参拝

 浬たちは車で一時間ほどかけて、神社に到着した。てっきり近場で済ませるのかと思っていたが、茂曰く「大きい神社の方がご利益がありそう」とのことで、わざわざ遠くの神社までやってきた。


 到着した神社の境内は想像していたよりもずっと人が多くて、これからあそこに足を踏み入れるのかと思うと、踵を返したくなる。


 とはいえ時間をかけてここまで来た以上、何もせずに帰るわけにもいかない。


「やはり今日は人が多いな……お前たち、あまり離れるんじゃないぞ。こんなところで迷子になったら、合流するのも難しい」


 茂の注意に、一同は頷く。一応スマホはあるが、これだけ人が多いと迷ってしまえば自分の現在地の把握すら難しそうだ。


 茂の先導で、浬たちは人の多い境内に足を踏み入れる。


 境内はあまりの人の多さで、少し先に進むだけでもかなりの時間と労力を要した。


「きゃ……ッ」


 短い悲鳴がすぐ側で聞こえた。由香里だ。


 どうやら何かにつまづいて転びそうになったみたいだ。幸い転んではないので、ケガはない。


「九重、大丈夫か?」


「はい、慣れない格好で少し転びそうになっただけですから……」


 そう言って再び歩き始めるが、慣れない着物のせいかとても歩き辛そうにしている。その上この人の多さだ。ただでさえ歩き辛いところにこの人混みは、転びそうになるのも仕方ない。


 由香里と同じ格好の深雪も心配だと思ってそちらを見たが、それは杞憂に終わった。


 深雪は明人に寄りかかり、歩いていた。あれなら慣れない着物でも転ぶことはなさそうだ。


「ねえねえ由香里ちゃん、歩き辛いのならカイ君に助けてもらったら?」


「御手洗君にですか?」


「うん。着物に慣れてないから、由香里ちゃんも歩き辛いんでしょ? 私みたいに誰かに寄りかかったりすれば、転ぶ心配はないと思うよ」


「ですが……」


 由香里の視線が浬に向く。彼女の瞳は、迷惑ではないかという不安に揺れていた。


「大事な婚約者が困ってるのに、カイ君は助けてあげないの?」


 と、深雪が煽るような口調で言う。暗に由香里を助けてやれと言いたいんだろう。


「言われなくても分かってるよ……九重」


「あ……」


 由香里に一歩近づいて、空いてる右腕を伸ばす。


 伸ばされた腕に僅かな逡巡を見せたが、最終的には恐る恐るといった感じで浬の手を取った。由香里は控えめながらも浬の腕に自分の両腕を絡ませて、少しだけ体重を預けてきた。


「あの、迷惑だったらいつでも言ってください。すぐに離れますから」


「迷惑なんかじゃないから、気にしなくていい。普段は俺の方が世話になってるんだ、こういう時ぐらいは俺を頼ってくれ。それに、こうしてくっついてた方がはぐれずに済むだろ」


 付け加えるなら、こうして由香里のような美女と腕だけとはいえ密着できるのは男の浬からすれば役得だ。むしろ感謝すべきかもしれない。


 二人で腕を組んだことで移動速度は落ちたが、由香里は浬の腕に寄りかかったことで慣れない着物でも転ぶことなく歩けるようになっていた。


 それから一同は人混みの中を進み続け、参拝前に清めておこうと手水舎に寄る。


 浬は手水舎での正しい作法など知らなかったので、周囲の参拝客のやり方を見様見真似で実践した。


 流し目で隣の由香里を確認すると、彼女は正しい作法を知っていたのか淀みない動きで柄杓を使っていた。丁寧かつ淀みない所作は今の服装もあってか、気品を感じさせた。


「御手洗君? どうかしましたか?」


「ああいや、九重初詣は行ったことがないって言ってたのに手水舎の作法を知ってるんだなと思ってな」


「屋敷で御手洗君が深雪さんと一緒に部屋を出ている間に、スマホで調べたんです」


「へえ、そうなのか」


 その割には所作が随分と様になっていたが、きっとそれは着ていた着物も理由の一端だろう。わざわざ事前に調べておいた準備の良さに、素直に感心する。


 こういうところは優等生の由香里らしい。






「九重、何を願ったんだ?」


 参拝を終えた後、二人は人混みから少し離れた境内の端のベンチに腰を下ろしていた。


 深雪たち三人は昼時ということで境内の出店に食べ物を買いに行った。人の多さから考えて、戻ってくるのは時間がかかるだろう。


「私の願い事が気になるんですか?」


「随分と真剣な顔でお願いしてたから、ちょっとな。何を願ったんだ?」


「それは……内緒です。こういうのは、人に言ったら叶わなくなると聞きますから。叶わなくなったら、困ります」


「まあ……そういう俗説もあるにはあるな。なら聞くのはやめとくよ」


 別に無理に聞き出したいというほど、由香里の願い事が気になるわけではない。それに俗説を気にするということは、余程大切な願いなんだろう。なら聞き出すのは野暮というものだ。


 ちなみに浬は無病息災という、ありきたりなお願いをした。茂のこともあるし、やはり健康が一番だ。


「それにしても……見られてるな」


「……見られてますね」


 現在、周囲の数多の視線が二人に集まっていた。視線は無遠慮なものではないが、それでも数が集まると気になって仕方がない。


 なぜ二人にたくさんの視線が集中したのか、その理由は大体想像がつく。


 由香里は普段から人目を引く容姿をしている。しかも今日みたいに着飾れば、目立たずにいられるわけがない。参拝客の一部(主に男)が、着飾った由香里に見惚れるのもやむなしだ。


 ちなみに浬も参拝客の視線を感じているが、由香里に向けられるものとは正反対の醜い嫉妬の視線だ。由香里のような美女の隣を歩けるのだから、これくらいの苦は甘んじて受けるべきだろう。


「まあ九重は元々美人なのに加えて、今日は着物まで着てるからな。視線が集まるのも仕方ないだろ。けどここまで注目されるとはな……美人も楽なことばかりじゃないんだな」


「何だか他人事みたいな物言いですね。御手洗君だって、色んな人から見られてますよ」


「俺のは男共の嫉妬の視線だろ。俺みたいなのが九重と一緒にいるから、妬まれてるんだよ」


 今はベンチに座っているから先程までのように腕は組んでいないが、もし組んだままだったら刺されていたかもしれない。


「九重はやっぱり、こういう視線は普段から慣れてるのか?」


「慣れてない……と言えば嘘になりますね。ここまでたくさんの人に見られたことはありませんけど、学校では時折チラチラと見られることはありましたから」


 由香里は学校でも有名な美貌をしている。見られるの自体は慣れっこなんだろう。浬には縁のない話だ。


「見られるだけならあまり問題はないんですけど……学校だと中には告白してくる人もいるので、少し困ります」


 声音からも困っていることがよく伝わる。由香里が誰であろうと告白を断っているというのは学校でも有名な話だ。


 決して小さくはない学校で広まるぐらいなのだから、断った回数も相当だろう。


「美人も大変だな……ちなみに最近だと告白されたのはいつなんだ?」


「最近だと、二学期の終業式の日に三人ほど男子から告白されたのですね」


「そうか、三人も……」


 終業式の日ということは、クリスマスの数日前だ。クリスマスのために勝負に出た者がいても、何もおかしくない。


 ……おかしくはないのだが、少しばかり面白くないものを感じた。だがそれを口にするのはみっともないので、胸の内に秘めておく。


 学校の人間は二人が婚約者であることを知らないし、そもそも二人の婚約は偽りのもの。由香里が誰とどうなろうが、浬に口出しする権利はない。


「……何て返事したんだ?」


 だというのに、口をついて出たのはそんな質問だった。


 次の瞬間にははっとなり、慌てて訂正しようとするがもう遅い。


 その前に由香里が、形のいい唇を動かしていた。


「――もちろん断っていますよ。告白してきた人たちはみんな顔も名前も知らない人たちでしたし……何より、今の私には婚約者の御手洗君がいますから」


「…………!」


 婚約者と言っても、頭に『偽りの』が付く虚しいものだ。だというのに、由香里があまりにも愛おしげに語るものだから、変な勘違いをしてしまいそうになる。


「御手洗君? どうかしましたか?」


「……何でもないから、気にするな」


 そっぽを向きながら、努めて冷静に答える。……今の浬は、由香里に顔を見せられるような状態じゃない。


(今のは反則だろ……)


 胸中で由香里に届くことのない文句を垂れる。何だか今日は由香里に振り回されてると感じたのは、きっと気のせいではないはずだ。


 深雪たちが戻ってくるまでの間、浬は由香里と顔を合わせることができないのだった。

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