13 五度目の探索
いよいよ明日がお祭り当日だ! という段階になってようやく探していた殺傷現場を見つけることができた。そこは商店街から近くの川へと向かう裏路地の道で、私もまさかそこに提灯が飾られているだなんて思いもよらなかった所だった。………ついでに言うと、春先に出会った魔術師の男が私を攫ったビルのすぐ近くでもあった。まったく嫌な思い出だ。
「ここよここ! あーよかった見つかって! もうダメかと思った!」
占い師が日傘の中棒で肩を叩きながら嬉しそうに傘をくるくる回す。
占い師が指差した場所は、全体的にひっそりとした場所だった。昔は企業のテナントが入っていたであろう五階建てくらいのビルがポツポツと建っていて、そのビルの間を埋めるように駐車場だったりボロ屋だったり空き地があった。誰もいないテナントの中は瓦礫が床に転がっていたり日焼けして薄くなってしまった謎のポスターが壁に放置されていたりしている。そんな区画ではあるけれど誰もいないわけではないようで、時々ビルから人が出てきたり入っていったりしていたし、犬の散歩コースにしている人もいた。
「この辺りでね! こう、ナイフを持ってきた人がダダーッとやって来て、んで被害者の男性は脇腹あたりからブシャーッてなるのよ! そこで叫び声! 救急車〜ってなるのがこの場所! わかるかしら!?」
占い師は目的の場所を見つけることができてご機嫌なのか、擬音てんこ盛りな説明を必死に繰り返す。その姿、まるで一人劇場だわ。コントみたい。
一通り説明をして落ち着いたのか、占い師は腕を組んだ。
「まあこればっかりは因果応報な気もするけどねー。お天道様は悪事も善事もちゃんと見てる。だからそうなるのはしゃーない。でもまあ、知ってて死なれるのは気持ち悪いしね。優くんがいればそれも変えられるでしょう。うんうん私ってばいい仕事したわ! 私も現場に来て被害者から命を救ったってことで礼金でももらおうかしら」
「危ないので来ないでください」
占い師の提案に呆れたのか優人さんが淡々とそう言った。その言葉が嬉しかったのだろう、占い師はちょっとしおらしくなって日傘をクルクルと回す。
けれど優人さんはそんな占い師の揺れる気持ちなんてこれっぽっちも気付かない。
「それじゃ俺は帰ります」
そう言ってさっさと来た道を引き返し始めた。そりゃそうだろう、探していた場所が見つかったのだ。後の仕事は実際の殺傷を防ぐこと。これ以上こうやってここに三人いても意味はない。
私も優人さんの後を追いかけるようにして少し駆ける。
「あ、ちょっと待って!」
「へ?」
占い師がそう言って、なぜか私の手首を掴んだ。
………………………何で?
「え? 私?」
「そ。あなたよあなた。ねえ優くん」
占い師が呼び止めたのが私だと知って優人さんが不思議そうに振り向いた。状況がよく理解できないらしく少し首を傾げている。ついでに私も意味がわからなくて首を傾げる。
「この子、借りてもいい? 私の休憩時間まだ一時間くらいあるからその間だけでも。ね? いいでしょ?」
その言葉に心底びっくりする。
何で?! なんで優人さんじゃなくて私?! 私じゃなきゃダメな用事でもあるのかな? いや、占い師が私を必要とするような事なんて何も思いつかないんですけど!
必死に掴まれた手首を外そうと腕を上下に振るけれど、ガッチリと掴まれていて離せない! 見た目以上に握力のある人だな! と心の中で悪態を吐く。
私は助けを求めるために優人さんを見る。優人さんは私たちの様子を不思議そうに見ているだけで近づこうともしない。
「………危ないことに巻き込んだりしないですよね?」
「私を何だと思っているのよぅ。そんなことしませーん。私はこの子と二人だけでほんのちょっとお話したいだけよ」
占い師は優人さんの疑いが不満だったらしく頬を思いっきり膨らませた。
いや、二人だけでしたい話って何?! やだ恐怖! 私はこの人と話したいことなんて特にないんですけど!
