第6章 恋文騒動

 翌朝、歳三のもとを訪れた斎藤が驚いたのは言うまでもない。もちろん、りょうがそこに居たことには驚いたが、もっと驚いたのは、歳三の表情に対してだった。

(これが、あの、生死の境をさまよっていた土方さんだろうか?)


 歳三が会津入りしたうるう4月、斎藤は、会津藩と共に、白河城の守備についていた。ギリギリのところで白河城を守ってはいたが、新選組にも戦死者が相次ぎ、体制を立て直すため、若松城下にきていた。歳三に面会したとき、歳三は動くこともできず、傷が化膿したせいで、足がかなり腫れていた。一時は、松本良順が、本気で歳三の足の切断を考えたほどだった。東山温泉で湯治治療をする、ということで、斎藤が新選組の隊長役を引き受けたのだ。足の切断は免れたものの、からだの中に入った菌のせいで、歳三は熱が引かず、傷の治りも悪かった。


 そんな歳三が変わってきたのは、沖田の死を伝える文を受け取ってからだった。沖田の死は、天寧寺てんねいじの新選組にも伝えられた。皆、いつかは来る知らせとわかってはいたが、新選組随一の剣士の死を悼み、涙を流した。近藤の死に続いて、沖田の死の報を受け取った歳三を、隊士たちは心配していたのだが、歳三は、落ち込むどころか、どんどん体調を回復させていった。その気力の強さに、斎藤は改めて、土方歳三という男の底力を感じた。そして、その底力を支えていたのが、今目の前にいる小柄な小姓だということに、斎藤は気づかされたのだ。この小姓に、おのれの弱い姿を見せられないという、歳三の武士としての矜持きょうじなのであろう。


 「はじめ、また厄介が一人増えちまうが、よろしく頼む。良蔵、山口隊長にちゃんと挨拶をしろ」

斎藤は慶応3年の秋に新選組に戻って以来、ずっと『山口次郎』の名に変えている。多くの隊士はそれ以降の入隊なので山口の呼び名に抵抗はないが、りょうはつい、『斎藤先生』と呼びそうになるし、歳三なぞは、ずっと『はじめ』と呼んでいる。最初の頃は、気にしていた斎藤だったが、

「名前なんかいくつ変わったって、中身が変わる訳じゃねえ。俺にとって、はじめはじめだ。」

と歳三に言われてからは、あまり気にしなくなった。沖田も最後まで、「はじめくん」と呼んでいた。

斎藤は言葉少なに、

「わかりました土方さん。これから屯所に連れていきます」

と言った。

「よろしくお願いいたします。斎藤……山口隊長」

りょうは素直に頭を下げた。

(良かった……土方さんも、これで少しはご自分のことを考えてくださるだろう……昨日よりも明るい顔をされている……)

