4 帰宅

「たーだいまー」

 そう言って玄関を開けると、そこにはおばさんが満面の笑みで立っていた。

「和香奈ちゃ〜ん! アルバイト、お疲れさま〜!」

 おばさんは私に思いっきり抱きつく。その勢いに押されてちょっと後ろに倒れそうになったけれど、なんとか堪えた。そしておばさんの息が少し酒臭いことに気付く。見ると、おばさんの片手にはビールの缶があった。この時間だとお父さんはまだ帰宅していない。一人でビールを飲みながら私の帰宅を待っていたんだと思う。

「おばさん、どうしたのさ」

 突然の訪問はいつものことなのでそこまで驚かないけれど、念の為確認する。もしかしたらとんでもない事態が発生したのかもしれないしね。

 でもおばさんはにこやかだ。私に抱きつきながら、

「え〜だって今日から和香奈ちゃん、夏休みでしょ〜? 一緒に遊ぼうよ〜」

 そう言った。どうやら既に酔っ払っているらしい。

 程よく酔っ払っているおばさんを引きずりながらリビングに行くと、机にはビールのつまみとして購入したであろうピーナッツ類が散らかっていた。ビールの缶は今のところ手元にある一本だけのようなので、飲み始めたのはつい先程みたいだ。………酷い時はこの時点で三本くらい転がっている。おばさんはビールが大好きらしく、いつもものすごい勢いで飲み干す。

 けれど、もしかしたら家に来てしばらくはのんびりしていたとか遊んでいたとかで飲んでいなかったかもしれないし。一応確認しよう。

「おばさん、いつ来たのさ」

「ついさっき〜。和香奈ちゃんってば、こんな時間までアルバイトしてるのね。おばさん、遅いのはあんまり関心しないわぁ」

「遅いっつってもまだ十八時前だよ」

 アルバイトで帰りが遅くなるよりも、十八時前から酒を飲む方が私は関心しないけどなぁ。

 こういう時、おばさんは私に対して過保護だよなぁと思う。それが迷惑ではないけれど、私ももう高校生なんだしとも思ったり。………もしかしてこれがちょっとした反抗期なのかな?

 私の言葉におばさんはムッとした表情をして頬を膨らませた。

「おばさん、やっぱり和香奈ちゃんがアルバイトするの反対〜! まだ高校生なんだし、アルバイトなんてしないで思いっきし遊ぶべきよぉ」

「でも将来医学生になろうと思ったらお金貯めなきゃだもん。我が家は貧乏だからなー」

「医者なんかなるもんじゃないわよぉ。和香奈ちゃんは玉の輿に乗って素敵な奥さんするのが一番よぉ」

 騒ぐおばさんを宥めて椅子に座らせると子供みたいに足をバタバタさせる。いい大人なんだからもうちょっと落ち着いてほしい。

「あ〜あ、どうやったら和香奈ちゃん、諦めてくれるのかなぁ」

 おばさんはピーナッツを口に放り込むとガリガリと音をさせて食べた。ピーナッツを噛み砕く音がとても激しく聞こえる。そしてビールを勢いよく飲んだ。その飲みっぷりが凄まじい。

 ………昔から、おばさんは私が医者になりたいという夢を反対している。おばさん曰く「和香奈ちゃんはお嫁さんが一番いいと思うの!」だそうだ。おばさんは看護師の仕事をしているので、医者という職業に対していろいろと思うところがあるのかもしれない。

 ───でも、こればっかりは譲れないし。

 とりあえずおばさんを放っておいて自室に行き制服から私服へと着替える。

 おばさんは、私のお母さんのお姉さんだ。私のお母さんは早くに病気で死んでしまったので、おばさんは私のことをいつも気にかけてくれる。お父さんがしっかりしていないから、私とお父さんが二人だけで生活するのが心配だったのかもしれない。

 といっても、おばさんは家事炊事掃除が好きじゃないのか興味がないのか、まるでしてくれない。ただ家に遊びに来て私やお父さんとおしゃべりして帰るだけだ。

 お母さんがいなくなってすぐの頃は私の面倒を見るというのが使命だったと思う。けれど気がつけば家事炊事洗濯全部私がしていた。おばさんが家に来てすることは、テレビを見たり私の話し相手になったりお酒を飲んだり一緒にご飯を食べたり、ただただダラダラしている。けれど泊まるとことはない。そこはおばさんの中に線引きがあるみたいで、どんなに酔っ払っても必ず自分の家に帰っていく。変な人だ。

 そんなおばさんは我が家の合鍵を持っている。気が向いた時にふらりと我が家にやってきては時間を潰して帰っていくのだ。中学生時代の友達である藤沢ななみにその話をしたら「不用心すぎね?」と驚かれた。けれど、小さい頃からそんな生活だったからそんなもんだと受け入れている。