「は、話なら事務所でしましょうよ! 二人だけで話すことなんて私、特に何も」
「あなたになくても私にはあるのよ。いいじゃない。女子会よ女子会。あなたは大人しく私について来ればそれでいいの!」
いっ、嫌だあー!!!
必死に優人さんに助けて! と視線を送る。
けれど。
「………一時間経ったらちゃんと解放してください」
と言ってさっさと帰ってしまった。この裏切り者ー! ばかー! 今度夕飯のメニューをお茶漬けオンリーにしちゃうぞこのヤロー!
私は占い師の手を解くことができず、ただただ優人さんが去っていくその後ろ姿を見送るしかなかった。
優人さんの姿が見えなくなって私は抵抗するのを諦める。諦めたところで占い師はようやく掴んでいた手首を解放してくれた。物凄い握力で握られていたから皮膚がヒリヒリと痛む。見たら真っ赤になっていた。どんだけ怪力やねん。
「さて、と。どこに行こうかしら? ねえ、この辺りで二人でゆっくり話ができる所とか知ってる?」
呑気な占い師の言葉にため息が溢れた。
「………美味しいクレープとガレットのお店なら」
ななみと行ったマダムたちが御用達しそうな雰囲気のお店を思い出す。店名が長ったらしくて覚えられないけれど紅茶がめっちゃ美味しかったあの店だ。ここからならそう遠くない。せっかく行くのならあの店がいいだろう。
「そ。ならそこに行きましょ。案内して? 鶴崎和香奈さん」
占い師はそう言って満面の笑みを見せた。
お店に行くとやっぱり店内はマダムっぽい人ばかりで学生の私には場違い甚だしかった。けれど占い師はその美貌もあってか店の雰囲気にすんなりと馴染む。ホント、羨ましい限り。
「ふぅ〜ん、こんなお店もあるのねぇ。知らなかったわ。最近できた店なの?」
「はい。確か今年の春、だったかな?」
私と占い師は店の奥の席に向かい合って座った。そこは他のお客さんたちの席とはちょっと離れていて、ヒソヒソ話をしようと思えば最適な場所だ。運がいいのか悪いのかちょっと悩む。
占い師はにこやかにメニュー表を捲りクレープと紅茶を頼んだ。私は食べる気になれなかったので紅茶だけを頼む。ちょっと見栄を張りたかったから一番高い紅茶にしてやった。ここまでくると正直ヤケである。紅茶、美味しいといいな!
少ししてから注文した物がテーブルに運ばれた。それを受け取ってすぐに占い師が周囲に簡単な結界を張ったのが見えた。薄い紫色のような赤色が私たちの席をぐるりと囲む。
「さてと。これで誰にも邪魔されずに話ができるわね」
占い師がニコッと笑う。
誰にも邪魔されずに話ができるって何?! なんですか?! どんな話を私としようっていうの?! 怖いんですけど!
「な、何を話すんです? 私、たいしたこと知りませんよ? というか占い師さんが知りたいようなことは何も知りません! お金になりそうなこともありません! むしろ借金まみれです!」
「何よあなた。その歳で借金背負ってるの? あんまり褒められたことじゃないわねぇ」
ですよね! それは私もわかってます! でもこれは不可抗力の結果だから! 自分の命をお守りで守った結果だから仕様が無いの! これに関してはさすがに最近諦めてる!