近藤や沖田と別れてから、まるで死に向かって走り続けているような歳三を心配していた斎藤であった。良蔵が来たことで、歳三が生きる目的を見いだしたことを感じていた。


 りょうは、斎藤に馬に乗せてもらい、日新館を回ってから天寧寺に行くことした。時尾ときおやたえに、昨日の礼を言わなくてはならない。

りょうは昨日の話を斎藤にしていた。斎藤はいつものように無表情にしている。話を聞いているのか、いないのか……

「それで、高木時尾たかぎときおさまという方が……」

りょうが言ったとたんに、斎藤の手綱さばきが乱れた。

「わっ!」

りょうは落ちそうになり、あわてて斎藤にしがみついた。

「す、すまん、良蔵!」

「だ、大丈夫です……あー、びっくりした」

斎藤にしては珍しいことだと思っていると、前に時尾の後ろ姿が見えた。

「時尾さ……」

りょうが呼ぶよりも早く、斎藤は馬の歩みを急がせた。時尾は振り返った。

「山口さま……!おはようございます!」

その時の時尾の表情の、なんと美しかったことか……明らかに、斎藤に会えて喜んでいる表情だった。りょうは後ろから斎藤の顔を見ようとしたが、うまく見えない。

「と、き、お、さん。おはようございます」

りょうは斎藤の後ろからひょいと顔を出した。時尾はびっくりした顔をした。

「あ、あなたは昨日の……」

時尾は恥ずかしそうにうつむいた。

「玉置良蔵です。昨日のお礼とご挨拶に……」

そう言ったとき、斎藤が、

「良蔵、降りろ」

と言った。言われるがままに馬を降り、ちら、と斎藤の顔を見た……赤くなってる……なんだ、そういうわけか……と、りょうは納得した。りょうがニヤニヤしていると、

「な、なんだ良蔵、その顔は?」

と、斎藤はりょうから目をそらした。新選組で沖田や永倉と争うほどの剣豪であり、何人斬っても顔色を変えないほどの人物が、一人の女性の前でこんなに分かりやすい顔をするなんて……と、りょうはなんだか嬉しかった。

「いえ、隊長も青春してるんだなあ、と思っただけです」

「お、大人をからかうな!」

斎藤は明らかに動揺していた。あはは……とりょうは笑った。

「山口さま、もう傷は痛みませんか?」

時尾が斎藤に聞くと、斎藤は緊張しながら、

「は、はい。その節は福良ふくらまで来ていただいて、ありがとうございました」

と答えた。たぶん、斬りあいの十倍は緊張しているだろう、とりょうは二人を見て思った。


 5月始めの白河の戦で怪我をした斎藤は、当時、福良の病院にいた。そこに、松本良順の供をして看護に訪れたのが時尾であった。若い二人が、お互いに好意を持ったとしても不思議ではない。


 日新館の中に入ると、良順がりょうを見つけて呼んだ。

「良蔵!お前はわしの道具を勝手に使ったな!?」

昨日の治療で、そばにあった道具を思わず使ったことを思い出したりょうは、

「すいません!!急だったもので……」

と謝った。すると、良順は、新しい箱を持ってこさせて、

「ほら、これからはこの道具を使いなさい。お前専用じゃ。またわしの道具を使われたら困るからな」

と言った。りょうはびっくりして、

「ぼ、僕の医療道具ですか?僕、ここで働くんですか?」

と聞くと、良順は、

「お前が新選組の屯所に行っても、土方はおらんのだし、他の小姓たちで間に合っとるようじゃ。昼間はここで先生たちの手伝いをしながら、技術を学ぶといい」

と言った。良順は、歳三がりょうをいくさの中に出したくないと思っていることがわかっていた。ここなら自分の目が届くので歳三も安心だろうと思ったのだ。りょうは、医術を学べる嬉しさの反面、もう新選組に自分の居場所はないのか、と考えると少し悲しかった。やがて、そんな心配をしている暇もないほどの忙しさがやって来るのだが……

「他の先生方に引き合わせるから来なさい」

良順に言われて、他の医師たちが診察をしている部屋に行った。

「やあ、良蔵くん、久しぶりだね」

「南部先生!」

りょうに最初に声を掛けたのは、京で会津藩の医師を務めていた、南部精一だった。

「古川先生、この者が、近藤勇の銃創の手当てをした玉置良蔵です」

古川、と呼ばれた医師は、

「君が……!もっと年長の青年かと思ったよ。新選組で医者を務めたと聞いていたから……」

と、意外そうな顔をして言った。この古川春英ふるかわしゅんえいという医師は、元々、会津出身であり、会津の蘭学所などで教鞭をとるほどの人物だったが、更に自らの医術を高めるため、会津を出て、他国で医術を学んでいた。松本良順とは長崎で出会い、良順が会津に招かれた後に、古川の所在を藩に探させ、呼び戻したのであった。

「僕は山崎先生のお手伝いをしていただけですから」

りょうは言った。南部は、

「そんなことはない。西本願寺に屯所があった頃、良順先生は我が家にほぼ居候されていて、近藤さんや土方くんを連れてきては話し込んでいたんだ。君の話もしていたよ、よくやっているって……そういえば、沖田くんは、残念だったね……あの頃から胸の病が少しずつ進行していたのだろう……」

「はい……」

沖田の話になると、胸が痛むりょうであった。


 そんな医師たちの様子を、少し離れたところから見ていたのが、源吉げんきちだった。源吉は、藩医の鈴木医師の次男であった。長男の金二郎は、すでに藩医として、松平容保かたもりに仕えていた。鈴木医師は、勉強のためと、時々源吉に手伝いを命じていたのだ。

(あれは、昨日の行商……!なんでここに……さてはたえさんが目当てか……?)

