第22話/中間涼香②

 クリームパンと食材を買い込んだ俺は、一目散に自宅へ向かった。今日は両親ともに、帰宅が遅い日だった。夕食を千絵が作りに来ることはないだろう。今までこっちの俺たちはどうしていただろう。おそらく、出来合いか、涼香が作っていたか……。


 以前の俺であれば、頼りきっていたことだろう。だが、これからは俺が作る。なんとしても愚兄を卒業したい。その一念が俺を台所へ向かわせた。

 たどたどしい手つきで野菜の皮を剥き、まちまちの大きさに切った。スマホとにらめっこして、焦がさないようにだけ気をつける。もうすぐ涼香が塾から帰ってくる時間だ。俺の焦りはパニックへと変わり、息も絶え絶えに料理を完成させた。


 次の瞬間、玄関の扉が開く音が響く。涼香が帰ってきたのだ。なんとか間に合った……。俺が台所を出た所で、居間へ入ってきた涼香と相対した。二人きりで顔を合わせるのは、あの夜以来だった。


「おかえり、涼香。それで、あの……」

 涼香は一瞥いちべつをくれると、鞄をソファへ置いた。


「カレー……?」

 振り返った涼香の顔に驚きの色が浮かぶ。


「あぁ、俺が作ったんだ。味は保証できないけど……」

 涼香は信じられないものを見るような表情で固まっていた。


「それで、あの、ごめん! 本当に迷惑を掛けた。俺がおかしかったんだ。もう二度と困らせない。で、これは、お詫びの印!」

 俺は早口でまくし立て、目を瞑ってクリームパンの入った茶色い紙袋を突き出した。


「カレー、気持ち悪かったら、食べなくていいんだ。クリームパンを食べてくれ!」

 口走って目を恐る恐る開くと、笑いをこらえる涼香の姿があった。


「……食べるよ。なに、そんなに焦ってんの?」

 そう言って、紙袋をかすめ取った。

「これは明日の朝ごはん」


「許してくれるのか?」


「気にしすぎだってば」

 涼香は澄ました顔でそっぽを向くと、


「それは、私も同じか……」

 小さく呟いた。


「さぁ、食べよ。お腹すいちゃった」

 そう言って、涼香は台所へカレーの様子を見に行った。鍋に満ちるカレーと散らかった流し台、それに俺の顔をかわるがわる交互に見て、苦笑いを浮かべた。そして、何かに気づいたように言った。


「ばか兄貴……」


 駆け寄ってみると、涼香が炊飯器の蓋を開いている。中は空っぽだった。




 久しぶりに味のある食事をした気がする。満腹感が心地いい。自室のベッドに寝転がって、俺は今日一日を振り返っていた。


 以前の俺は何でも一人で決めて、人に頼るなんてしなかった。必要に駆られて頼み事をする事はあっても、心の底からお願いするなんて自らの格を下げるナンセンスな行為だと思っていた。それが普通だった。信用することはあっても、信頼することはなかったのだ。


 鈴音は俺の心の叫びに応えてくれた。無条件で与えてくれた。そして、涼香へのあの電話は、紛れもない『信頼』そのものだった。鈴音の慈愛を目の当たりにして、俺の胸には熱いものが込み上げた。その時、魂を輝かせるヒントの一端を掴んだ気がしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る