 おばさんは私にとって、家族なんだけどちょっと距離感のある女友達兼半同居人なのだ。

 私服に着替えてエプロンを身につけ、夕飯作りを開始する。おばさんは大人しく一人でビールを飲みながらテレビを見ていた。この時間はローカルニュース番組ばかりで、なかなかお気に入りのチャンネルが決まらないらしい。頻繁にチャンネルを切り替えている。

 とりあえずお酒のアテにと思ってきゅうりの浅漬けを用意して持っていくと、とても喜んでくれた。

「和香奈ちゃん〜ありがとう〜大好き!」

「はいはい」

 冷蔵庫を開けたとき、ビール缶六本パックが鎮座しているのは確認済みだ。どうやらおばさんは今日、我が家に飲みに来たらしい。もしかしたらお父さんが帰ってきたら二人で酒宴でも開くのかも。夕飯はそれに合わせたものにしよう。

 そう考えつつ夕飯の準備をする。軽く酔っ払っているおばさんを適当にあしらいながら料理をしていると、おばさんがふいに台所を覗きに来た。

 ───ふと、まるで優人さんみたいなことをするな、と思った。

「おばさん、どうしたの? 何か食べたいものでもある?」

「和香奈ちゃん! お祭り行きましょ!」

 おばさんはテレビを指差している。台所のカウンターからテレビを見ると、来週末は地元で夏祭りが開催されると報道していた。

 そういえば毎年駅通りと商店街が一緒になって大規模な夏祭りイベントが開かれる。日中は駅通りを歩行者天国にしてダンスやら踊りやらをするグループが練り歩き、夜には川で花火が上がるのだ。その間商店街では夏祭りセールが大々的に開催される。町のあっちこっちに屋台も出るし、なかなかにビックイベントなのだ。

「そっかー、夏祭りかー」

「ね! 行きましょ! おばさん浴衣買ってあげる! ね! ね! ね!」

 おばさんはそう言って私に抱きつこうとするのを必死に避ける。私今包丁持ってるからね? 危ないんだからね? 大人なんだからその辺り気をつけてね?

「そうだねー。夏祭り、いいなぁ」

 テレビではテレビ局が夏祭り専用に開設する特別ステージの演目を紹介していた。主な登壇は地元のボランティアによる演奏だったり踊りだったりするみたいだけれど、テレビアナウンサーの収録もあるみたいだ。それを見ているだけでザ・夏祭り! な気分になる。

 莉緒とした会話を思い出す。

 ………匙加減のちょうど良い夏休みイベントとして、この夏祭りは最適でないか? どこかに旅行に出かけるわけでもなく、海や山に行くでもない。大金を出費する必要がなくて、でもお小遣いをちょっとリッチに使えそう。しかも浴衣はおばさんが買ってくれるみたいだし。うんうん、夏休みっぽい。

 地元の夏祭りだから雰囲気がどんなものになるのかはわかっている。それでもいつもと違う雰囲気を味わえる夏祭りってのは楽しいものだ。

「夏祭りって来週末の日曜日だっけ?」

「来週の土曜日の夕方から日曜日の夕方までみたいよ! だからぁ土曜日の夜に花火を見に行きましょう! ちょうど私、仕事休みだし!」

 おばさんはそう言って冷蔵庫からビールを一缶取り出した。台所に来たのはどうやらそれが目的だったらしい。私はそのついでにキャベツと塩昆布の和物をおばさんに手渡す。

「うん、いいよ。一緒に行こう」

「やったぁ! 和香奈ちゃん大好き〜!」

「はいはい」

 おばさんがルンルンとした足取りでリビングに戻るのを確認した時、近くに置いておいたスマホが光った。見ると、メッセージが届いている。

 なんだろうと思って開くと、ななみからだった。

『今度の日曜日に駅前広場に集合!』

 うん、さすがはななみ。こちらの用件などお構いなしだ。

 けれど今週末の日曜日は特に用事はない。もし用事を入れるとするならば、山のような宿題を片付けるかアルバイトに行くくらいだ。

 せっかくの夏休みだし、ななみと久々に遊ぶのもいいかもしれない。

『了解なり』

 と返信する。すると速攻、

『じゃ、十時に現地な〜』

 と返信があった。

 ななみと会うのは高校入学前に一緒に喫茶店に行ったっきりだ。高校生になってどんな風になったのだろう? ななみのことだから相変わらずな気もするけれど。

 ななみは私立の女子校に入学した。当初目標としていた公立高校には落ちてしまったのだ。けれどななみが受かった女子校は県内ではお嬢様学校として有名な高校だ。中はまるで宝塚、という噂を聞いたことがある。………正直、ななみみたいなはっちゃけた子が行くような高校じゃない。

 ななみが学校の校風に感化されてまさかのお嬢様化してたりするんだろうか? ちょっと興味がある。

 週末が楽しみになってきた。

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