第40話 ブリアン夫人の暴露本
発売されたら大ヒット間違いなしとアンジェリクが予想した通り、ブリアン夫人の「ベッドルームの秘密」は最初の版が発売当日に売り切れるほどの大人気だった。
そのあまりにセンセーショナルな内容から、王都ではどんな場所でもその噂でもちきりになった。
中でも最も衝撃的だったのはエルネストの出生にまつわるものだった。
――第二王子、エルネストは王の子ではない。
「まさか」
「嘘でしょ」
驚愕に目を見開きながらも、人々は食い入るようにエルネストの章を読み、知り合いに回し、読んだ内容を人に話した。
王には五人の子があったが、エルネストだけはベアトリス王妃の子ではなかった。
王の愛人クレール夫人が産んだ子だとされている。
夫人と言っても結婚しているわけではなく、貴族の間では妾をしている女性も「夫人」と呼んでいた。クレール夫人も実家であるクレール侯爵家の姓をそのまま名乗っている。
クレール侯爵はエメリーヌの父で、王室とのつながりはエメリーヌにとって最大のステイタスだった。
侯爵令嬢のエメリーヌが学園でも特に威張っていたのはそのためだ。エルネストのことは見下しているくせに、美味しいところはしっかり利用していたのである。
貴族の結婚は家同士の結びつきを強める意味合いが強く、必ず王の承認がいる。そして、離婚は固く禁じられていた。
そのためか、愛人を持つこと自体には比較的寛容なところがあった。
ただ、結婚当初からおしどり夫婦として知られ、王太子ジェラールをはじめ、第三王子クロードと二人の王女という、四人もの王子、王女に恵まれている国王夫妻である。王は国民の人望も厚い人格者で、それは王太子時代から変わらない美点だった。
王も人間だから過ちの一つくらいあると思うしかないが、クレール夫人の存在は昔から王室七不思議の一つと言ってもいいくらい違和感があった。
何度かクレール夫人の謀略疑惑が持ち上がったが、決め手がないまま月日は流れた。
エルネストが生まれた十年後に、モンタン公爵家の第一令嬢アンジェリクとの婚約が調うと、誰もそのことを口にしなくなった。
そして、七不思議的違和感は人々から忘れ去られた。
ブリアン夫人は年齢不詳の魔女のような女性だが、二十年以上も前の王宮でも、その道の教育係として働いていた。王に手ほどきをしたのもブリアン夫人であると噂されているが、真偽のほどは定かではない。
さすがにそこまでは触れていなかったが、「ベッドルームの秘密」には、かなり際どい内容が含まれていた。
貴族の寝室事情に関して、歩く辞書と言われるブリアン夫人は、絶対敵に回してはいけない相手だった。そのことに気づいて後悔した貴族は多かった。
ブリアン夫人が「ベッドルームの秘密」を書くことになったきっかけは、エメリーヌだった。
その道の第一人者であるブリアン夫人は、モンタン公爵家以外でも家庭教師をしていた。
クレール侯爵家のエメリーヌも教えを受けていたが、とにかく態度が悪かった。ブリアン夫人を見下し、真面目な授業を卑猥な言葉で貶め、ついには言ってはいけない一言を言ってしまったらしかった。
年上の女性を侮辱するような、何かとてもひどい一言を。
ブリアン夫人はキレた。
ほかの貴族の令嬢や夫人たちの中にも失礼な態度を取る者はいた。
これまで見聞きした、人には言えないあれこれをぶちまけてやりたいと思った。
とても大事なことを教えてくれていたのに、あまり興味を示せなかったと、アンジェリクは反省していたが、ブリアン夫人から見れば、興味を持つほどではなくても真面目に授業を受けるアンジェリクはいい生徒だった。
実は、ブリアン夫人にその道の家庭教師の仕事を、最初に依頼したのは、アンジェリクの祖父に当たる先代のモンタン公爵オーブリー卿だった。現在のブリアン夫人があるのはオーブリー卿のおかげと言っても過言ではない。
エルネストの出生の秘密について黙っていたのは、ひとえにモンタン公爵家への恩とアンジェリクのためだ。
エルネストとアンジェリクの婚約が解消したことで、ブリアン夫人の中で機が熟した。
エルネストは一介の従僕の子であるとブリアン夫人は書いている。王に薬を盛り、眠らせた上で、クレール夫人が諮った偽りの不倫だったと。
その後、従僕は行方不明となり、真相を知っているのは寝室の番人だったブリアン夫人ただ一人となった。
ブリアン夫人の言葉の真偽を確かめることは誰にもできない。
しかし。
ブリアン夫人の口の堅さは有名だったから、試すように危ない橋を渡って見せる令嬢や夫人がけっこういた。
本に書かれた人たちは、「みんなデタラメだ」と騒いだが、ブリアン夫人以外にも目撃者がいるエピソードも多かったため、その人たちが騒げば騒ぐほど、本の内容は信憑性を増していった。
真偽を暴ける者がいない以上、本に書かれた内容は事実として王都に広まった。
中でもやはり注目を集めたのはエルネストの出生の秘密だった。
それまで大きな顔をしていたクレール侯爵家の人々は引きこもりになり、嫁ぎ先で威張り散らしていたエメリーヌは針の筵に座るような日々を送っているらしい。
そして何より、エルネストの妻となったシャルロットにも人々は注目した。
シャルロットの罪が暴かれた、まさにその日が「ベッドルームの秘密」の発売日だったことは、天が下した罰だったとしか思えない。
「エルネストの妻になった女はモンタン公爵の殺害を諮ったそうだ」
「シャルロットというアバズレで、以前、公爵令嬢を陥れたこともあるらしい」
「クリムに出入りしているところを見た」
王家ゆかりの者としてシャルロットは死罪を免れた。
世の中には事件が溢れている。自分のしたこともすぐに忘れられる。命さえ助かってしまえばどうにでもなると高を括っていたシャルロットは、虎視眈々と次の一手を模索していた。
まだ、貧乏であることに変わりはなかったからだ。
ところが、忘れられるどころか、シャルロットの悪事は日を追うごとにどんどん有名になっていった。ブリアン夫人の本が話題になるにつれ、盛大な尾ひれまでついて広まっていく。
ついには王国一の悪女としてシャルロットの名は全国津々浦々にまで知れ渡り、後世まで残ることになる。
実家のバラボー子爵家の爵位は剥奪され、領地は元の領主であるモンタン公爵家に返還された。
王の耳にも噂は届いた。
噂を元にエルネストの身分を剥奪することはなかったが、ベアトリス妃との間に長年あった唯一のわだかまりが融けたことを、王はひそかに喜んだ。
シャルロットとエルネストは、エルネストに支給される雀の涙ほどの手当てで生活することになったが、王都にはとてもいられず、実家にも顔向けできず、クリムの者からも恨まれたため荒んだ街にすら居場所を持てず、いつの間にかどこかに姿を消してしまった。
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