店内はエアコンが効いているというのに妙な冷や汗がダラダラと流れる。なんとか気持ちを落ち着かせようとして紅茶を飲むと、その美味しさに感動してしまった。さすがは高級茶葉、香りが格段だし味も風味豊か。これは飲んで正解だった。美味しい。焦る気持ちがそれでなんとか抑えることができた。
「そんなに警戒しないでよ。私、あなたのことを知りたいのよ。せっかくこうやって出会ったんだもの。もうちょっと仲良くしない?」
「仲良く、ですか? なんで?」
占い師とここ五日間、毎日数時間歩き続けてわかったのは、この人と私はあまり相性が良くないってこと。この人と話していると、どうしても私の気持ちはささくれ立ってしまう。どうしてそうなるのか理由はわからない。でも、そうなってしまうものは仕方がないじゃないか。なら仲良くなろうだなんて無理にしないで距離を取るのが一番安全。一番平和。
───そう思って私はあんまり会話をしようとしなかったのに。
占い師は美味しそうにクレープを頬張る。ちなみに占い師が頼んだクレープはオレンジとグレープフルーツの蜜煮クレープだ。なかなかに美味しそうである。
「だってあなた、私のことずっと警戒してるんだもの。気持ちはわかるけどね。知られたくもないことを相手が勝手に感じ取ってしまう、それは気味の悪いことだもの。私との会話、気をつけるように言われたでしょ?」
そう言われてドキリとする。優人さんとの会話を思い出したからだ。
『生駒家は魂を見て起こるべき未来を知る。知った未来を言葉で確定することに長けているんだ。つまり、魂の形に強制力を持たせることができる』
優人さんはそう言っていた。つまりこの占い師は会話をすることで私の未来をうっかり狭めてくる可能性があるってこと。優人さんはそれを回避する方法を知っているみたいだけれど、私はそんなの知らない。だからこの人が悪の化身になってしまったら私はその生贄にならざるを得ない! ヤダ! 恐怖!
私が怯えているのが気に食わないのか占い師が眉を寄せた。
「どぉーせ優くんから変な知識植え付けられたんでしょ。まあ間違ってはいないんだけど! その通りなんですけど! でもだからってそんなに警戒しなくったっていいじゃない! 優くんも優くんだし苫田さんも苫田さんだわ。二人とも甘やかしすぎ! なんなのよもう!」
「間違ってないんですか………」
恐怖じゃん。マジで。
占い師は紅茶を一口飲んでため息をついた。
「間違っていないわよ。でもね、私もこの道のプロよ? 自分の欲望でやりたい放題やったらしっぺ返しを喰らうことくらい、よくよくわかっている。だからあなたに何かをするだなんてことプライドに懸けてしないわ。約束する。だから猫被るのやめてくれない?」
見ると、占い師の瞳は真剣だった。それだけ真面目に私と話をしたいと思ってくれていることがわかって、ちょっとだけこの人と話をしてみようかという気になった。気は乗らないけど。
「………別に猫なんか被ってません」
「被ってるわよ。あなた、私の名前を意地でも言わないでいるつもり? まあそれを言うなら私も同じだけど。………そうね。ならまずはきちんと自己紹介から始めましょう」
占い師は一度、空咳をする。
「初めまして。私は占い師で魔術師の生駒羽津美。占い師界の生駒といえば魂による予見と確定・束縛を得意とすることで有名よ。そのため有力な政治家や金持ちに重宝されている。おかげで実家は大金持ち。つまり私はお嬢様。だから私は気ままに全国津々浦々旅をしながらお客がいれば求められるがままに占う、のんびり占い旅を続けている流れの魔術師よ。よろしく」
………わあ、なんの嫌味ですかこの自己紹介。あれですか? 一般市民とは格が違うのだと言いたいのですか? やっぱりちょっと腹立つぞ?
