4-1
長々と経文が読み上げられる中、とうとう火炎の中へ棺が放り込まれる。屈強な村人にとってその運搬は大した苦労では無いが、六〇を超えた老婆の質量は彼女が背負っていた重責に比べると一層軽いものに感じられる。
ユーリーは経文を唱え続けながらも大巫女の最期を盗み見た。大量の材木をくべて、夜明けと共に始まった別れの儀。斎場には祭祀階級の人間と、彼らに取り残されるように他の二階級の代表が集うばかりで面子はお告げの儀と大して変わらない。これが数十年に渡って村に尽くして来た女性の終わりなのかと思うと、あまりの簡素さに彼女は読経の文言が飛びそうになる。言われてみれば、巨大竜に屠られた戦士たちも葬式を上げずに村の共同墓地に埋められたらしい。どうやらここら一帯の文化において死は重要視されないようだ。ひょっとするとこうやって村の幹部たちに見守られるだけでも十分に恵まれた終焉なのかもしれない。
「――――――」
〈オオオオ――〉
彼女に追従するように神樹が唸る。唸りは熱波と変わり、斎場に到達するとツゲの棺を勢いよく燃え上がらせた。人が焼ける強烈な匂い……それによって人々を一瞬振り返らせると小さな体躯は灰となって崩れ去る。
「――――――」
〈オオオオ――〉
ツゲが亡くなったのは神樹が変貌を遂げてしばらくしてからだった。あの日神樹の周りから晴れ間が広まり、白樺のような表皮を露出させた瞬間――
「ああ、美しい……儂は……私は、自分の代でこの光景を見ることが出来て――」
通りかかった女官の証言によると、この変化の中で歓喜に打ち震えていたのは大巫女だけだった。ツゲはすべての口伝を伝えたわけでは無い。まだ数個の、大巫女しか知ることの許されない物を残していた。ひょっとすると、彼女の喜びはそれに由来していたのであろうか――
パチ……パチ……
〈オオオオ――〉
事の真相を知る事は不可能だ。例えどれだけ奇跡を積み重ねようとも、死だけは覆せない。無常ともいえるそれこそがこの世の絶対的な掟なのだから。
神樹によって定期的に発せられる熱波により彼女の遺体はあっという間に燃え尽きた。葬儀はこれで終わりとなる。立ち会った人々は熱波による炎の暴発を止めるべく材木を崩し、砂をかけては鎮火させた。そして……何事も無かったようにそれぞれの日常へと戻ってゆく。
「……」
大巫女は墓を持てない。掟によれば、神樹の言葉を伝える大巫女は人間よりも神に近しい存在。体は世界へ、魂は星へと還元させるために火葬を施し、灰が舞うままにするのがしきたりである。
「……」
砂の奥でまだ火がくすぶっているように見えるのはユーリーの感傷が見せる錯覚なのかもしれない。今更ながら彼女はツゲともっと話しておくべきだったと後悔した。
お告げの儀が終わるごとに「村を頼む」と萎びた細腕からは信じられない力で念押ししてきたツゲ。自身の未熟さ故に彼女を敬遠してきたことのなんと愚かな事だったか。後悔先立たず。これから正式に大巫女として独り立ちしてしまう不安に彼女は誰かの支えを欲していた。
「……」
そよ風が砂と灰の混じったそれを一撫でする。うまのはなむけにしてはあまりにも貧しいが――いつまでも感傷に浸ってばかりはいられない。村は大巫女を必要としている。立場が変われば行動も変えざるを得ない。ユーリーは再び黙祷を捧げると神殿に向けてゆっくりと歩き出した。
やるべきことはそれなりにある。例えば神殿の修復。幸いなことに人的被害は無かったものの、神樹の土砂はかなりの量がある。伝統に従って建築は左官が行うとして、土砂の排除は魔人で行わなければ作業効率は上がらない。一日も早く日常を取り戻すにはやはり魔人の力が不可欠と言えた。
「日常……かぁ……」
歩調が少し早まる。
例えば外交。割れた神樹に抉れた大地、光と化した魔人。どんな社会にも物好きはいるもので、ことのあらましを中途半端に知った他の村の人間が誤った知識を周辺に広めていると聞く。幸か不幸か竜の蔓延によって往来……手出しがしにくくなっていた均衡が魔人の存在で崩された。平時でも神を思わせる力を振るうそれが文字通り神の如き力を発揮したとなれば呑気に面従腹背している場合では無い。選択肢は完全に服従するか、やられる前にやるか――順調に思えた外交はここにきて振り出しに戻った。事態を引き起こしたユーリーには大巫女として説明して回る責任がある。誠意をもって懇切丁寧に伝え……それが出来なければ魔人で脅しを掛ける。周辺の村々が手を組んで、戦争に発展する事態だけは避けたいところだ。
「そんなもの――」
大きく駆け出す。
大巫女としての仕事は山積みである。魔人が光ろうが大地が抉れようが神樹が割れようが、例え世界が終ろうが生活は待ってくれない。全てを片付けるためには一日では足りない。生き急ぐくらいの勢いでなければ挽回できないだろう。
神殿へ駆け込み、そして地下へ……。村の中でも限られた人間のみが入る事を許される領域へとユーリーは下って行く。
「大巫女様、お疲れ様です」
「お勤めご苦労様です」
今まで様々な事に慣れないでいた彼女もこの場所ばかりは一生かけても慣れないと確信している。外は夏真っ盛りの熱気だと言うのに地下は冬めいた冷気が這っている。構内は僅かな明かりで照らされるも、それがかえって影を濃く広げている。
「アー」
「スイセン……」
神殿地下に備えられていたのは地下牢だった。この場所は村で重い罪を犯した人間や、表には出せない存在を閉じ込めるためにある。もっとも、この数十年目立った事件は無く、広々とした空間には彼女がポツンといるばかりだが。