すると、父の鈴木医師がりょうに近寄って頭を下げるのが見えた。りょうも挨拶をしている。

(なんで父上があんなのに頭を下げているんだ!?)

源吉はムカついていた。なぜなら、昨日の訓練は、儀三郎ぎさぶろうの虫の居所が悪かったせいで、さんざん八つ当たりされた挙げ句、居残りまでさせられて、へとへとだったのだ。その原因を、

(みんなあの行商野郎のせいだ!)

と思い込んでいたからである。

「源吉、こっちに来なさい」

と、鈴木医師が呼んだ。しぶしぶ、呼ばれて従う。

「白虎士中二番隊に所属している、次男の源吉です。歳は17。源吉、こちらは新選組隊士の玉置良蔵さんだ。見事な医術の腕を持っている」

鈴木医師が紹介すると、りょうはあわてて、

「僕は両長召抱の扱いなので、隊士の身分ではありません。それに、まだ医術は見習いです……誉めないでください」

と言った。源吉はりょうの顔を初めて間近に見て、

(新選組だって!?まだ子供じゃないか……)

と思った。

「玉置良蔵、16才です。白虎隊の噂は聞いています。皆さん、武芸に秀でた方だと……今度是非、お手合わせください!」

りょうにいきなり、手合わせを、と言われて源吉は面食らった。何を生意気な……と思った源吉は、

「白虎隊が、浪人剣法などと立ち合えるものか!」

と言ったので、鈴木医師が叱った。

「源吉!失礼ではないか!」

源吉は黙っている。すると、りょうが言った。

「確かに、隊士の方々は皆脱藩しています。でも、剣術にひけをとるとは思われません。天然理心流、北辰一刀流、神道無念流、無外流、その他、免許皆伝の方ばかりですよ。僕も7才から天然理心流を学びました」

ニコッと笑う、りょう。

(7才からだって?)

源吉は驚いた。会津では、10才くらいから日新館に入学する。正式に武芸を学ぶのはそれからという子供もいる。

「良蔵、むこうで白衣をあわせるから、行ってきなさい」

と良順に言われて、りょうは源吉に一礼して良順が示した部屋に行った。りょうが行ってしまったあとで、良順は、源吉に尋ねた。

「源吉くん、新選組の沖田総司を知っておるかの?」

「名前だけは……相当の剣の使い手だと……京から戻られた藩士の方の噂とかで」

すると、良順は笑いながら言った。

「その沖田の一番弟子が、良蔵だよ」

源吉は、それを聞いて、背筋が寒くなった。


 一部始終を遠くから見ていた斎藤が、クックッ、と笑ったので、時尾が聞いた。

「山口さま、どうされました?」

「いや、よくあの無鉄砲ががまんをしたものだ、と思いまして……理不尽な物言いには、いつも食ってかかっていたので。あいつも少しは成長したのでしょう」

斎藤が言うと、

「まあ」

時尾はりょうをあらためて見た。

「でも、良順先生があんなに期待されているなんて、昨日の技術といい、あの若さで、ご立派ですのね、良蔵さんは」

時尾が言うと、斎藤は、

「新選組では、毎日何かしらの怪我人がおりましたから、慣れているのでしょう。……あれは、何度も親しい者の死を見てきている者です。誰よりも命の大切さをわかっている……ここでも、きっと皆さんの役にたつでしょう」

と言って、りょうを見た。時尾は、そんな斎藤の横顔を見つめていた。斎藤は、また来ます、と言って福良に向かった。


 昼近く、たえがやって来た。たえとりょうが親しそうに会話を交わしているのを、源吉は遠くからいまいましそうに眺めていた。朝の件で、父からも絞られたのであった。

(なんだ、たえさんはあんなに楽しそうにして……!)

