を持つ。


鑑賞しながら「シンゴジラ」と対になりそうだと過った。

HBOの「チェルノブイリ」も見たがこの三本、原子力の功罪や政治家と専門家についてそれぞれ異なる描き方をしており、比べることで本作の過不足もなおよく見えてくるのでは、と思う。


未曽有の事態にみな必死なのだが、なぜかみ合わないのか。

忖度が介在していたとして、事態に見合うトップを選ぶこともひとつ能力であると思え、また据えた組織に素早く指揮系統を移行することも大切だと思えてならない。

それで万事OKではないが、それぞれに「自分の領分」を知ることもまた危機管理だと本作より考えるのである。



米映画では普通にある、国を批判した内容の映画。

知る限り最高峰は「ゼロダークサーティ」か。(にもかかわらずエンタメとして上映を許可、ショーレースに上がってもおとがめなしはさすが、アメリカ。思えて仕方ない。)

比べて日本じゃダメだろうな、と思っていたが上記の通りで、善戦していると感じる。

当事者が持つ批判的視点、というのは本当に難しいと思う。

外圧もさることながら、立ち位置が必ず死角を作るからだ。それが肩入れなのか、思い込みなのか、自身の成育歴を投影したものなのかは不明だが、とにかくフラット、他人事のように見ることは難しい。

そしてモノカキにおいてここから何を連想するかといえば改稿作業で、誤字脱字や誤用はともかく、自身が書こう、書きたいと思っている対象そのものや、挑むスタンス自体ともなればもう、それでよかったのか、検証することはかなり高度に思えてならない。

けれど案外、それら出だしから偏っていたなら炉は暴走、手の付けられない結末を迎えてしまったりする。

顔面蒼白、黒歴史など。


あともうひとつ、デザスターものは群像劇が定形と感じているが、

群衆を扱いつつも個性を輝かせる、という出過ぎず、引っ込み過ぎない登場人物の描写加減が、本作成功のカギでもあるよな、と眺めるのである。

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