婚約者の義妹

 三が日を終えて迎えた一月四日。この日、由香里は実家に近況報告に行くとのことで昼過ぎに家を出た。


 由香里と違って特にやることのない浬は、リビングでダラダラと過ごしていたが、突然の来客があった。


 来客は由香里の妹を名乗る女の子だった。由香里に妹がいるという話は聞いたことがないだけに、由香里の妹がいきなり家に来たのは驚きだった。


 何やら浬に話があるとのことだったので、立ち話もなんだということで、とりあえず家に入れリビングへと通した。


 台所で飲み物と菓子の準備をしながら、綺麗な姿勢で座る朱里を盗み見る。素なのか、初めて来た家だからなのか、朱里の表情は険しい。


(あんまり九重とは似てないな……)


 外見からして年齢は中学生ぐらいだろう。まだ幼さが残るが、将来性を感じさせる整った容姿をしている。美人という点では由香里と一緒だが、容姿自体はあまり似てない。


 ボンヤリそんなことを考えながらお茶と菓子の準備を進める。ここ最近台所を使っていたのが由香里だったからか、一人暮らしをしていた頃と比べるとものの位置なんかが微妙に変わっていた。


 多分由香里が自分の使いやすいように変えていった結果だろう。


 浬はお茶と菓子の用意を済ませると、盆に載せてテーブルまで運んだ。


「はい、お待たせ。お茶もお菓子も安物しかないけど、許してくれ」


「いえ、いきなり押しかけたのは私ですから気にしないでください。それに、甘いものは好きですから」


「へえ、甘いものが好きなのは九重と同じなんだな。やっぱり姉妹だからか?」


 容姿はあまり似てないが、好みは一緒みたいだ。


 朱里は浬の言葉に目を丸くする。


「え……あのひ――義姉は甘いものが好きなんですか?」


「ああ、前にケーキを買った時も美味しそうに食べてたぞ。知らなかったのか?」


「あ、いえ、その……義姉は家ではあまりそういうのを食べていなかったので、少し意外だと思って……」


 少し狼狽えた様子で、朱里はそう答えた。まるで初めて知ったというような反応をしていたように見えたのは、浬の気のせいだろうか。


「それで俺に話っていうのは何だ? ええと……」


「私のことは、朱里と呼んでください」


 何と呼ぶべきか迷っていると、朱里が名前で呼ぶ許可を出してくれた。


「分かった、そうさせてもらう。それで朱里ちゃんは何の話があって、ウチに来たんだ?」


「義姉のことを聞きたいと思いまして。こちらでは、義姉はどんな生活を送っているのか教えてもらえませんか?」


「教えるのは別にいいけど、そういう話なら本人に聞いた方が手っ取り早いんじゃないか?」


「そ、それはそうなんですけど……」


 またもや困ったような顔をする朱里。何か由香里に訊けない事情でもあるのだろうか。


「義姉はその、訊ねても教えてくれそうになくて……」


 確かに私生活の話となれば、素直に教えてくれそうにない。浬に話を聞こうとするのも納得だ。


 他人の私生活を本人のいないところで話すのは気が引けるが、朱里は話を聞くためだけにこうしてわざわざ家まで訪ねてきた。それに彼女は由香里の妹でもある。


 姉が心配で訪ねてきたんだろう。妹が相手なら、話したとしてもきっと由香里も許してくれるはずだ。


「具体的には、九重のどんな話が聞きたいんだ?」


「可能な限り全部教えてもらえますか? 普段何をしてるのか、御手洗さんが義姉と何をしたのか。話せる範囲で構いませんから、教えてください」


「それだと話が長くなるけど、大丈夫か?」


「はい、問題ありません」


「分かった。なら、まずは婚約初日にリビングを掃除したところからだな」


 初日の掃除に始まり、遊園地や水族館でのデートや勉強会、それにゲームで遊んだ話や三日前の初詣。由香里が笑ったり楽しんだりしたこと。それらを覚えている限り、こと細かく話した。


 デートの話は自分の口から話すのはかなり恥ずかしいものがあったが、教えると言った以上黙っておくわけにはいかなかったので羞恥心を感じながらも頑張った。


 朱里は終始黙って浬の話に耳を傾けていた。


「そうですか、義姉はそんなに……」


 話を食い入るように聞いていた朱里だったが、何事か小さく呟いたかと思えば俯いてしまった。


 しかし数秒もすると、何事もなかったかのように顔を上げた。


「……御手洗さん、お話ありがとうございます。おかげで義姉のことを知れました」


「大したことはしてないから、感謝なんかいらないよ」


 実際、ここ三ヶ月ほどの出来事を語っただけなので本当に大したことではない。


「それなら、義姉のことを大切にしてくれたことを感謝させてください。……本当にありがとうございます。御手洗さんのおかげで、義姉はきっと幸せなはずです」


「それはどうだろうな……むしろ俺のせいで苦労をかけてると思うけどな」


 主に家事の面で色々と苦労をかけてるだけに、朱里の言葉を素直に受け取れない。


「それでも、義姉は笑っていたんですよね? ならきっと、義姉は幸せなはずです」


 どこか確信に満ちた言葉だ。姉妹だからこそ、分かることがあるのかもしれない。


 話が一段落すると、朱里は不意に立ち上がった。


「お茶とお菓子、ごちそうさまでした。あまり長居してもご迷惑になるだけですから、そろそろ帰りますね」


「俺は別に迷惑とは思ってないから、気にしなくてもいいぞ。せっかく来たんだ、九重が戻ってくるまで待っててもいいぞ?」


「申し出はありがたいですが、遠慮させてもらいます。今日はあくまで御手洗さんと話がしたかっただけですから」


 朱里はきっぱりと断った。今日は本当に浬と話がしたいだけだったみたいだ。


「あ、それと今日私がここに来たことは義姉には内緒にしてもらえませんか? 来たことがバレると、色々と面倒なことになってしまいますから」


「面倒なこと?」


「実はここには両親にも黙って来たので、バレると叱られてしまいます。ですから、義姉経由で両親に伝わると困るので黙っていてもらえませんか?」


 てっきり親に許可をもらってたのかと思ったが、どうやら違ったみたいだ。両親に内緒ということは、場所は自力で調べたのかもしれない。


 だとしたら朱里は可愛らしい外見に反して、意外と行動力があるみたいだ。


「ああ、分かった。今日来たことは黙っておくよ」


「ありがとうございます」


 そう約束をしてから、朱里は家を出た。家を出る直前の彼女の表情は、ここに来た時と比べると柔らかいものに変化していた。






「…………」 


 朱里は、今通ったばかりの道を振り返る。すでに三十分近く歩いているので、お邪魔していた家は見えなくなっている。


 だから、ここから何を言ったところであの家に届くことはない。それでもあえて、朱里は口を開いた。


「――幸せになってください、義姉ねえさん」


 これまで義姉の身に何があろうと、朱里は見て見ぬ振りをした。今更、許しを請えるとは思っていない。


 ただ、せめて幸福を祈るくらいは許してほしい。


 義姉の婚約者が語った笑顔の義姉を夢想しながら、そんなことを思うのだった。

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