第18話/絶望①

 家路に就いた俺の足取りは重かった。家族は、涼香はどうなってるんだ。入学式もサボった事になっているのだろう。

 自宅の玄関のドアに手を掛けて逡巡しゅんじゅんし、大きく息を吐くと意を決して扉を開けた。


「爽哉!」

 聞き覚えのある声が、俺の名を叫ぶ。そこには泣き崩れる母の姿があった。


「あんた! どこ行ってたの! 入学式にも出ないで!」

 まさか魔女と話していたとは言えまい。


「ごめん! 心配かけて! 体調が悪くて、気がつくと屋上で倒れてて……」


「倒れたって、大丈夫なの⁉」

 母の絶叫にも似た叫びが響き渡る。


「あぁ。今はもう大丈夫。本当にごめん……」

 俺は深く頭を下げた。


「千絵ちゃんも何か様子が変だった、って……。そう! 千絵ちゃん! あんたを探して、心当たりを回ってくれているの! すぐに電話しなさい!」


 俺はスマホを取り出して、電話帳をった。しかし、何度見ても、そこには両親と涼香の番号しか見当たらない。確か、スマホを買った直後に番号の交換をしたはずだが……。こっちの俺はそれすらもできない関係なのか……。


「番号、知らないんだ……」


「呆れた……。番号くらい交換してもらっておきなさい!」

 母の怒号と入れ替わるように、玄関の開く音が響いた。息を切らせて入ってきたのは我が妹、涼香だった。


「帰って、るの……。どこで、何してたのよ!」

 今までに見たことのない形相でにらみつけられた。涼香は相変わらずの美しさだった。やはり、容姿が変わったのは俺一人らしい。


「ごめん! 心配かけて! 体調が悪くて、気がつくと屋上で倒れてて……」

 俺は同じ言い訳を繰り返すことしかできなかった。息を吐いた涼香はスマホを取り出し、電話をかけ始める。


「千絵ちゃん……ごめん。馬鹿が帰ってきてた。うん、うん。無事みたい。うん。待ってる……」

 短いやり取りを終えると、通話を切った。


「最悪……」

 涼香は一言だけを言い残して、居間へと入っていった。俺はたまれなかった。逃げ出してしまいたかった。しかし、そんな事ができる筈もない。居間へ入り、食卓について項垂うなだれていることしかできなかった。


 無言が続いた。涼香はソファに横たわって、スマホをいじっている。母は食卓を挟んで相対し、手で顔を覆ったまま黙っている。そのものが罰であるかのような沈黙だった。

 永遠に続くかと思われた沈黙は不意に破られた。玄関を開く音が響く。俺にとっては、地獄の扉が開いた音だった。


「爽哉、帰ったって⁉」

 千絵の良く響く声が耳を突いた。俺は立ち上がって、千絵を迎える。


「本当にごめん! 心配かけて……」

 三度目の同じ言い訳を繰り返そうとした時、千絵の涙に濡れた瞳を見た。俺はそれ以上の声を出すことができなかった。


「おかしいよ! 爽哉! みんなに迷惑かけて! 心配かけて! 大里くんにもちょっかい出したり……」

 何とかその涙を止めたいと思った。そう思って口を開きかけた刹那……


――パンッ!


 乾いた音が室内に響き渡る。俺は頬にけるような熱さを感じていた。千絵の平手は、サバイバルナイフなんかより、何倍も痛かった。


 千絵は踵を返すと出て行った。玄関の閉まる音だけが耳の奥へ届く。俺は微塵も動くことができず、立ち尽くしていた。


「最低……」

 居間を出ていく涼香が、すれ違いざまに小さく呟く。


「あんたはもう、ここにいなさい! いいね!」

 甲高い声で叫んだ母は、駆け足で外へ出て行った。おそらく隣の藤川家へ謝罪に行ったのだろう。俺の足がピクリと反応した。駆け出そうとした。しかし、その行為の無意味さを痛感していた。俺が今行ったところで、逆撫ででしかない。




 意識を取り戻した俺は、足を引き摺って自室へ向かった。見知った間取りの真っ暗な室内は、俺の知らないものであふれている。大量の漫画とゲーム、ここにいる俺はそういう人生を辿ってきたのだろう。何もする気が起きなかった。電気もつけず、ベッドに横たわる。


 今、俺の魂は輝いているだろうか。


 それだけが気がかりだった。今は絶望すらも打算的に捉えている。そのまま俺は一睡もせず、朝を迎えた。頬の灼けるような熱さが増すばかりだった。

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