第12章 松前へ

 松前に出立するまでの数日間、りょうは、伊庭や本山、果ては野村までの手を借りて、乗馬の練習をした。

「まだまだ、馬にバカにされているぞ!」

「そんなに手綱を強く握っていたら、身動きがとれないぞ!」

先生たちは厳しく、お尻は痛い。りょうは泣きそうだった。

「武士の子なら、とおになる前から馬に乗るんだ。飯を食うことのように体が覚えていく。良さんにはそれがない。すぐにできなくても仕方ないさ」

本山は優しく慰めてくれたのだが、りょうはそれに反発した。

とおからできなかった分だけ、多く乗ればいい。飯を食う回数より、数倍多く乗れば覚えます!」

「こりゃ、八郎に勝るとも劣らない負けん気だ。これなら、松前に行くまでに馬、乗れるようになるかもな」

本山は目を丸くした。

「はは……良蔵らしい!だめだ、といわれると反発するのは、相変わらずなんだな」

野村が見て笑った。


 相馬は遠くから、その様子を見ていた。

(良蔵……会津で土方さんから切り捨てられ、話では、仙台でもう少しで船に乗れるところを、土方さんの命令で置いていかれたのだと聞いた……なぜあんなに必死に追いかけられるのだろう……二度も裏切られたというのに……)

相馬は、歳三が、近藤を見限り徳川脱走軍に加わったのだ、と思っていた。助けられないと知りながら、助命嘆願の手紙を自分に持たせ、自分のことも見捨てたのだと思っていたが、真意は違っていたのか?……相馬は、りょうの言ったことを思い返していた。

『もっと、土方先生に近づいてください!』

「相馬?」

野村の声に、相馬は、はっとしてその場を去った。しかし、りょうの言葉が相馬の心に楔を打ち込んだのは確かなようだ。


 12月の初めに、伊庭、本山、相馬、野村、そしてりょうの5人は、松前に向かった。りょうはまだ、まともに馬が扱えないので、本山と一緒だ。

「恥ずかしい……もうちょっとできるようになると思ってたのに」

悔しそうなりょうの言葉に、伊庭は微笑んだ。

「五稜郭まで乗せたときは、そんな言葉言わなかったものな。少しできるようになったから、乗せられるのが恥ずかしく思うようになったんだ。よしよし、もうすぐだな」


 松前には、遊撃隊と陸軍隊、新選組(の一部)が駐屯していた。少し前(11月15日)に、松前城が開城して、箱館から松前にかけての城下は、脱走軍により平定されていた。しかし松前城下は、りょうが思っていたのとはだいぶ違っていた。大きな建物だけでなく、民家の大半が焼失していたのだ。

「ひどい有り様だな」

本山が言った。りょうには、その様子が会津と重なって見えた。燃え落ちる日新館の記憶は、まだ鮮明に残っていた。わずか数ヵ月前のことだ。友情を交わした友の死も思い出すと胸が痛む。たえや、儀三郎、小幡三郎……戦は、悲しみしか残さない……松前では何人の仲間が犠牲になったのだろう……自然と、りょうの顔は暗くなった。すると、伊庭が言った。

「ここをこんなにしたのは、新政府側の松前藩だ。やつら、自分達の民を犠牲にして、さっさと逃げてしまったんだそうだ」

りょうが顔をあげた。

「罪もない町人の家に火をつけたんですか?」

なんという理不尽なことを!とりょうは思った。

「昔の戦なら、よくあったことだがな。敵に城下をそのまま渡したくない、という侍の勝手な判断だ。住民のことなんか、考えてないんだな。俺たちは、城下を建て直すことからやらねばならないのか……これは大変だな」

本山の言葉に、りょうは、

(家を焼かれた民は、そのあとに入った徳川軍をどう思ったのだろう……徳川が追って来なければ、城下は戦にならなかったのだから……)

と思っていた。


 案の定、その後の徳川軍の評判は、決してよいものではなかったようだが……


 旧幕府軍の本陣は、城の中にあった。相馬と野村が、歳三への取り次ぎを頼んでくれた。歳三は、松前城下の被害状況の把握や、開陽丸の後始末のためとても忙しいとのことだった。小姓たちも奔走しているらしく、姿は見えなかった。


 「陸軍隊の、相馬どのと野村どのが戻りました」

兵士の一人が、歳三に伝えた。相馬と野村が、歳三の前に頭を下げた。

「ああ。相馬、野村、釜さんの護衛、ご苦労だった。少し休んでくれ」

歳三は一旦手を止めて、相馬と野村に目をやり、またすぐ手元の書面を見つめた。すると、野村が言った。

「土方総督に、ご面会の方をお連れしました」

「面会?この忙しいのに、いったい誰だ?」

歳三は、広げられた松前城下の地図を丸めながら目を上げずに聞いた。

「俺だよ、歳さん。久しぶり!薬屋を一人、連れてきてやったよ」


 その声に歳三は手を止めた。顔を上げ、声のする方に振り返った。

「……伊庭の……八郎どのではないか!蝦夷に来ていたのか?」

旧友との再会に、歳三の顔も久しぶりに綻んだ。

「先月の末に、今年最後の船で箱館に着いて、今、松前に着いたんだ。これは、同じ遊撃隊の……」

伊庭が紹介すると、隣で

「本山小太郎と申します。お噂は八郎からかねがね伺っております、土方総督」

本山が挨拶した。りょうは、伊庭の後ろに隠れている。

「こちらこそ。どうせろくな噂じゃないだろうが……何て言ってた?薬屋?」

歳三は、伊庭が言った言葉を聞き返した。伊庭は、なおも隠れようとするりょうを押し出し、言った。

「ほら、ガキじゃないんだから、自分で名乗りなさいよ」

おずおずと出てきたその姿を見て、歳三は、持っていた地図を床に落としてしまった。


 二ヶ月前、折浜まで追いかけてきた娘を、歳三は、断腸の思いで見捨てたのであった。それが、徳川脱走軍のためだと思ったからだ。もう二度と会うことはかなうまい、と思っていた娘。その娘が、今、目の前にいるのだ。歳三は、自分の目を疑った。

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