「アー……ユーリーだ! あは、あははははは……」
トロンと焦点の合わない目がユーリーを認めると、彼女は口元をだらしなくニヤケさせ、飛沫と共に笑い出す。
「スイセン、今日は……元気……?」
「うふふ、はははは……」
おいたわしや、と背後から守衛の嘆きがこだまする。そこにかつて秀才とうたわれた巫女見習いの姿は無い。あるのは呆けて脱力しきり、笑顔の抜け殻となり果てた少女ばかり。
スイセンは確かにユーリーに嫉妬していた。感情は打倒ユーリーを掲げさせ、神の文字を詰め込ませ、果てには魔人を強奪する暴走まで引き起こした。
それを愚かな行為だと断ずるのはたやすい。だが彼女にはそうせざるを得ない事情があった。ツゲ以外に身寄りのない彼女が自身の生活水準を維持するためには次代の大巫女に選ばれるしかない。散々ユーリーと比較されてきたことでスイセン自身村人からどのように見られているのか察していた。「祖母の威光に守られて来たにも関わらず無能」、この評価を覆すためにこそ必死にならざるを得なかったのである。
スイセンはこの一年、突然現れた余所者を追い越すべく生き急いできた。だがしかし、現実は残酷なまでに彼女へ圧倒的な差を突きつけた。神樹と一体化し、自然環境そのものを変えてしまった一撃。そのような物を見せられては自分が積み重ねてきた「努力」など塵に等しい。
「あははははは!」
雷撃が全身を走った瞬間彼女は悟った。「ああ、努力なんて、才能の前では無駄なんだ」。
それ以来スイセンの野心は焼き切れ、痴呆となってしまった。彼女の瞳は二度と他人に襲い掛かる事は無いだろう。脱力しきったそれは見ているようで見ていない。時折焦点が合えば笑う以外に彼女は機能していなかった。
「私、毎日来るから。スイセンの好きな村を守り続けてみせるから」
「あははははは!」
痴呆とは言え彼女が一歩間違えれば村を壊滅させていた事実は動かせない。先に報いを受けようとも、社会の一員として村への罪は償わなければならない。現実主義を絵に描いた村人たちは協議の結果、現大巫女たるユーリーに彼女を地下牢に送る事を進言した。
「あははははは!」
ある意味スイセンは幸せなのかもしれない。決して叶わぬ望みを抱き続け、挑んだ結果無理だと分かったのである。身の程知らずを知ることが出来たのだから次は身の丈に合った願いを見つければいい。
しかし、スイセンの心を折ったのは間違いなくあの日の余所者であり、こうして監禁しているのも大巫女としての彼女であった。ユーリーはすでにスイセンの未来を奪ってしまったのだ。
私が……私がしっかりしないと……。
たった一年数か月の間に余所者は大巫女へと出世した。それと同時に、彼女は強烈な孤独に苛まれていた。
亡くなったツゲを筆頭に村の大人たちは彼女を村を豊かにする優れた道具としか見ていない。今日も公務に戻れば彼らは次々に傅いては無邪気に願うだろう。
加えて神樹の一件があって以来彼女は子供たちから避けられていた。公務の忙しさから誤魔化していたが――子供たちは間違いなくユーリーを避け、呼び方は決まって「大巫女様」と形式ばっている。今まで見下していたおもちゃが超自然的な力を秘めている。魔人ではぼんやりとしていた畏れが崩落を経てようやく実感となって襲って来たのだろう。彼らは近寄らず、遠くで目が合っても逃げ出すばかり。騒がしい温もりは最早思い出の中でしか味わえない。
「あははははは!」
後悔先立たず。振り返れば、ユーリーに対して真っ直ぐぶつかって来たのはスイセンだけではないだろうか。彼女を意識し、彼女よりも先にお告げを述べ、ツゲよりも前へ出て村を引っ張ろうと気張るスイセン。空回りは否めないものの、もし彼女が自分を補佐してくれたのなら――
「……また来るから!」
あるいはこの孤独こそ、村の頂点に立つ者の責務なのかもしれない。納棺時のツゲの表情は満面の笑みだった。長らく後継者を定められずに誰よりも長い期間大巫女の重圧に耐えてきた彼女だからこそ、終焉を待ち望んでいたのだろうか。
狂喜に後ろ髪を引かれつつ、ユーリーは光あふれる地上へ一歩ずつ上がって行く。どれだけ考えた所で一日は待ってくれない。
少し前までは村の一員となる事、認められる事に渇望していた。
それが今では大巫女として村の仕組みにがんじがらめに囚われている。
昔から物事を切り替えて考える事は得意だった。
今となっては個人的な感傷すら一旦切り離して公務に没頭している。
果たしてこれが憧れていた成人なのだろうか。人間性を捨て魔人に乗り込み言われるがまま創りだし、壊す。
〈お帰りなさい、ユーリー〉
「……」
急速充電は魔人のさらなる力を呼び覚ましていた。着座時の出迎え音声はほんの序の口、中には条件さえそろえば周囲の村ごとメイズを崩壊させる事も出来る。
「……っ――」
ため息すらつく暇もなしにユーリーは魔人を出した。日常は待ってくれない。生活は個人の都合にお構いなしに進んでゆく。底知れない万能の力は村のためにこそふさわしい。彼女の中で読経は続いている。そしてそれは大巫女としての務めが終わるまで止められない。
せめてスイセンが目覚めるその時まで――
歯を食いしばってアームレイカーを握る。せめて贖罪だけ忘れない。それが息苦しい日々を乗り切るための希望だった。
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