第34章 回天艦乗船

 歳三とりょうは、慌てて箱館病院に向かった。病院では、凌雲が、苦しそうなふたりの男を診ていた。

「凌雲先生、何があったんだ?このふたり、昨日はピンピンしてたぜ」

歳三が聞くと、凌雲はため息をついた。

「昨夜、箱館で、ふたりで飲んだらしい。そのときの酒の肴にあたったんだろう。出港前に生物を食うとはな。全く、医者の不養生とは、よく言ったものだ!」

凌雲はふたりを睨んだ。ふたりは苦しいのと恥ずかしいのとで、目を伏せてしまった。


 回天艦長の甲賀源吾が、歳三に平謝りに謝った。

「土方さん、申し訳ない!私の手落ちだ!乗組員への注意を怠っていた!まさか、こんなことになるとは……」

「代わりの医者はいるのか?出港は、夜更けなんだ、先生」

歳三に聞かれて、凌雲は考え込んだ。

「三つの艦に分かれるので、それぞれ医師が必要なんだ。今、空いているのは、俺くらいだろう」

凌雲が言うと、歳三は、

「それはだめだ。先生がこの病院を離れることはあっちゃならねぇ。他にいねぇのか?回天に乗せられる医者……」

と聞いた。すると、りょうが言った。

「僕が、回天に医師として乗ります!」

凌雲も、歳三も仰天した。


 歳三はすぐさま却下した。

「このバカ!!冗談じゃねぇ!!何考えてんだ!?これは遊びじゃねぇ!戦争だ!おめぇなんかが行くところじゃねぇ!!!!」

落とせるだけの雷を落とした後、凌雲を見ると、凌雲はかすかに頷いている。

(凌雲先生……まさか……?)

「回天は広いぞ。もし、他の船で負傷者が出たら、そいつらも収容することになるんだ。そうしたら、君が全部診ることになるんだぞ。できるのか?良蔵。医者が疲れていては、話にならないぞ」

凌雲がそう言うと、歳三は慌てた。

「ち、ちょっと待ってくれ先生!俺はダメだと言ってるんだぞ!」

すると、凌雲は、

「他に医者がいなければ、仕方ないだろう。良蔵はそれだけの努力をしてきた。従軍医師としてのな。毎日鍛練を積んで、体力もつけてきた」

と言った。歳三は、りょうを見た。あの山登りの格好は、このためだったのか!?


 「僕は、病院で働く、と言いました。あのあとには続きがあったんです。先生に遮られなければ、こう言うつもりでした。『先生と離れない、そういう医者になる』と!僕はまだ確かに未熟です。でも、僕が行かなければ、回天は医師のいない船になってしまう!」

りょうは歳三をまっすぐ見つめていた。この目は苦手だ、この目を見ると、俺は何も言えなくなる……歳三は目をそらした。


 すると、後ろで話を聞いていた董三郎とうざぶろうが言った。董三郎も、知らせを聞いて駆けつけたのだった。

「あの、私が助手として乗船します。私は養父も実父も医師で、松本良順の弟です。治療や手術は見慣れています。消毒や包帯を巻くことくらいはできます。良蔵くんは、兄がとても信頼していた弟子です。できるだけ危険を回避するよう、行動しますので、どうか乗船を許可していただけないでしょうか?」

艦長の甲賀も言った。

「回天は後方支援の船です。戦闘の確率は低い。私の責任において、医師、玉置良蔵と、助手、林董三郎の乗船を認めます。土方さん、どうか、回天に彼らを……」

とうとう、歳三が折れた。

「絶対に危険なことはするな!戦争だということを肝に命じておけ!」

りょうが笑顔になった。

「ありがとうございます、先生!すぐに準備します!!」


 りょうは、董三郎と共に、医療器具や薬の準備を始めた。凌雲は、歳三を促して病室を出て、院長室に行った。


 「土方さん、俺は、医療というものは、国からも、軍からも、束縛されるべきではないと常々思っている。だから、仕事として常に軍に従属する医者を作りたくはない」

凌雲の言葉に、歳三は黙って頷いた。敵味方の区別なく患者を治療することを認めたのも、凌雲の強い意志に、榎本らが動かされたためであった。

「だがな、あの子は、俺にこう言ったよ。『従軍すれば、兵士の怪我を軽いうちに治療できる。自分はいつも、父さんの背中を見ていたい。父さんの誠の道を一緒に歩きたい。父さんが戦うなら、自分はその側から離れない仕事をする』ってな」

凌雲が言うと、歳三は、

「何をきれいごとを言ってやがる……戦場はそんな、なま易しいところじゃねぇ!戦場は地獄なんだ。あいつはわかってねぇ……連れてなんか行けるか!」

と厳しい口調で呟いた。


 「土方さん、ひとつ聞いておきたいんだが」

凌雲の問いに、歳三は振り向いた。

「なんだ、先生」

「君が反対する理由は、良蔵くんが若輩だからか?それとも、己の娘だからか?」

凌雲に聞かれて、歳三は、

「そんなこと決まっている!!あいつが……!」

と言ったまま、次の言葉が出てこなかった。自分の感情に説明がつかなかったのだ。

「榎本さんが、松本良順先生に聞いた話では、君は、京でも、会津でも、良蔵くんと他の小姓たちを区別せずに扱っていたという。仕事も、褒美も、甘やかすことなく、かえって厳しいくらいだったと」

凌雲が言った。

「そ、それがどうしたってんだ……」

歳三は明らかに動揺していた。

「いや、責めているのではない。誉めているのだ。土方歳三に、父親の感情が育っていることに」

歳三は凌雲を見た。

「俺が……?冗談はよしてくれ、先生。俺はあいつの無鉄砲さには昔から手を焼いてきた。また冷や汗をかかされるのは、勘弁してほしいだけだ」

歳三が照れ隠しで答えているのがわかり、凌雲は微笑んだ。


 「良蔵くんは、始めのうちは、君のことを仇だと言っていたらしいね」

と凌雲が聞いた。

「あいつが言っていたのか?俺は若い頃、あいつの母親と別れた。母親が不幸のうちに死んだのは俺のせいだと、俺のことを憎んでいた。『鬼』だとよく言われたよ。俺は別にそれで構わねぇ。本当のことだからな……」

歳三は出会った頃のりょうのことを、思い返していた。


 「だが、今は違う。あの子は君を尊敬し、君の側に居たいと、心底願っている。その想いと、自分の使命を果たすためにどうすればいいのか、良蔵くん自身が出した結論が、従軍だ。俺はその意志を尊重したい。まあ、最初は俺も、そんなことは無理だと、怒鳴ってやめさせようとしたがな。あの子の決心は変わらなかった。頑固なのは、誰かさんに似たのだろう」

凌雲がちら、と歳三を見ると、歳三は苦笑いしながら、

「ふん、大きなお世話だ」

と答えた。

「俺は、どうすればいいんだ、先生?……戦場であいつのことを気にせず指揮できる自信は、俺にはねぇ。だから、今まで一度も戦には連れていかなかったんだ……」

歳三が思わず本音をもらすと、

「土方さん、子は常に成長している。親もまた然り、だ」

凌雲はそう言うと、歳三を残し、部屋を出た。


 歳三は凌雲の出ていった方を見ながら、しばらくそこにたたずんでいた。

(俺は、親父として、あいつの医者としての成長を見守るのが役目……そのためには越えなきゃならねぇもんが、俺にもあるという訳か……!)


 やがて、歳三は意を決したように、箱館病院をあとにして、回天艦に向かった。


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