第41章 雪解け① 親から子へ
回天艦戦死者の弔いは、ごく内輪で営まれた。遺体は
数日後、箱館の
「良さん、もう具合はよくなったのか?」
「伊庭さん!えー、松前まで僕の失態の話が行ってるんですか?」
りょうが困ったような顔をした。伊庭は笑って、
「いやいや、『回天のチビ先生』の武勇伝が伝わっているだけだよ。怪我人をひとりで治療してまわったって」
と言った。りょうは、
「伊庭さんまで『チビ先生』なんて。彰義隊の方が僕につけたあだ名なんですよ!」
と言って笑った。実は、箱館病院では、すっかりこのあだ名が定着してしまい、りょうは患者から、『チビ先生』と呼ばれて慕われて(?)いた。
「歳さんが、春日どのを呼んだんだ。話があるからって。春日どのも、野村くんの墓参りをしたがってたし、俺も歳さんや良さんに会いたかったので来てしまった」
伊庭は言った。
「そうなんですか。でも、会えて嬉しい。じゃあ、今夜は、箱館の先生の住まいにお泊まりですか?」
りょうは聞いた。伊庭が、
「親子水入らずの住まいに悪いが、泊めていただけるかな?」
と聞くと、りょうは手を振った。
「やだなあ、水入らずなんて。毎日、鉄と銀が泊まってますよ!」
学校が休みになり、寄宿舎も閉鎖されてしまったため、鉄之助と銀之助は、万屋の離れに移ってきていた。
「なんだ、そうだったのか」
伊庭はほっとしたように笑った。
称名寺は、箱館で新選組の屯所になっていた。その一室に、野村の墓参りを終えて戻ってきた、陸軍隊の春日左衛門と、歳三がいた。
「野村とは、陸軍隊ではいろいろと衝突もありましたが……まっすぐな、いいやつでした。残念です。もう一度、会いたかった」
春日が言った。歳三は、
「利三郎は、板橋で近藤の最期を見届けた。自分が師を守れず、逆に、師の嘆願で生き残ったことに負い目を感じ、ずっと気持ちの行き場がなかったのだろう。最後に回天を守ることで、近藤への恩返しをしたかったのだと思う……」
と言った。春日はそれを聞き、
「そうですか……奥州参戦の頃、私は新選組という組織の中身をよく知りませんでした……ずいぶん失礼なことも言ってしまったと、今更ながら後悔しています。野村は、陸軍隊にあっても、ずっと心の底では新選組隊士だったのですね」
と野村の墓碑に目をやった。
「……そうかもしれねぇな……」
と歳三は呟いた。
「ところで土方さん、話というのは……?」
春日が切り出した。歳三は言った。
「春日どの、単刀直入に言おう。貴殿と田村銀之助との間で交わされた養子縁組の件、一旦、もとに戻してはいただけまいか?」
春日の顔に、緊張が走った。
「それは、どういう……確かに、松前に駐屯しているため、親としての役目は果たせずにおりますが……それについては申し訳なく思っております。榎本総裁や土方さんに、銀の世話をお任せしてしまっていることを……」
恐縮している春日をなだめるように、歳三は言った。
「いや、そんなことじゃねぇんだ。春日どのが、銀を大切に思ってくれているのはわかっている。榎本さんも俺も、世話をしているなんて思っていねぇ。だが、春日どの、もう、雪が解けちまったんだ……」
「……雪が?」
称名寺の庭の雪もほとんど解けて、梅が開き、桜のつぼみが膨らんでいた。
「いつ、新政府軍の上陸が開始されるかわからねぇ。貴殿も、俺も、戦いに出ることになる。解っているだろうが、こちらには、開陽も、甲鉄もねぇ。海の守りが不十分なまま、戦わねばならねぇ。貴殿や俺は、戦うのが役目だ。役割をまっとうするのみ。しかし、その負債を子に負わせることはあっちゃならねぇと、俺は思う」
歳三は言い、春日を見つめた。
「それは……我々が負けるかもしれない、ということですか?」
春日は聞いた。歳三は、
「負けないようにしなくちゃならねぇがな。諸外国は、新政府を正規軍と認めた。俺たちは正規軍に歯向かう者だ。勝たない限り、逆賊の名がついてまわることになる。俺たちが死んだあと、跡を継ぐものは、それを背負っていかねばならなくなる」
歳三の言葉に、春日は銀之助を思った。銀之助にそんな重荷を背負わせるために、養子にしたのではない。純粋に、銀之助がかわいいからだ。いつか、江戸に残した娘と夫婦になってくれれば嬉しい、と……ふと、春日は思いついたように、歳三に尋ねた。
「土方さん……だから、あなたは、良蔵くんと親子の名乗りをしないのですか……?ああ、すいません、伊庭どのからお話を聞いてしまって……」
春日が聞くと、歳三は、
「もう、ずっと長い間このまんまだから、理由なんて忘れちまったな。まあ、一番自然だから、とでも言っておくか」
と言って笑った。
春日は、それからしばらく考えていた。歳三も無言で見守っていた。風はまだ冷たいが、その中に、花の香りが混じる。梅だろうか、と歳三は思った。
「わかりました、土方さん……銀之助の将来のために、養子縁組を白紙に戻します」
春日が言ったとき、バタバタと足音がした。
「失礼します!こちらに、陸軍隊の春日さんがいらしていると……!」
息をきらせて走ってきたのは、銀之助だった。鉄之助と共に寄った病院で、春日が称名寺に来ていることを聞きつけて来たのだった。
「銀之助……また、背が高くなったな?」
春日が言った。その声は、少し震えているように、銀之助には聞こえた。
「お……
慣れない言葉に、照れ臭そうな銀之助だった。
「銀之助、実は、話が……」
言いかけた春日を制して、歳三は小声で、
「それは明日にしよう」
と言い、銀之助に、
「今夜は、俺の家で春日どのも、伊庭どのも泊まられる。銀、鉄や良蔵と共に、準備を頼むぞ」
と言った。銀之助は、
「はい!!」
と元気よく返事をして、
「では、先生のお住まいで、お待ちしています。ち、義父上……!」
と、一礼してまた出ていった。春日の目から、涙が一筋流れた。
「銀之助……!」
歳三は、そんな春日の肩に手を置き、
「銀之助は賢い。今の状況を考えればわかってくれるはずだ。今日だけは、ゆっくり親子でいればいい。話は明日になってからだ……」
と言った。
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