第27章 厳しい冬

 明治元年(1868)12月22日、五稜郭において、日本史上、初めての『選挙』が行われた。上等士官以上の入札により、箱館政権を統帥するための人事を行った。

東北での戦の折り、指揮権の統制が取れていなかったことで苦い思いをしていた榎本たちであった。箱館に集まった部隊も、それと似たようなものである。榎本や大鳥は、同盟軍のてつを踏まないための組織を作らねばならなかったのだ。


 総裁は榎本武揚、副総裁は松平太郎まつだいらたろう、陸軍奉行は大鳥圭介、と得票により、役職が決まった。この時期、新政府を名乗る側には、そのような制度は露ほどもできていない。世界的にも進んだ民主的な選挙を行った政権を、旧態だなどということは、失礼にあたるだろう。尚、この榎本の暫定政権を一般には『蝦夷共和国』というが、彼らが『共和国』を名乗った事実はない。彼らの目的は、徳川血筋の盟主を迎え、蝦夷を開拓して日本の北辺を防備し、新しい藩として独立することであり、別の国家を作ることではなかったからだ。


 この入札で、歳三は、陸軍奉行並、箱館市中取締、裁判局頭取という任に就くことになった。市中取締の実務は新選組が行うことになり、隊士たちは活気づいた。

「島田さんたら、『また、土方隊長のもとで働けるんですね!』と泣いていたよ」と、鉄之助はりょうに話した。

「島田さんは、ずっと土方先生を慕っているもんね」

島田魁は、戊辰戦争後も、歳三と新選組への忠義を全うし、新政府に仕えることを拒み続けるのだが、それはまだ先のこと。


 「僕も新選組のひとりとして、市中取締、加わっても良いのかな?」

りょうが言うと、鉄之助は、

「冗談やめろよ!俺だってやっと入れてもらったのに……また先生の雷が落ちるぞ。それに、新選組の新しい隊長は、元桑名藩の森弥一左衛門やいちざえもんさまだ。良蔵がいくら土方先生と親しいからって、もう、わがままは通らないからな。我慢して、病院で働け!」

と眉をしかめた。鉄之助に言われて、ふくれるりょう。鉄之助も、いつ戦いになるかわからない場所に、りょうを出したくないのだ。それを聞いていた五郎作が笑う。

「お前たちを見ていると、兄弟みたいだな。ただし、鉄の方が兄さんだな」

「五郎さん酷い!僕の方が、ひとつ上なのに!」

りょうが文句を言う。すると、

「俺も、年が明けると18才になる。もう、小姓ではない。良蔵のかわりに、俺が新選組隊士として働くから、心配するな」

と、五郎作は笑って言った。


 やがて、五郎作は箱館病院を退院し、年明けには、正式に新選組隊士への昇格が決まった。砲術の腕を見込まれて、弁天台場の守備に就くことになり、またひとり、土方小姓組から去ることになった。会津までは、五人いた仲間が、今はりょうと鉄之助のふたりになってしまった。りょうは寂しかった。時々、京や会津での日々を思い出したが、そのたびに

「後ろを向かない、向かない!」

と自分に言い聞かせ、病院での仕事にはげんだ。


 りょうは、歳三と少しでも一緒にいたかった。しかし、歳三は榎本たちのような官僚ではない。時間があれば市中を見て回り、不安な場所があれば進言する。陸軍を統率する立場であり、各小隊の動きを見、不満も聞いていかねばならない。必要があればその隊の人間とも話し合う。特に、桑名、松山、唐津の藩候への対応は、歳三の単独の役割であったため、何日も箱館の住まいに帰らないこともあった。


 もしも新政府と戦になれば、また歳三と会えなくなる。会津では、離れている時間の方がずっと多かった。どうすれば、父と多くの時間を過ごせるのか、りょうは考え、ひとりで結論を出した。りょうは、それを凌雲に相談した。凌雲は最初反対したが、自分の考えを理解して、それを実行するならと、りょうに協力することを約束してくれた。


 しかし、箱館政権の冬は厳しかった。新政府は、榎本の嘆願書を却下した。開陽丸を失い、嘆願書も拒否されると、局外中立を保っていた各国が、箱館政権は不利と判断して次々とそれを撤回し、新政府を正統と認めた。歳三がお弓から聞いていた話は、現実となって箱館政権に降りかかってきたのだ。それと共に、箱館の町に不振な張り紙が張られたり、徳川脱走軍を中傷する噂が流れたりした。


 年明けに、箱館市中で、新選組による大巡邏が行われた。市中に潜んでいる、新政府に味方する者たちの動きを封じるためだ。傷の癒えた五郎作も加わっていた。


 銀之助は、榎本の小姓として忙しそうであった。りょうや鉄之助と銀之助とは、学校で会うので、ふたりは榎本の色々な話を聞かせてもらった。実は江戸っ子の榎本が、酒が入ったり、気が緩むと、歳三並みのべらんめえ調になることを銀之助から聞いた。

「あの口ひげの下から、『てやんでぇ!べらぼうめ!』って言うんだよ」

と銀之助が真似をして、鉄之助とりょうを笑わせた。

「榎本先生は、蝦夷地は不毛の土地ではなく、開墾をすれば、野菜や果実がとれると言っていたよ。なんでも、プロイセンの商人に、300万坪の土地を99年間貸して、技術を教えてもらって開拓をするらしいって」

300万坪だとか、99年間の貸借だとか、りょうたちにとっては計算できない数字だが、蝦夷に希望が持てるような話だ、と思った。りょうは、箱館に戻ったときに歳三にこの話をすると、

「銀のやつは、釜さんに仕えるようになって、いろんなことを頭に詰め込んでくるようになったな。釜さんも理想家だから、希望のもてる話をするんだろうが、現実はそんなに甘くはねぇよ」

と、歳三は言った。

「今の政権には『開陽』がねぇからな」

開陽、とは、江差の海に沈んだ戦艦である。この船があるのとないのでは、政権を保つ力に大きな差があることを、歳三は懸念していた。


 実際、榎本政権は、金策には苦労をした。貿易をするはずの諸外国から見放された政権は資金不足であった。商人や遊女から売上金の一部を徴収したり、一本木に関門を作り、通行料を取ったりと、箱館市民からの評判は下がる一方であった。

「ブヨ?ブヨって、あの、虫の?」

とりょうが銀之助に聞いた。榎本が箱館市民から、そう陰口で言われているらしいのだ。

「榎本先生の名前、読み方を変えると『ぶよう(武揚)』だから、金を吸い上げるのと血を吸うのをかけたらしいよ。酷いよね!」

と銀之助は怒っていた。りょうも鉄之助も、この件ではさすがに笑うことはできなかった。


 

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