第15章 恋人たちの別れ

 新選組が母成ぼなりに布陣していた8月20日、まだ若松城下は穏やかであった。りょうはずっと屯所である天寧寺てんねいじに戻れず、歳三や他の新選組の情報も得られないまま、日新館で過ごしていた。その日、たえが嬉しそうに、りょうと中野しんに言った。

「お父様が、儀三郎さんに会ってくださることになったの」

りょうは一瞬、なんのことだかわからなかったが、しんが、

「わあ、おめでとう、たえちゃん。いよいよお嫁入りね!」

と言ったので、儀三郎がたえの婿として、たえの父に認められた、ということを理解した。たえは言った。

「今はこんな時勢だから、祝言はまだずっと先だと思うの。でも、ご家老の神保さまと白虎隊長の日向ひなたさまがお世話くださって、話が進んで……」

「おめでとう、たえさん!良かったね!」

りょうは心から喜んだ。輝くようなたえの笑顔を美しいと思った。そして、沖田のことを思い出した。永倉の話では、沖田はりょうを『嫁にほしい』と言ったという。もしも沖田が元気になっていたら、いつか自分もこんな笑顔ができていたのだろうか、とりょうは思った。たえは、この23日に、儀三郎が来るのだ、と言った。


 翌日の午後、日新館に儀三郎が来た。りょうは、

「儀三郎、たえさんから聞いたよ。おめでとう」

と言うと、真面目な儀三郎は、

「まだご家老さまに許していただいたわけではない。早とちりするな」

と答えた。

「おまえにはちゃんと言っておこうと思って……」

と儀三郎は切り出した。

「お前とはいろいろあったが、全部、俺の勝手な思い込みで、嫌な思いをさせてしまった。心から謝る。新選組に対しても、大人たちの言うことに惑わされて、色眼鏡で見ていたのだ。皆、素晴らしい武芸者で、信頼できる方々だった。会津藩の中しか見ていなかった俺たちの目を覚まさせてくれた。感謝する」

そう言う儀三郎に、りょうは、

「なんだか変だぞ、儀三郎。これから嫁取りする男の言葉じゃないよ。たえさんを幸せにする、くらいは言ってほしいな」

と笑った。儀三郎も笑って、

「そうだな。俺もがらにもなく緊張しているのかもしれん」

と言った。

「たえさんを幸せにしてくれよ、儀三郎」

りょうは儀三郎をまっすぐ見て言った。儀三郎はちょっと間をおいて、

「ああ」

と頷いた。儀三郎が帰ったあと、りょうは、

(儀三郎、なんか変だったな……あれじゃ、別れの挨拶じゃないか……)

と思った。儀三郎の兄は、朱雀隊で、猪苗代方面に出陣していた。この日(8月21日)の朝、母成での戦闘があり、その一報が篠田家に届いていたのだった。


 事態が急変したのは、その翌日だった。

「良蔵さん、大変よ!白虎隊に登城命令が出たのよ!!藩士の15才から60才までの男子は、全員登城命令が出ているわ!」

その朝、時尾が血相を変えて日新館に来た。

「なんだって!?」

りょうは驚いて、医師たちの控え室に行った。そこにいたのは、古川医師と良順の弟子たちだけだった。良順も鈴木医師も不在だった。

「鈴木先生なら、今朝早くご自宅に戻られたよ。源吉くんの支度でな。良順先生は日新館を代表して、南部先生と共に登城された」

古川医師はそう言った。りょうは、

「猪苗代に出陣した部隊は、どうなったのですか?新選組は……?」

と聞いた。古川医師は、

「詳しいことはわからないが、母成峠を破られて、峠の守備部隊は散り散りに敗走したと聞いた。新選組にも、多くの怪我人が出たようだ。敵は猪苗代城に向かったらしい。これから、大殿様が滝沢本陣に向かわれる。その大殿様を守るのが、白虎士中二番隊だということだ」

