8 帰り道
時刻は二十時を過ぎ日が沈んだ。町には外灯が点き車道を走り抜ける車が忙しなく感じられる。歩道では酔っ払った人の陽気な話し声が、通りをより賑やかにしている。俺と生駒さんはそれらの人に当たらないように気をつけながら少し離れて歩道を歩いていた。
「たまにはこうやって飲みに出るのもいいもんよね〜」
俺の少し先を歩く生駒さんがほろ酔い状態で感想を言う。その言葉に同意も否定もせず、俺は彼女がうっかり車道に出てしまわないように背後から見守っていた。
生駒さんは事務所にやって来て仕事の依頼をした後、占いの仕事に戻るわけでもなく苫田さんとずっと談議していた。苫田さんと彼女の魔術研究は似通っている。話す事は山ほどあるのだろう。そんな二人を俺は興味がないので無視していた。
和香奈は二人の会話に加わることなく大人しく書類整理をしていた。聞き耳は立てていたみたいだが、あまりに専門的な内容すぎて話に加わる勇気もなかったのだと思う。以前よりも手際よく書類を整理していく彼女に少し感心した。
夕方遅くまで生駒さんは苫田さんと話していたのだが、突然何を思ったのか、
「優くん、飲みに行こう!」
と俺を誘った。俺としては生駒さんと話すようなことは何もない。それに和香奈が用意してくれる食事もあるだろう。すぐに断ろうと思った。
しかし生駒さんの発言を聞いた和香奈が、
「いいんじゃないですか? 旧知の間柄なんでしょ? いってらっしゃい」
と俺を見て笑顔で言った。そうなると誘いを断れない。仕方なしに出かけることにした。
生駒さんに連れられて町の飲み屋街を歩き一つの居酒屋で食事をした。大衆居酒屋というものだろう。生駒さんは行き慣れているらしく、彼女は自分の食べたい物や飲みたい物を適当に選んで俺はそれを大人しくいただいた。お酒も生駒さんが強引に薦めるので嗜む程度に飲んだが………正直、疲れた。
店を出て次の店に行くのかと思ったのだが、店を出る時に生駒さんに、
「ねーねー優くん、私、酔っちゃった! ホテルまで送ってー」
と言われた。見る限りそこまで酷くは酔ってはいなさそうだが、本人がそう言うのならそうなのだろう。なので俺と生駒さんは今生駒さんが滞在しているホテルに向かって歩いている。
………夜の町にこうやって飲みに出るのは久々だ。普段一緒に飲みに出る相手もいないし、出る必要性を感じていない。だから久々になった。それに、夜は緊急の連絡が入った時に迅速に対応するため事務所で待機するようにしている。以前飲みに出たのは………もう三年以上前ではないだろうか。その時は苫田さんと一緒に焼き鳥屋に行った。
───あの時どんな話をしたのか、もう覚えてはいない。
「優くんったらしっかりお酒が飲めるようになったのねー。成人したての日に飲みに出た時は全然だったじゃない?」
「………あれから随分と経っていますから」
生駒さんにそう言われて、そういえばそんなこともあったか、と思い出す。あの時は俺の二十歳の誕生日で、生駒さんは事務所にいきなりやって来て突然飲みに誘われたのだった。お店に着くなりいきなりビールを飲めハイボールを飲め焼酎飲め日本酒飲めと次々お酒を注文されて難儀した。一応飲み干すことはできたが、酔いが酷く翌日丸一日寝込むことになってしまった………あの後生駒さんは苫田さんに叱られていた気がする。
「そっかぁあれから四年かぁ。………変わらないと思ってたけど、変わるもんね」
生駒さんは立ち止まることなく道を歩いていく。その足取りは穏やかで思ったほど酔いは回っていなさそうだ。
………生駒さんと初めて会ったのは、やはり十年前か。それ以前から彼女の名前だけは知っていた。何せ占いの生駒だ、知らない魔術師の方が少ないだろう。
生駒家は代々占い師の家系だ。その人の魂を読むことで宿命を見、可能性を垣間見る。それを言葉として定着させる技術を研鑽してきた一族だ。先を知りたい者、運命を変えたいと願う者の願いを叶える占い師一族───それが生駒家。
生駒さんはその一族の本家の長女だ。生駒の占い師としては歴代の中でも優秀な方だと聞いている。ただ彼女は優秀すぎて結果を受け取る側が苦労することも多々ある、と苫田さんは評していた。
「ねえ、優くん。彼女、いつから事務所に出入りしてるの?」
生駒さんが立ち止まり振り返って尋ねる。
彼女、と言われて何の話だろうかと一瞬思ったがすぐに和香奈のことかと思い至った。
「………この春からです」
「彼女、一般人よね? もしかして被害者?」
「部外者に教えられることはありません………生駒さんなら言わなくても知っているでしょうが」
俺は生駒さんの隣を通り過ぎようとすると、生駒さんは並んで歩き始めた。
生駒さんは俺の言葉に頬を膨らませる。
「なによぅ。そんなことないわよー。こういうのは相性ってもんがあるの」
「相性、ですか」
「そうそう。私ってば感覚派だから」
生駒さんは少し俯きながら言葉を続ける。
「私が彼女を見てわかったことってホント少ないんだから。少しくらい教えてくれたっていいじゃない」
「………和香奈のことが気になるんですか?」
そういえば生駒さんは昼の時、和香奈を見て大切にした方がいいと苫田さんに助言していた。和香奈の存在に何か引っかかる点があるのかもしれない。
そう思って尋ねたのだが、
「………………呼び捨てなんだ。ふぅーん」
