第290話 緋色の部屋20
「今日は弾正くんはいないのかな?」
「先生が余計なことを言うかもしれないから、置いてきたよ」
砂橋くんは僕の愛車の助手席に乗り込んだ。探偵事務所セレストのあるビルの裏側にある駐車場には砂橋くんだけが待っていた。昨日見かけた弾正くんの車も駐車場にはない。
どうやら、本当に弾正くんは同行しないらしい。
「僕が余計なことを言うと?」
「昨日、言いかけたでしょう?」
砂橋くんはシートベルトをはめると、僕の横顔をじろりと睨みつけた。
「いや、気になってしまってね」
砂橋くんが昔のことを話されたくないだろうということは想像していたが、弾正と名乗る青年と一緒に行動しているのを見て、ついつい好奇心が疼いてしまった。
「彼が高校時代に君が話してくれた松永景虎くんだったら面白いなと思ったんだよ」
「面白がらないでよ」
砂橋くんは助手席でため息を吐くと、膝の上にのせたショルダーバッグから手帳らしきものを取り出した。表紙が擦り切れているそれは砂橋くんのものではない筆跡で「日記」と書かれていた。
「いくら相手が故人だからと言って、人のものを許可もなく持ってくるのはよくないと思うよ」
形だけ咎めるも、砂橋くんは無反応だった。きっと弾正くんが玄関で高瀬さんと話して、その後、僕と話している隙に他の部屋で見つけたのだろう。
おそらく、デスクトップパソコンがあった部屋にその手帳はあったのだろう。
「亡くなった木村さんの日記かい?」
「そうだよ。ずいぶんとまぁ、こまごまとしたことが書かれてるよ。目が疲れる。昨日から読んでるけど、全然、読みたくないから進まないよ」
砂橋くんが肩を竦める。
佐川英雄さんの家は車で二十分もしたところにあるらしい。車についているナビが時折、右です、左です、と言うだけで、それ以外車の中は沈黙が満ちていた。
砂橋くんが高校生で、僕が高校の教師だった頃と同じだ。
面倒だからと実験準備室にやってきた砂橋くんが何も話さずに本を読んでいるだけ、そして、僕はたまにビーカーに入れて作ったコーヒーを砂橋くんに渡して、答案の丸つけを始める。
あの頃は僕の頭もここまで盛り上がってなかった。
「先生」
僕は砂橋くんの話をそこまで聞いたことはないし、悩みを打ち明けてもらったことはない。教科書に載っている物事を教えたこともなければ、砂橋くんに授業に出るように促したこともない。
しかし、砂橋くんはいまだに僕のことを先生と呼んでくれるのだ。きっと砂橋くんの高校時代に、砂橋くんと知り合ったことのある先生の中で今も連絡をとってもらえるのは僕ぐらいだろう。
教師を辞めた僕にとって、それはとても嬉しいことだ。
「なんだい?」
「余計なことを言ったら、怒るからね」
「分かってるよ。人をわざわざ怒らせる趣味は僕にはないからね」
僕は思わず笑ってしまった。
昔のことを弾正くんや周りの人に知られたくないと言うのなら、最初から昔の知り合いである僕を呼ばなければいいのだ。
それでも、呼んでくれたということは、信頼されているということでいいのだろう。
「それで?弾正くんを置いてきたのは、僕の口止めをしたいだけではないんだろう?」
そう問うと、砂橋くんは楽しそうに、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
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