でも自己紹介は自己紹介だ。相手がしてくれたのなら私もするべきだろう。
「えっと………私は鶴崎和香奈。暘谷高等学校の一年生です。この春にちょっと魔術師に命を狙われまして、優人さんと苫田さんに助けられた縁で魔警でアルバイトしてます。苫田さんの弟子です。んー………家は普通です」
自分で言いながら、私しょぼいな、と少し落ち込む。向こうはお嬢様でこっちは普通の人間だ。ついでに向こうはめっちゃ美人でこっちは平々凡々な容姿。仲良くなれる節点なんてまったく無い。絶望的だ。
───やっぱり、この人は苦手だ。
「そ。じゃああなたのことは鶴崎さんを呼ばせてもらうわね。で、鶴崎さんはその………………どう思ってるの?」
「? 何がですか? 魔術師のことです? それとも魔警のこと?」
占い師、じゃなかった、生駒さん、は眉を寄せて睨むように私を見ている。
この質問じゃ何を知りたいのじゃさっぱりわからない。何を聞きたいんだこの人は。
「あー、あれですか? 占い師の企業秘密のこと? 多少気になります」
「違う! なんでわかんないかな?! その、何ってそりゃ………………………優くんのこと」
「へ?」
生駒さんは頬を真っ赤にしてクレープをやけ食いし始めた。丁寧に盛り付けられていたクレープがあっという間に消費されていく。
「優人さんのことをどう思うか、ですか? そりゃ………社会人不適合者だなぁって思ってます」
「そうじゃないでしょー?!」
クレープを完食した占い師が叫んだ。でも大丈夫、結界のおかげで誰もこっちを振り向かない。なんて便利なんだ結界。そのうち私もマスターしよう。
「そうじゃない? いやいや優人さんはホントに生活力皆無ですよ? 掃除は出来ない、電話は取らない、嫌なことは無視する、不貞腐れる、お茶をまともに淹れられないしご飯は用意しないとちゃんと食べないし。あれが社会人不適合者じゃなくてなんなんですか」
表情が動かないからパッと見わからないけれど、なかなかに気分屋さんな人なのだ、優人さんは。二十代半ばにもなってあれじゃ困る。もうちょっと周囲と適応しようと努力して欲しい。人生いろいろあって大変で全部が全部嫌になったのかもしれないけどさ、鳴った電話くらいは取って欲しいもんだ。
「なっ………何よ。詳しいじゃない」
「そりゃ一緒に働いてますもん。嫌でもわかりますよ」
占い師が何故か悔しそうに頬を膨らませて私から目を逸らした。
「ずるい………………ずるいわ。苫田さんめ!」
………なんでそこで苫田さんを恨むのさ?
でもそっか、と納得する。この人は私と女子会をすると言っていたっけ。つまりは恋バナをしようとしたのだ。まったく………恋なんてこれっぽっちもしたことのない私にそれをしようと誘うのはお門違いもいいところだ。
でも、彼女の本命を考えれば私の存在が気になるのは仕方のないことかも。
「それで、生駒さんは優人さんのどこが好きなんです?」
「ひゃうっ?!」
生駒さん、謎の奇声を発する。みるみるうちに顔全体を真っ赤っかに変化させてプルプルと小刻みに震え始めた。まるで生まれたての子鹿である。
「な、なんで、それを知ってるの?!」
「いや、なんでそれが知られないと思ったんですか。バレバレですよ」
まあ、優人さんにはこれっぽっちも気付かれていないけれど。
「ば、バレバレ………?」
「ですよ。思いっきり抱きついたり飲みに誘ったりデートしようと画策したりご機嫌伺ったり。あれ見て優人さんのことが好きなんだなってわかんない人はかなりのにぶちんです。………………不毛ですね」
「きい───! わかってるもん! なんなのよもう!」
生駒さんは腹立たしそうに紅茶を飲む。ヤケ酒ならぬヤケ紅茶だ。
「それで? 優人さんのどこが好きなんですか? 顔? 身長? 中身?」
「中身です! 何この子、見た目重視タイプ? 性格捻じ曲がってるわ。なんでこんな子を苫田さんは弟子に選んだのかしら。信じらんない」
失礼なことをしれっと言うなぁ………。
「確認しただけです。だって外見重視で彼氏選ぶ子っているじゃないですか。生駒さんもそれなのかなって思っただけ。他意はないです」
私は美味しい紅茶を一口飲んで心を落ち着かせる。いかんいかん、この人と話しているとつい喧嘩腰になってしまう。別に私は喧嘩をしたいわけじゃないのだ。といっても恋バナをしたいとも思わないけれど。
「中身………中身ねぇ。優人さんってば結構学者タイプですよね? いつも難しい言葉ばっかり言って魔術のことを説明しようとするんですよ。もうちょっとわかりやすい言葉で言ってくれてもいいのに」
「あ・の・ね! あなた、ものすっごい贅沢させてもらってるって自覚ないの? あの日ノ宮から直接教えてもらっているのよ? 大枚はたいてでも教えて欲しいって願う魔術師は全国にいるのに、それを苫田さんの弟子だから特別に恩恵を受けているの! その有り難さを噛み締めなさい!」
生駒さんはそう言って私を嗜めた。
───また日ノ宮だ。それって本当に何なんだろう?
