第26章 新たな日々
小姓たちの忙しい毎日が始まった。学校は昼までで、そのあとはそれぞれの仕事に就く。学校は箱館にあるが、榎本や安富は五稜郭にいるので、鉄之助と銀之助は、五稜郭に行く。鉄之助は、仕事によっては五稜郭で宿泊する日もあるとのことだった。りょうの仕事先の箱館病院は、学校からさほど遠くない。まわりは、外国の領事館などが建っているところであった。前日に来たときは気づかなかったが、イギリス領事館が近くにあった。
院長、高松凌雲は、今日も恐そうな顔で忙しそうに動いていた。
「高松先生、良蔵です。今日からよろしくお願いします」
りょうがあらためて挨拶すると、
「おお、私も『凌雲』の方でいいぞ、良蔵くん」
と笑って答えてくれたので、りょうは少し緊張が和らいだ。
高松凌雲という医師を、りょうは不思議そうに見ていた。良順と同じように、幕府の御典医をしていたとは思えない風貌だったからである。
「どうしたね?」
と、凌雲が聞いた。
「いえ、松本良順先生とは、雰囲気がちがうな、と……」
りょうが言うと、凌雲は、
「剥げてないからだろ?あげん頭、恥ずかしゅうてできんばい!」
と大きな声で笑った。
「先生、もしかして、長崎の方ですか?」
言葉遣いを聞いてりょうが尋ねた。神奈川宿に戻った頃、長崎から来たという商人が似た言葉使いをしていたのを思い出したのだ。すると、凌雲はニッとして、
「良く知っているね。生まれは筑紫だ。気が緩むと、つい出てしまう。この頭は、ちゃんと幕府に許可とったんだぞ。そうしたら、後輩どもがこぞってこの髪型をまねしてな、最近の若い医師は剥げとらんよ」
と答えた。そういえば、江戸の医学所にいた良順の弟子たちも、総髪だったな……とりょうが思っていると、
「良かったな良蔵くん。君も将来、丸坊主にならなくても済みそうだぞ」
と凌雲が笑い、りょうの頭をポン、と叩いた。
(……また……!)
頭を押さえながら、一瞬、つるっぱげになった自分が頭の中に浮かんだりょうは、ぶんぶん、とかぶりを振った。
見渡すと、何人かの医師がいるようだった。よく見ると、肩章や袖章が違っているのがわかる。
「皆、各部隊で医療活動をしている者たちだ。有事の時は、それぞれの部隊に戻るが、そうでないときは、ここで活動し、情報を交換する。医療技術も、独りよがりにならず、お互いに学ぶことができるのだ。よい考えだろう?」
と凌雲は言った。
どの藩にも、藩医がいる。また、戦艦ごと、部隊ごとにも医師がついているが、狭い環境のなかでは、考えも凝り固まってしまう。箱館に病院の本部を構えることにより、ここで統一した情報を得て、それぞれの部隊に戻り、治療にあたるのだという。りょうは、凌雲の言葉に、これが新しい、近代的な病院の構造なのだ、と感動した。
「君に、紹介したい人たちがいる。どうぞ、入って構わんよ」
凌雲に促されて、部屋にふたりの人物が入ってきた。ひとりは、りょうと同じくらいの若者で、もうひとりは凌雲より少し若いくらいの男だった。凌雲が、りょうに彼らを紹介した。
「こちらは、幕府御典医、
「はい……初めまして。玉置良蔵です」
りょうは、よくわからず挨拶した。
すると、林董三郎が言った。
「私は、林家の養子です。実父は
驚いたのは、りょうであった。あの良順の弟……計算すると、自分と歳三ほど離れているではないか。
「それは……お互い様でしょう。あなたこそお若くて、良順先生のお子さまかと思いました」
りょうが言うと、董三郎も、
「ええ、実は私も、一時は良順の隠し子ではないかと疑ったことがありました。兄はあのとおりの男なので……」
と言った。りょうは江戸の頃、沖田と一時、良順の私邸に身を寄せたことがあるので董三郎の言葉の意味がすぐにわかった。ふたりは顔を見合わせて笑った。
「六三郎さんの兄嫁どのは、私の姉にあたります。従って、良順とも義兄弟になります。六三郎さんは、フランス語が堪能なので、学校でも教鞭をとるそうですよ」
「Ravi de vous rencontrer, jeune fille.(初めまして、お嬢さん)」
と、六三郎は握手を求めた。りょうは面食らって、
「よ、よろしくおねがいします!」
というと、
「私は、まだ少年の頃、佐藤泰然先生の元で、薬の調合や、治療の手伝いをさせられたことがあるんです。だから、こちらでも時々お手伝いをすることがあるかもしれませんね」
と笑った。
凌雲も、董三郎たちも、自分たちを学ばせてくれた幕府の恩に報いるために、蝦夷まで来たのだと、董三郎は話した。
「幕府が瓦解しなかったら、あの凌雲先生も、今ごろはフランスで留学生だったんだ。あの先生、あれで、フランス語、オランダ語、英語に通じておられる。すごい先生なんだよ」
という董三郎の話を聞き、りょうは思った。ここにいる人たちは、すでに外国をその目で見てきている人たちばかりなのだ。この人たちは、新政府軍の幹部たちより、先を見据えているんだ。この人たちが作る国は、今までの日本とは、違う国なんだ、と。そして、その国で、父と暮らす……りょうは、そんな幸せな未来を想像した......
数ヵ月後に来る悲劇など、このとき想像できるわけがなかったのである。
董三郎は、よく箱館病院に来た。来るたびに、りょうにイギリス留学での出来事を話して聞かせた。
「えっ、イギリスは、女性が統治されてるんですか?」
「クィーン・ヴィクトリア、といわれるんだ。日本の帝と、将軍を合わせたくらいの力を持っておられる。戦争においても、最高指揮官の地位にある。大きな戦争も収めたほどのお方だ。」
董三郎の話は、りょうをワクワクさせた。いつか自分も海外へ行って、勉強してみたい、とりょうは思った。
ある日、りょうと董三郎が仲良く話している姿を見かけた榎本が、歳三に、
「董三郎くんは、りょうくんがお気に入りのようだね……お似合いじゃないか、董三郎くんはとても有能な青年だよ、歳さん」
と言った。歳三はそれを聞くと、
「まだあいつは16だぜ、釜さん。嫁入りなんて年じゃねぇよ。あんな男か女かわかんねぇのを貰いてぇやつなんて、いねぇだろう?」
と笑った。
(一度は総司に許そうと思ったこともあったが、それは素性も人柄も、お互いにわかっているから許せたのだ。他の男とは違う)
と歳三は思っていた。
すると、榎本は、
「そうか?うちの『たづ』が嫁に来たのは、16のときだったよ。娘はいつの間にか大人になっているもんだよ。りょうくんだって、親父どのの知らぬ間に、そうなるんじゃないか?」
と歳三をからかった。すると、歳三は怪訝そうな表情を榎本に向け、無言のままその場を去った。
「どうも、歳さんの心配の種を、俺は増やしちまったようだ……」
と、榎本は大鳥に言い、頭を掻いた。
「それは困った……土方くんには、なるべく心労をかけたくないからな……軍隊のまとめ役は、彼でないと……」
大鳥は腕組みして、苦笑いした。
幹部たちの話題の種になっているとは夢にも思わないりょうは、凌雲の元で、西洋の医療の現状などを教えてもらっていた。新しい国ができることを信じて……
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