第40章 従軍の『条件』
時間は少し戻り、五稜郭で倒れたりょうを、歳三たちが箱館病院に運んで休ませているときのこと、凌雲が歳三に話しかけた。
「相馬くんという人物は、どちらかというと口数の少ない、冷めた男だと思っていたが、意外と熱いところもあるんだな。『玉置が罪に問われることになれば、土方奉行は責任を取らなければならない。脱走軍随一の勇将を失うことになってもいいのか!?』と言って、他の怪我人や医師たちに訴えかけたんだよ。彼も重傷だったから心配したんだが、気力の強さは、並じゃないな」
「あのバカが……俺のことなんて構わなくて良かったのに。怪我の治りが悪くなったらどうするんだ……」
歳三が呟くと、凌雲は言った。
「そうでもないさ。土方さん、あんた、良蔵が投獄されるようなことになれば、良蔵を斬って、自分も腹を切るつもりだったろう?相馬くんはそれを止めたかったのだ。新選組という組織には、例外は許されない。たとえそれが我が子でも……そうだろう?」
凌雲に言われて、歳三は答えを返せなかった。いかに初陣だったとはいえ、命令違反をした良蔵は、京の頃であれば間違いなく切腹の沙汰が下る。新選組の鉄則を自分が破ることはできないと、歳三は覚悟を決めていたのだった。
「あいつの従軍を許可したのは俺だ。あいつだけの責任にするつもりはない。40人以上の死傷者を出した責任は、俺にもある。あの状態で甲鉄に斬り込んでも、助かる可能性は低いと分かっていたのに、俺は『
歳三の脳裏には、野村利三郎の最後の笑顔が浮かんでいた。野村をあそこで死なせるつもりはなかった……歳三の顔に後悔の気持ちが表れているのを、凌雲は見てとった。
「榎本さんも、相馬くんに感謝しとるよ。あの人もあんたを失わずに済んだのだからな。あんたの本心は、みんな見透かされていたわけだ。土方さん、戦はこれからだ。病院での良蔵の面倒は俺が見る。本意ではないが、欧州で見てきた軍医の現状も良蔵に教える。失った者たちの思いと共に、あんたは前に進まねばならない。腹を切るのはまだ先だ。弱気な土方は、今だけで卒業だよ」
凌雲の言葉に、歳三も気持ちを切り替えたようだ。
「荒井さんと俺も、1日の謹慎だ。この戦で死んだやつらの弔いをしてやれる時間をくれた……釜さんらしい判決だ」
と、歳三は呟いた。
(この借りは、必ず返す……俺はまだ進まなくちゃならねぇ。勝っちゃん、総司、まだまだおめぇらのそばには、行けねぇな……)
「おっと、あちち……火が強すぎたか」
鍋を囲炉裏から下ろそうとして、歳三が声を出した。りょうは歳三のそんな姿を初めて見たような気がして、じっと見つめた。歳三はりょうの視線に気がつくと、囲炉裏の炭を火箸でほぐしながら聞いた。
「中村半次郎が、甲鉄にいたんだってな?」
歳三の言葉に、りょうは思わず箸を落とした。歳三はその箸を拾い、りょうの手に載せた。
「な、なぜ、それを……」
りょうは動揺していた。歳三は、そんなりょうを見ながら、
「甲鉄から戻ることができた、
歳三は、その時、りょうの手が小刻みに震えているのを見た。
「野村さんはあの人に撃たれたんだ。僕は許さない……嘘をついたあの人を……!」
そう言ったりょうの目が、初めて自分の前に現れたときと同じだと歳三は思った。歳三は、りょうの手に自分の手を重ねた。りょうは驚いて、歳三を見た。
「個人の恨みで動くやつは、従軍させるわけにはいかねぇ!」
厳しい声で歳三は言ったが、その眼差しは、りょうを諭すように優しかった。
「おめぇが中村にどんな感情を持っているのか、なぜそんなに苛立ってんのか、今は聞かねぇでおく。だが、今のおめぇには、従軍医師なんて役目は、到底できねぇよ」
「先生……!」
りょうは歳三を見た。また、自分は離されてしまうのか……?
すると、歳三は話し出した。
「人間てぇのは、弱いもんだ。何かに突き動かされねぇと、戦えねぇ。『義』だの『使命』だの、自分を動かすもんがあるから、前に進める。『憎しみ』もそうだ。おめぇが初めて、日野で俺に挑んで来たときのようにな」
りょうは、日野で、初めて父と立ち合った時のことを思い出していた。あの時のりょうは、母の仇をとる、という使命感と、父への憎しみで動いていた。
「だが、それは、ひとりの時だけだ。戦では、そうはいかねぇ」
歳三は、りょうを静かに見つめた。りょうはうつむいたまま、話を聞いている。
「俺が京の新選組で『死番』を設けたのは、一番に突撃して死なせるためじゃねぇ。危機に際して、怯まず、活路を切り開く力をつけるためだ。それには、
歳三の問いに、りょうは小さく、
「はい」
と答えた。
「戦場で、己の感情に支配されて、周りが見えなくなったやつは、己だけではねぇ、仲間も危険にさらすんだ。今回のおめぇがそれだ。あの甲板の上で、おめぇが犯した罪は、ガットリング・ガンの的になったことじゃねぇ。戦場で自分の感情に負けたことだ」
りょうは、はっとして、顔を上げた。
「己の感情に、他人を巻き込むことは許さねぇ。自分の憎しみは、自分だけに納めろ。顔にも出すんじゃねぇ。それができねぇ限り、俺の部隊におめぇは連れていかねぇ!わかったな!?」
りょうは歳三を見つめた。歳三は、りょうを見離したわけではなかった。言葉は厳しかったが、りょうがまた、従軍医師として働くことを認めたのだ。
「は、はいっ!」
りょうが笑顔になった。
「それを食ったら、凌雲先生から薬をもらってあるから、飲め。飲んで早く寝ろ」
歳三はそう言って、席を立った。襖を開けると、そこに、鉄之助と銀之助がいた。
「やっぱりおめぇら、起きて聞いてたのか」
呆れたように歳三が聞くと、
「へへへ……」
ふたりは照れくさそうに笑った。
「良蔵、大丈夫?」
銀之助が聞いた。
「うん。ふたりとも、心配かけてごめんね」
りょうは答えて、鉄之助を見た。
(どこが総兄ぃと似てる?横顔?仕草?何で総兄ぃに見えたんだろう……?)
と考えていると、
「良蔵、お前、太ったんじゃないか?重かったぞ」
と鉄之助が言った。りょうはムッとして、
「悪かったな!鍛練すると、腹が減るんで、たくさん米を食うからだよ!」
と言うと、鉄之助と銀之助が笑った。りょうもつられて笑った。やはり、鉄之助は鉄之助だ。顔立ちは少し似ているかもしれないが、沖田と重なって見えたのは、自分の気の弱さのせいだ、とりょうは思った。
「良かった。このぶんなら、すぐに良くなるね!」
銀之助が嬉しそうに言った。
歳三は、3人の小姓たちに伝えなければならなかった。
「おめぇたちには悪いが、当分学校は休みだ。先生達(フランス軍人)も忙しくなるんでな。鉄と銀も、これからは仕事が増える。今はしっかり食って、休んで、体力をつけておけ。そのうちに休めない日が来るかもしれねぇからな」
「はい」
3人は答えた。また戦が近づいていることは、鉄之助と銀之助にも解っていた。
「おやすみなさい」
という、鉄之助と銀之助の背を見送って、歳三は、松前の春日左衛門に文をしたためた。
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