生駒さんは怒ったように言葉を続ける。
「それに学者タイプだから好きとかじゃないですから! 優くんはほら、優しいじゃない? ちょっとした気遣いができるし、そっと見守ってくれるし、相手を思いやってくれるし、剣の技術はピカイチだし………素敵じゃない」
しおしおと乙女モード全開になってしまった。頬をピンク色に染めて手指をもじもじと交差させては解くを繰り返す。この態度を見ていると、生駒さんは本当に優人さんのことが好きなんだなってわかる。それなのに婚約が破断しただなんて不運だ。
でも、今の優人さんは婚約云々とか関係なさそうだし、猛アタックすればお付き合いとか出来そうなもんだけど。
「告白とかしないんですか?」
私の質問に、生駒さんは乙女モードがすっと終わった。悲しそうでいて諦め切っている。一瞬でそんな態度に変わってしまった。
「………私、嫌われてるもの。告白したって無意味」
「嫌われている? そんなことないでしょ」
生駒さんは何か思い違いをしているんじゃないのか?
優人さんが嫌いな人に出会った時の態度は、そりゃもう完全無視だもの。その後めちゃくちゃ不機嫌になる。ずっと無表情だけどそれをひしひしと感じるのだ。でも生駒さんに会った後にそうなるのかと言われれば必ずしもそうではない。嫌われているだなんて生駒さんの勘違いに違いない。
でも生駒さんは首を横に振った。
「ホントなの。出会い頭にね………無神経なこと言っちゃったから」
「出会い頭って、苫田さんに会いに魔警に来た時のことですか?」
私の問いに生駒さんはこくんと頷いた。
私は先日聞いた話を思い出す。婚約が破断になった後、お母さんに連れられて魔警に来たのが優人さんとの初めての出会いだと言っていた。その時に何かやらかしてしまったのか。
「私が優くんに初めて出会った時、優くんはまだ魔警に来て一週間とかそのくらいだったのよ。すごく傷ついていて………ピリピリしてたなぁ。心閉ざしちゃっててさ。まあ仕方なかったとは思うのよ、ことがことだったし。それを私がきちんとわかっていたらよかったんだけどね」
───魔警に引き取られる子は、魔術師の関わる事件に巻き込まれて帰る場所を無くした魔術師の子供だ。その子たちは魔視正の使い魔・黒猫として魔警で保護される。
優人さんは事件に巻き込まれてすぐくらいに、生駒さんに出会ったのか。
「私、こういう性格じゃない? しかも子供の頃は本当に思ったことを口からポンポン言っちゃう悪癖があってさ。出会ってすぐにぽろっと言っちゃったのよ、可哀想って」
「出会ってすぐに、ですか?」
「そ。顔見た瞬間にいろんなものが見えちゃってね。………なかなかに大変だったんだなって。それでつい、ね」
生駒さんはそのいろいろを口にするつもりはないらしい。顎をついて目を閉じてしまった。
「そんなに………酷い事件だったんですか?」
優人さんが魔警に引き取られるきっかけになった事件。苫田さんはそれを優人さん本人から聞きなさい、と言った。デリケートな内容だからだろう、私もそうすべきだと思う。でも聞き出すのはなかなかに至難だ。だって優人さんは話したくないことになると途端口を閉ざす。無視をする。いつかは聞いてみたいとは思うけど、そのいつかがいつになるのか皆目見当がつかない。
でも、気になるのは気になるのだ。………優人さんが社会人不適合者になった理由はそこにあるのだろうから。
