第23章 会津を出る

 「良蔵さん」

声に振り返ると、時尾と八重がいた。八重も猪苗代に送られる中に入っていたのを、女だからと追い返されたのだ。自分が土佐の指揮官を撃ち殺した、と主張したが、受け入れられなかったそうだ。

「会津を出るのね?」

時尾が聞いた。

「そうなります。解放の条件なんで。きっと会津を出るまで監視されているのでしょう」

りょうが答えると、時尾は、隠していた荷物を出した。城から持ち出したものだ。それは、薬の行商道具だった。りょうが会津に着てきた着物も入っていた。りょうは驚いた。

「なぜここに……!?僕は、天寧寺に置いたままにしてしまって……もう諦めていたんです」

すると、時尾が言った。

「あなたが城に入る少し前に、山口さまのお使いの方がこれを預かってほしいと持ってきたのよ。良蔵の大切なものだ、と言って。たぶん、あの方だわ。良蔵さんが幼なじみだと言っていた……」

「三郎……!」

りょうはその道具を抱き締めた。小幡おばたの心が嬉しかった。思えば、小幡はいつも、陰からりょうを支えてくれていた。鳥羽伏見の前、小幡が、沖田とりょうが御陵衛士に狙われていることを、お孝に伝えてくれたお陰で、ふたりは無事に伏見まで逃げることができた。沖田の元に、姉、みつを連れてきてくれたのも小幡だった。白虎隊の最期の姿を見届けてくれたのも小幡だった。今ここにある行商道具も、歳三が使ったもので、りょうにとっては何物にも代えがたい、大事なものだ。本当に助けが欲しいときにいつの間にか来てくれていたのが小幡だったことを、りょうは、あらためて思い知った。

「三郎……!生きていてほしかった……何も、恩返しできないじゃないか……!」

りょうは、もう二度と会えない幼なじみを思って、泣いた。


 「良蔵さん、あなたを解き放ったのも、薩摩の中村半次郎さまなのでしょう?」

突然、八重が聞いた。りょうは驚いて、八重を見た。

「あなたも、ってことは、八重さんもあいつに城を出されたんですか?」

りょうの言葉を聞いて、八重はクスッと笑った。

「ずいぶん、あの人を嫌っているみたいね」

「当然です!!薩摩は敵です!特にあいつは大嫌い!いつも人のこと馬鹿にして、ガキだのおなごだの、大人しくしろだの、大きなお世話だ!僕は皆さんと一緒に、猪苗代で謹慎するのを覚悟していたのに、勝手なことをして!」

憤慨するりょうを見て、時尾は、

「良蔵さん、落ち着いて。もう会うこともない人よ。あなたが故郷に戻れば……」

と、なだめた。

(……そうだ。もう二度と会うことはないんだ。僕は何でこんなにいらだっているんだろう。忘れてしまえばいいだけなんだ。あんないやなやつのことなんか……)

ふと、りょうの脳裏に、中村のニヤリとした顔が浮かんだ。りょうは、ぶるんぶるん、と頭を大きく振り、その顔を打ち消した。すると、八重が、

「あの方、そんなに悪い人ではないと思うわ」

と言った。

「八重さん、どうして?」

八重の意外な言葉に、りょうは目を丸くした。八重の弟の山本三郎は、鳥羽伏見の戦で亡くなった。八重はその三郎の着物を着て籠城戦に臨んだと聞いていた。薩摩に対する憎しみは、りょうに劣らないはずだ。


 「私は、名前を聞かれたとき、三郎の名を使ったの。でも、すぐにわかってしまって、取り調べのために呼び出されたわ。その時、目の前にいたのが、中村半次郎さまだった」

と、八重は語り始めた。


 八重は、裸にされて調べられるのかと思い、その時は舌を噛みきる覚悟でいた。だが、中村は、優しく話しかけた。

「おはんは、日新館蘭学教授、川崎尚之助かわさきしょうのすけどんの奥方、八重どんでごあすな」

八重が答えないでいると、中村は、

亭主てしさあから、『かかおっこのなりをして、謹慎するもん達ん中に紛れ込んでいる。おっこん中にしゃしゃりっなど、会津のおなごとして、大変わっぜぇ不届ふとどもんであっで、見つけて追い出してほし』と申し出があったので、おはんを解き放つこちなりもした」

と言った。

「わ、私は、土佐の指揮官をスペンサーで撃ちました!」

と、思わず八重が声をあげると、

「そん話も、『赤熊しゃぐまん指揮官を撃ったのは自分わがだ』と川崎どんは申しておりもす。『妻は自分わががやったと思い込んでいる。小賢ずっかぎい(小賢しい限りだ)。いみす叱って放逐してくれ』と。亭主てしさあの言葉にしたごのが、かかん努めではあいもはんか」

と、中村は言った。

「川崎尚之助さまとは離縁するつもりでいます。あの方は、兄に会津へ連れられて来ただけのお方です。兄に言われるままに私と夫婦めおとになっただけです。会津とは関係ない方。あの方をこそ、解き放つのが筋でございましょう」