と俺の質問を無視するような回答をする。
「随分と仲良しなのね、彼女と」
「向こうが俺を呼び捨てにするから俺もそうしているだけですよ」
「なによぅ。だったら私のことも「はつちゃん」とかアダ名で呼んでくれてもいいじゃない。昔っから苗字で呼んで他人行儀でさー。私と優くんの仲なのにさー。ひどいと思うー」
「生駒さんは和香奈と違って年上ですから」
そう答えると生駒さんは厳しい顔になって俺の頬を思いっきりつねった。
「生意気!」
「………………
抗議するが生駒さんはそれでも俺の頬をつねる。払い除けてもよいのだろうが、そうなれば後で何を言われるかわからない。大人しく堪えていると、生駒さんは小さく舌打ちをしてからその手を離した。かなり強くつねられたため頬がヒリヒリと痛む。
「あーあ、もうなんでこうなっちゃったのかなー! 予定ではこんなことにならないでもっと地味ーに何にも起きないはずだったのに! そしたら延々とモヤモヤしていられたのに! どうしてこうなっちゃったんだろ!」
「………何の話ですか」
「運命の話! こんなことになるならさっさと縛っておけば良かった! 苫田さんにしてやられたわ!」
その言葉の物騒さに少しひく。
生駒の人が“縛る”と口にした場合、その言葉の意味は人生の可能性の芽を摘むということだ。それだけ生駒家は魂を言葉で縛ることに長けている。言霊を扱うのが上手いのだ。
………彼女の発言から察するに、この場合縛られるのは俺か。どうしてそんなことをしようとするのか謎だし迷惑だ。彼女の実力なら大抵の魔術師は彼女の縛りに対してどんなに足掻いたところで逆らえなくなるだろう。しかし俺にはそれを解除する技術がある。俺を縛ったところで無意味なことだ。
何をそんなに憤っているのか。思わず溜め息が溢れる。
「苫田さんも苫田さんよ。ずっと放置だったのに急に気を変えちゃってさ。酷いわ。嫌がらせよ。ほったらかしにするなら最後までそうしてくれれば良かったのに」
───彼女が憤っているのは和香奈の存在なのだろうか。事務所内で去年と大きく違う点はそれしかない。生駒さんにとって和香奈の存在は異例の事態だった、だからこんなにも怒っている。そう考えるのが自然だろう。
「苫田さんが弟子を取ったことがそんなに許せないんですか?」
そう尋ねると生駒さんは首を横に振った。
「別に。彼女は悪くないもの。ええ、悪くはない。いい子よあの子。人を裏切ったりしないし相手を思いやってあげられるし前向きだし。これから一・二年は酷く苦労するだろうけど、それは彼女が思い違いをしているから仕方ないわ。それも含めて織り込み済みなんでしょうよ、苫田さんは。………よく見つけてきたなって感じ。これも星の巡り合わせなんだろうなぁ」
そう言って生駒さんは空を見上げた。つられて俺も空を見る。町の明かりが強すぎて星はまるで見えない。ただ暗い空がビルの合間から見えるだけだ。
「………所詮は星の成り行き任せ。そこから何を捨て何を選択し覚悟を決めて先に進むのか。全てはそれにかかってる。それが人の人生ってものだもの。私は選べる時に選ぼうとしなかったから痛い目を見ているだけ。わかっちゃいるんだけどね。………わかっちゃいるけど」
生駒さんはそこで言葉を区切る。そんな彼女を見て───何と声をかけたらいいのか、俺にはわからない。
彼女は彼女にしかわからない未来の世界を見ている。それは通常の人や魔術師そして俺にも見えない、まるで違う世界の姿だろう。先を見る、先がわかる、先を感じられる世界というのはどのようなものなのだろうか。日々に妥協的になってしまうのか、それとも日々を打開していこうと努力できるものなのか。
………彼女と同じ世界を見れる人間はこの星のどれだけいるのか。それを思うと彼女を少し憐れんでしまう自分がいる。
「ねえ、優くん」
生駒さんが足を止めた。見ると瞳が潤んでいる。………かなり酔いが回っているのか、頬が赤い。
「なんですか?」
声をかける。
生駒さんは何かを言いかけ、止めた。
「………今日依頼した人、守ってあげてね」
生駒さんはそう言うと小さく溜め息を吐いて首を横に振った。
───その動作に、少し申し訳ない気持ちが心の奥底に湧き上がる。けれどそれは自分が知ることのない、遠い想いだ。それを無視して彼女の動作を見守る。
生駒さんはゆっくりと息を吸い、
「ここまででいいよ。あとは私、一人で帰れる」
そう言った。
生駒さんが軽やかに俺を数歩追い越す。
「………あと少しですし、送りますよ」
生駒さんが俺の横を通り抜ける時に、そう声をかける。
生駒さんが止まっているホテルまではあと数分歩いた場所にある。そこまで送ることに何の問題もない。
しかし生駒さんは緩やかに首を横に振る。それに合わせて長い髪が左右に揺れた。
「いいよ。もう十分。………それじゃまた明日」
車のヘッドライトと外灯の位置が悪いのか、彼女の表情がよく見えない。けれど辛うじて彼女が笑顔でいることがわかった。
「依頼、絶対解決してね」
生駒さんはそう言うとゆっくりと遠ざかっていった。俺はそんな彼女を追いかけるわけでもなく、その後ろ姿が見えなくなるまでその場から動かなかった。
人混みに紛れて見えなくなるまで、彼女は決して振り向かなかった。
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