「まあね。あれの原因は環境もあったし義務もあった。いろいろと選択を誤ったのよ。仕方ないとはいえ、優くんにも非はあった。魔警に来る直前にそれを指摘されてもいたのよね。だから尚更私の言葉は彼を怒らせた」
「優人さん、怒ったんですか?」
いつも無表情で淡々としている優人さんが声を荒げるなんて、イメージが湧かない。そんなことをするくらいなら黙って引きこもるタイプだと思う。なんか信じられない。
「怒るっていっても別に何が言ったりとかしたわけじゃないのよ? ただ険悪な表情になったってだけ。でも、あの時の表情は忘れられないなぁ………優くんがあんなに感情を表に出したのを見たのはあれっきり。それだけ、許せない言葉だったのよ」
「そう、なんですか………」
生駒さんが言った「可哀想」という言葉。それに怒った優人さん。………いったい十年前に何があったのだろう。
私は紅茶を一口飲む。
優人さんに何があったのかは気になるけれど、でもこれは女子会で恋バナだ。優人さんの過去話は優人さん本人から聞くのが筋だと思うし、せっかくの恋バナの機会なのだ。なら私が言うべき言葉は決まってる。
「でも、それはそれ。告白したらいいじゃないですか」
私の提案に生駒さんは怒ったように私を睨む。でもこんなことじゃ怯まない。私の神経もだいぶ図太くなったものだ。
「………ねえあなた。私の話、ちゃんと聞いてた?」
「聞いてましたよ。でももう十年も前のことでしょ? もう時効ですよそんなの。それにどうせ優人さんは覚えてないですよ。生駒さんは美人さんだし、あわよくばお付き合い出来ますよ。大丈夫!」
「大丈夫じゃなーいっ!」
生駒さんが両手をグーにして上下に振る。怒っていますよポーズだ。まったく、美人さんはどんな行動をしても許される。羨ましい。私も美人になりたかったなー。
「あのね! 私のことを美人だとかお嬢様だとかいって境界作るのやめてくんない?! 私のこと馬鹿にしてんの?!」
「してませんよ。生駒さんは実際美人さんじゃないですか。美人は特ですよ。羨ましいです。それなのに、何をそんなに怒るんです?」
「私が欲しいもの持ってるクセに、無神経なこと言わないでよ!」
生駒さんが机を叩いた。その衝撃で食器が音を立てる。
「美人になりたかったら努力しなさいよ! あなただって磨けばすっごく可愛くなるじゃない! それなのに何? 私を見ていいなーいいなー言って恋愛感情全部封印して夢目指して頑張りますって、人生舐めてんの?!」
生駒さんの言葉に、思わずむっとしてしまう。恋愛感情を無視して夢のために全力で頑張ろうとすることをどうして非難されなきゃならないんだ。
「舐めてないですよ。私は器用な人間じゃないので全部は無理なんです。何かをほっとかなきゃ成し遂げられないから、恋愛は二の次にするんです。だからちょっと美人さんを羨ましがってもいいじゃないですか。別に誰かを傷つけるわけでもないし」
「私が傷ついてるのよ! このおバカ!」
「バカってなんですかバカって!」
感情が昂る。神経に触る。でも、止められない自分がいる。
───やっぱりこの人との相性は最悪だ。自分の醜い感情を無理矢理曝け出される。だから私はこの人と仲良くなんかなりたくなかったのに。
「バカよバカ! 大バカよ! あなた、優くんのこと心配してるクセに自分はおざなりなのよ! 感情グチャグチャのクセに強がって平気なふりして! もっと真正面から自分に向き合いなさいよ! じゃないと私がみっともないじゃない!」