八重は、中村を見つめてきっぱりと言った。その表情を見て、中村は微笑んだ。

「そやできもはん。川崎どんは会津の兵士たちに砲術をいっかせた責任があいもす……しかし、兄上のおっしゃられちょったとおいの、気がえおなごでごあすな、おはんは」

「兄をご存じなのですか?」

八重が聞くと、中村は真顔になって、

「兄上は、京の薩摩藩邸にて、お預かりいたしておりもす。お目を患われておりますが、しと粗末ざんとはあっこっおりもはん。兄上のちゃい建白書には、小松どんや、西郷先生せんせも敬服されておりもした」

と答えた。嘘を言っているようには見えなかった、と八重は時尾とりょうに話した。


 八重は手続きが済むまで、一人で座敷牢に入れられることになった。それも、女であることを考慮して、男達とは別にした、中村の配慮だった。

「八重どん」

八重が中村を見上げると、中村は言った。

「川崎どんは、兄上の言葉にしたごて、おはんと夫婦みとになっただけなんかもしれん。でも、川崎どんは、てしとしておはんを守ろうとなさった。おはんもまた、かかとして川崎どんを守ろうとなさった。貴方おはんたっは立派じっぱ夫婦みとだとおももす」

「……ありがとうございます、中村さま」

八重は中村の言葉で心が癒された、と話した。


 「あいつは、八重さんが山本覚馬さまの妹だとわかったから、解放したんです。きっとそうです」

りょうの不服そうな言葉に、八重は、

「良蔵さんのことを、中村さまは必死に探していたわよ」

と言った。りょうは手を振ってその言葉を否定した。

「そんなはずないですよ。西郷家で、僕はあいつに斬りかかったんです……当身あてみで簡単に気絶させられたけど……探していたのは、大殿様に頼まれたからです。仕方なく探していたんでしょう」

八重は、しょうがない子ね、という顔で、りょうを見て、ため息をついた。

「私のいた座敷牢からは、取り調べの部屋がよく見えたの。中村さまは、猪苗代に送る予定の男達の名簿を部下に持ってこさせて、一枚一枚、必死になってご自分で確認していたわ。あなたの名を見つけたとき、『あった!玉置良蔵、これだ!』と、ほっとしたような、嬉しそうなお顔をされていたわよ。あなたのことを、助けたかったのは、間違いないわ」

八重の言葉に、りょうは、

「そんな、まさか……あの、中村半次郎が……」

と呟いた。

「あなたが会津で、たくさんの兵士の方々の看護をされたのは本当よ。新政府の中には、そういうところをちゃんと見てくれる人もいるのよ。解放されて良かったのよ」

と時尾がいうと、りょうも、そうなのかな、と思えてきた。いずれにしても、もう二度と会わないのだから、関係ないのだ。気にすることはない、とりょうは思っていた。


 りょうは顔を上げて言った。

「僕はこれから、土方先生を追って仙台に向かいます。故郷にはまだ帰りません」

りょうは、燃え残った民家の隅で着替え、行商の格好になった。道具の中には、通行手形がそのまま入っていた。

(会津に来るときは、これと、総兄ぃの刀があったんだ……今はきっと、父さんが持っているに違いない……誠の旗と共に……)

今の荷物の中には、沖田の刀と新選組の隊旗の代わりに、会津武士の心を示す赤い布地が入っていた。後に、『泣血氈きゅうけつせん』と名付けられた布である。日進館で松本良順からもらった医療道具も入っていた。


 三人は、たえと儀三郎の守り袋を、城の外れの桜の木の下に埋めた。砲弾を受けずに残った桜だった。

「きっと今頃、仲間たちに見守られて、向こうで祝言を挙げているわよ……」

時尾が呟いた。

(たえさん、儀三郎、安らかに……!)

手を合わせて、りょうは、はっと気がついた。

「時尾さんに伝えておくことがあります」

りょうは、容保から何か願いがあるか、と聞かれて、斎藤のことを会津藩士として扱ってくれるように頼んだ。新選組のままでは、この先どう扱われるかわからない。会津のために命がけで戦っている斎藤と時尾のために、何かしたかったのだ。

「大殿様から、書状が行っているはずです。『一瀬伝八』という会津藩士として通すように、と」


 地方で戦っていた会津藩士は、降伏後、塩川に集められて、越後高田藩などで謹慎させられた。その中に、『一瀬伝八』という藩士がいたことが記録されている。


 「きっといつか、会えますよ。会津の人として。山口隊長と、幸せになってくださいね、時尾さん」

時尾は、笑って頷いた。

「良蔵さん……あなた、体は大丈夫?さっきから咳が……」

八重がりょうを心配した。

「大丈夫です。ちょっと風邪気味で。薬売りが風邪引いてたら、洒落にならないですね」

りょうは笑った。

「これから峠は雪になるわよ。出立を遅らせたら?暖かい上着や簑も用意した方が……」

時尾が言ったが、

「少しでも早く出て、仲間に追いつかないと」

と、りょうは行くことを決めていた。


 会津戦争は終わった。りょうの心に、喜びと、悲しみを残して。会津であったことは、その後のりょうの生き方に大きな影響を与えたことは確かであった。そして、りょうはまた、父の背中を追いかける……


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