と言った。


 りょうが日新館にこもる前に聞いていたのは、歳三の部隊は仙台藩から洋式軍隊の訓練を依頼されているということであった。その準備のために猪苗代に移動すると聞いていた。歳三は無事なのか……りょうの不安は募った。儀三郎があんな表情をしていたのは、この話を先に聞いていたからなのか……たえさんはどうしているのだろう……?りょうは、たえが心配だった。すると、りょうの気持ちが伝わったかのように、たえが現れた。たえの目は赤かった。

「たえさん!」

りょうは駆け寄った。

「夕べ遅くにお父様がお帰りになって、聞いたの。戦が始まるって……だから、儀三郎さんは来られないって言ってきたって……私、儀三郎さんに渡したいものがあって……お願い、良蔵さん、協力して……!」

りょうはたえから話を聞き、時尾に断って日新館を出た。


 白虎隊士の家族は、みな、出来うる限り、精一杯の支度をした。そして、親たちは同様の言葉を、初陣を飾る息子たちに伝えたのである。

『会津武士として、恥ずかしい振る舞いはするな』

日新館に育てられた精鋭たちは、この言いつけを固く守り通した。


 三の丸には、続々と白虎隊の少年たちが集合していた。りょうは、三の丸の入り口で一人の少年を探していた。まもなくその少年がやって来た。背筋を伸ばし、まっすぐ前を見つめて歩くその姿は凛々しかった。

「儀三郎!儀三郎!こっち、こっち!」

りょうの声に気づいて、儀三郎が近づいてきた。

「なんだ、良蔵、大きな声を出して呼ぶな。俺は忙しいんだ」

不服そうな儀三郎の手を引いて、西郷家のところまで来ると、そこにたえと、飯沼貞吉がいた。儀三郎はたえを見ると、緊張した表情になった。軽く会釈をすると目を伏せた。貞吉が言った。

「儀三郎さん、一緒にご家老様に挨拶してから、三の丸に入りましょう」

貞吉はそう言うと、庭に面した木戸を開けて、儀三郎を促した。儀三郎は断る訳にもいかず、貞吉のあとに続いて、庭に入った。


 庭に面した屋敷の縁側には、西郷頼母たのもと妻の千恵が座っていた。貞吉が言った。

「叔父上、叔母上、出陣のご挨拶に参りました。飯沼貞吉にございます」

儀三郎は、貞吉のあとに続いて言った。

「白虎士中二番隊嚮導、篠田儀三郎にございます。ご家老さまには、このようなご挨拶になり、申し訳ございません」

すると、頼母は言った。

「そのほうらは、大殿のお供をして、滝沢のご本陣へ向かう。直接の戦には出ないであろうが、会津の若武者として、立派に大殿をお守りいたすように」

その言葉に二人は、

「はっ!」

とかしこまった。千恵が、

「命を粗末にしてはなりませんよ。またそのお顔を見せてくださいね」

と、母親のように言うと、二人の若武者は微笑んだ。少年らしい笑顔だった。

二人は、

「では、行って参ります」

と一礼して木戸の外に出た。儀三郎が木戸を出ようとしたとき、頼母が言った。

「篠田儀三郎、あらためて挨拶に来るのを、待っておるぞ」

その声に儀三郎は振り返り、頼母の方にまっすぐ向き直って答えた。

「はい。必ずお伺いいたします!」


 木戸を出ると、たえと目が合った。儀三郎はその場に立ち止まった。貞吉が、

「儀三郎さん、先に行っています。まだ時間があるので、大丈夫です」

と言って、足早に行ってしまった。儀三郎は、

「飯沼、俺も……」

と言い、あとを追おうとした。その時、

「儀三郎さん」

たえが呼び止めた。儀三郎はたえの方を向いた。たえの目には涙が光っている。

「……ご武運を、お祈りしています……」

たえはそう言って、手作りの守り袋を渡した。自分のものと揃いで作った守り袋だ。儀三郎はそれを受けとると、言った。

「行ってきます。あなたと、会津を守るために……!きっとまた、ご挨拶に来ます……!」

それだけ言うと、儀三郎は走って行ってしまった。たえは、りょうの肩に顔をつけて、泣いた。りょうは、走っていく儀三郎の後ろ姿を見つめ、心の中で叫んだ。

(儀三郎、必ず、戻れ!たえさんのために……!!)


 しかし、滝沢本陣に白虎隊が宿陣すると、十六橋じゅうろっきょうが敵の手に落ち、新政府軍は城下になだれ込む勢いだという情報が届いていた。本陣に援軍の要請が来ていたが、肝心の本隊は、いまだ滝沢本陣に着いてはいなかった。援軍要請に応じられるのは、佐川隊の少数と、白虎隊だけだった。


 容保かたもりは断腸の思いで、白虎隊に出撃を命じた。白虎隊が守備に就いたのは大野原おおのはら戸ノ口とのぐちであった。冷たい雨が降っていた。食料を持たずに出撃した白虎隊は、途中で食料調達に行った日向内記ひなたないきとはぐれ、寒さとひもじさの中、少年たちだけで露営をした。


 初陣で、指揮官不在による不安、天候不良による見通しの悪さと体力消耗、空腹による判断力の低下など、いつもなら知力、胆力に秀でていた少年たちの能力は、発揮する機会を見いだせなかった。翌23日の朝、勢いに乗じて戸ノ口に迫った新政府軍に、なすすべもなくそこを突破されてしまったのだ。新政府軍は城下に迫っている。白虎士中二番隊は、散り散りになりながら、城下へ向かって退却した。


 なんとか城下に戻ることができて、籠城に加われた班もあった。しかし、儀三郎の班は、負傷した仲間をつれて敵から身を隠しながら、戸ノ口堰洞穴とのぐちせきどうけつを通り、飯盛山の麓までやっとたどりついた。このとき、少年たちは、その気力も体力も限界であった。

「見通しの良い、山の上まで上ろう」

誰かの言葉に応じて、飯盛山の中腹まで上った儀三郎たちが見たのは、火と煙に包まれた城下の姿だった。誰かが言った。

「このまま戻っても、城に入ることはできないな……」

「敵に囲まれて捕らわれるのは、恥だな」


 皆が絶望に打ちひしがれていたそのとき、儀三郎は、文天祥ぶんてんしょうの『零丁洋れいていようぐ』を吟じた。


(※)

辛苦遭逢しんくそうほう 一経いっけいよりおこる  干戈落落かんからくらくたり 四周星ししゅうせい

山河破砕さんかはさい 風絮かぜじょただよわし  身世飄揺しんせいひょうよう 雨萍あめへい

皇恐灘邊こうきょうだんぺん 皇恐こうきょうき  零丁洋裏れいていようり 零丁れいていなげ

人生古じんせいいにしえより たれ死無しなからん  丹心たんしん留取りゅうしゅして 汗青かんせいらさん


「かの文天祥は、元に囚われ、降伏勧告の書状を書くように求められても、宋に忠誠を尽くし、断固として屈することなく、死に臨んだ。われらもならおうではないか。人は皆、いつかは死ぬのだ。このまま城下に戻って敵の手に捕らわれるよりは、潔くここで死に、会津武士としての矜持きょうじを示し、歴史に名を残そう!」

儀三郎の言葉に、そこにいた少年たちは、皆、頷いた。


 (たえさん、ごめん。俺はもう、あなたを守れそうにない。どうか、あなたは生きて幸せになってほしい。俺は、会津武士としての誇りをまっとうするのみ……)


 そして、儀三郎は刀を抜いた。



(※筆者注: 読み下し文は、『公益社団法人 関西吟詩文化協会』様のサイトより抜粋させていただきました)

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