「なんの話してるんですか! 意味不明なんですけど!」
「じゃあ聞くわよ? あなた、優くんのことどう思ってるの?!」
「私は」
どう───思っているかなんて。
いつも窓枠に座って外を眺めて、全部諦めていて放置していて、自分よりも他人のために頑張っている。優しい人だ。いい人だ。私はいつも、その背中ばかり見ている。
こっちを向いて欲しいな、と思う。
「私は、何よ?」
喧嘩腰に尋ねられる。それに腹が立つ。どうして私の気持ちを確かめようとするんだこの人は。迷惑だ。失礼だ。せっかく無視し続けているっていうのに。
目頭が熱くなる。鼻の奥がツンとする。
「───っ、いい人だと思いますよ! 優人さん、人のために命張って頑張って生きている。だからもうちょっと幸せになって欲しい! 自分のやりたいように生きて欲しい! もっと感情的に怒ったり泣いたり笑ったりすればいいのにって思ってます! これで満足ですか!」
涙が大量にこぼれてきた。あまりの量に自分でもびっくりだ。でも拭ってなんかやるもんか。流れるがままにしておきたい。
勢いよくカップに残っていた紅茶を飲み干す。ガチャンと音を立ててカップを置いた。お行儀悪かったなと少し反省するけれど、でも今はこうでもしないと気持ちの整理なんてできない。
───幸せになって欲しい。心底そう思う。幸せになる権利も価値もある人だと思うもん。それくらい優人さんはいい人だと思う。ちょっと面倒臭いけど。
「な………泣かなくてもいいじゃない。えっと………ごめんなさい」
私が泣き出したことに驚いたのか、生駒さんがそれまでの険悪な雰囲気を引っ込めて謝ってくれた。私は一度深呼吸をして呼吸を整えて、いいえ、と言う。
「私も………すみません。ヒートアップしました」
「いや、まあ私がハッパかけたからね? おとなげなかった。ごめんって。そんな泣かないで。はぁ………………なるほどね。苫田さんはこれを期待してたのか。まったく………私ではダメなわけね」
生駒さんがハンカチを貸してくれたので、大人しくそれを受け取り涙を拭う。数度しゃっくりのような呼吸をして、なんとか溢れていく涙を押しとどめる。
なんとか感情を沈めようと努力する私を見ながら生駒さんが呆れたように、でもどこかほっとしたかのような表情で笑った。
「………何がダメなんです?」
「教えなーい。秘密よ秘密。私にはなくてあなたにはあったモノ。それがわかったからもういいのよ。………これでやっと諦めがつく」
生駒さんが深呼吸して伝票を手に取った。どうやら女子会はこれで終わりらしい。張っていた結界も瞬時に消えた。途端、周囲の音が耳に届き始める。
「あ、ハンカチ。洗って返します」
「ううん。いらない。あげるわそれ。今日の記念に大切に持っておきなさいな」
生駒さんが席を立つ。私も帰ろうと思い立ちあがろうとする。けれどそんな私を生駒さんは手で制した。
「ここのお代も私が払っておく。泣かしちゃったお詫びよ。ホントごめんね。でも、話をしてくれてありがとう………それじゃ、またどこかで」
「え? また、ですか?」
「ええ。また、よ。私は全国津々浦々旅する占い師ですから。お祭りが終わったらここを去るわ。また縁があったら会いましょう」
彼女が笑顔でそう言うのをなぜか不思議と引き止めることができなくて、私は生駒さんが店を出るまでそこから動けなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます