第45章 色男への助言
自分より小柄な歳三にいきなり胸ぐらを掴まれて、中村は焦った。余りにも強いその握力に、息が苦しくなった。歳三は強い調子で言い放った。
「俺は、娘を妾に差し出すつもりはねぇ。おめえは、りょうを幸せにはできねぇ。幸せにしてやれねえ女に、『惚れている』なんてせりふは吐くもんじゃねぇよ、色男!!」
歳三の言葉は、中村の心に短剣のように突き刺さった。
歳三が手を離すと、中村はよろけて床に座り込んだ。
「りょうを妾にすっなんて、考えたこともなか!おいは、りょうんこっを、本気で……!」
言いかけて中村は悔しさに顔を背けた。歳三の言う通りであった。妻を持つ中村がりょうを愛し、共に生きるということは、妻も、家も、薩摩も捨てることを意味していた。今の自分に、そんなことができるわけがなかった。そんなことをすれば、西郷が自分とりょうを生かしておくはずはないのだ。
歳三は、床に座り込んで下を向いている中村に言った。
「俺があいつに許した男は、只ひとりだ。もうこの世に居ないが、な」
すると、中村は顔を背けたまま、
「沖田……総司……」
と呟いた。
「ほほぅ、そこまでわかっているなら諦めろ。おめぇは総司の代わりにはなれん」
歳三に断言され、中村は、桧原峠でりょうに殴られたことを思い出した。りょうが、どれほど沖田を慕っているか、その時に思い知ったのだった。
「総司は、りょうに一言も、惚れてると言わなかった。自分の命が残りわずかなのを知っていたからだ。男が惚れた女を幸せにするということの重さを、総司はわかっていた。おめぇには、その覚悟がねぇ。無理だな」
歳三が吐き捨てるように言うと、中村は深くため息をついた。
「想いを残してけしんだ男には、どげんしてん勝なわんちゅうわけか……妻んひさは、親同士ん決めた相手や。おいは、
中村はそう言って歳三を見た。
歳三は、あらためて中村の前に座り直した。
「今度は泣き落としか?つくづく情けねぇ男だな、おめぇは。おめぇが自分の妻をどう思っていようが、こっちには関係ねぇ。女への弁解は自分でするんだな、色男!」
歳三はそう言ってニヤリとした。中村もふうっと息を吐いて、また椅子に座った。歳三は中村がこちらを向くのを確かめると、言葉を続けた。
「……悪いが、俺も見た通り、戦うしか能のねぇ男だ。俺もおめぇも、りょうを本当に幸せにすることはできねぇ。幸せにできねえなら、せめて守ってやるしかねえだろう。命をかけてでもな……!」
中村には、それが、歳三の自分への言葉に聞こえた。
「俺の故郷の多摩には、りょうの養父と、俺の姉と
歳三は、そう言ってまた言葉を止めた。中村は、そのあとが気になり、
「そんときは……?」
と聞いた。歳三は、
「必ず、りょうを生きて故郷に帰す……!それが俺の最後の役目だ。父としてのな……」
歳三はそう言って立ち上がり、中村に背を向けた。そして、続けた。
「もし、おめぇに出来ることがあるとしたら、あいつがひとりになっても生きていけるように見守ること……それだけだ」
中村は驚いた。
「土方……どん、そんた……」
中村は初めて歳三に敬称を使った。それは、中村が歳三の覚悟を理解した証しでもあった。歳三は、ちら、と振り返り、中村に言った。
「俺は、心底惚れた女を、守ってやることも、幸せにしてやることもできなかった……おめぇは、俺のようにはなるな……では、お先に失礼する」
歳三は部屋を出た。そのとき、酒を持ってきたお弓と出くわした。
「歳三さん、今、お酒を持っていこうと……」
すると、歳三は笑って言った。
「ありがとう。すまんが、ガキどもを置いてきているんで、戻らねばならん。酒は、あの色男にやってくれ」
「色男?」
お弓は聞いた。歳三は、はは、と笑いながら、北海屋をあとにした。
お弓が部屋に入ると、中村が大の字にひっくり返っていた。お弓は驚き、
「な、何があったんですか!?中村さま!!」
と聞くと、中村は仰向けのまま言った。
「悔しか……!!あげん大きなやつは見たことなか!かなわん、おいん負けだ……!土方歳三……あれこそ男だ、本物ん侍だ……!」
お弓は、中村の言っていることが理解できず、きょとんとしていた。
(あん男は、これからないが起きっか想像がちちょっど。自分がどげんなっとかも……)
中村は起きあがって、
「見てろよ土方……!おいはきっと、りょうを守っ!」
そう言って、お弓の持ってきた酒を一気に飲んだ。
(りょう……ほんとに、おめぇは、おうめによく似ているぜ……俺と似たような男に惹かれちまうなんてな……もし中村が、武士であることを捨てられるなら、おめぇは、おうめとは違う人生を送れるかも知れねぇが……それは、かなり難しそうだな……)
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