やがて、たえが恥ずかしそうな顔をして(そのように源吉には見えただけだが……)、りょうに文を渡すのが見えた。りょうは、一度断ったようだったが、結局、その文を受け取り、大事そうに懐に入れた。

(たえさんがあいつに、恋文こいぶみを渡した!?)

たえは、嬉しそうにして、また日新館を出ていった。りょうもまんざらでなさそうな顔をして、懐を確かめている(ように、源吉には見えていた)。

「大変だ!たえさんがあいつのことを好きになってしまったら、また儀三郎がおかしくなってしまう!これは一大事だ!」

早合点した源吉は、儀三郎を探した。


 儀三郎たち二番隊は、日新館の庭で稽古をしていた。元々は学校である。全部が病院になってしまった訳ではなく、稽古をする場所も少しではあるが残っていた。

「儀三郎、大変だ!」

儀三郎は、源吉の声に嫌な顔をした。

「またか。お前の『大変だ』は、ろくな話ではない」

源吉はムッとしたが、気持ちをおさえて言った。

「今度は本当に大変だ。あの行商野郎がここに来た。あいつ、新選組だった!」

「なに!?」

儀三郎だけでなく、他の白虎隊の少年たちも驚いて、話に入り込んだ。

「新選組がなぜ日新館にいるんだ?」

他の少年が聞いた。源吉は、

「新選組で医者をしていたらしい。松本先生や南部先生とも親しそうだった。ここを手伝うと言っていた」

と言うと、他の少年が、

「会津藩士が、新選組ごときの医者の治療を受けるのか……!?」

と言った。

「昨日、もう、ここで手術をしたらしい」

と源吉が言うと、

「情けない……!伝統ある会津武士が、浪人集団に助けられるとは……」

悔しがる少年たち。


 この頃の会津では、京での新選組と会津藩の関係がよくわかっておらず、容保の意図も良く伝わっていなかったようだ。藩士の多くは徳川家の親戚筋としてのプライドで固まっており、やって来た新選組や伝習隊などを軽んじる傾向があったようだ。大人の考えは、少年たちにも引き継がれてしまっていた。

「大変なこととはその話か?下らん。我らには関係ないではないか」

儀三郎が言うと、源吉はあわてて、

「そうじゃないよ!その新選組が……えーと、名前は……玉置だ、その玉置良蔵が、たえさんとかなり親しいんだ!」

と言った。それを聞いた儀三郎の顔色が変わった。

「ニコニコ話しかけたり、笑ったり……さっきは文を渡していた。あれは、絶対恋文だ!どうすんだ、儀三郎!」

源吉が聞いた。皆、儀三郎の顔を見た。儀三郎は思っていた。

(いつもなら、たえさんは日新館に来ると必ず、俺たちの稽古の様子を覗いてから帰っていた……恥ずかしそうに、話しかけることもせず……でもその慎ましやかな様子が可愛かったのだ……それをなんだ、来ないと思ったら、恋文だと!?女が、男に……恋文を自ら渡しただと……!?)

「許せん!!その新選組!!」

あまりに激しい儀三郎の声に、二番隊は震え上がった。

「よそ者のくせに、会津の女子おなごに手を出すなど、言語道断!!それも、ご家老の媛ぎみに!捨て置けん!!」

儀三郎は言った。

「で、でも、剣も強いらしいぞ……沖田総司の弟子だと言ってた……」

源吉が言うと、簗瀬勝三郎やなせかつさぶろう野村駒四郎のむらこましろうが、

「俺たちは、十(とお)の頃から武芸を叩き込まれているんだ。新選組なんかに負けるわけないよな!」

と、意気込んだ。

すると、それに乗じて少年たちは盛り上がった。

「やってしまえ!」

「待ち伏せしてボコボコにするか!?」

と皆で言っていると、儀三郎が、

「それはダメだ!会津武士が卑怯な真似はできない」

と言ったので、暴発しそうな空気が一気にしぼんだ。儀三郎の真面目な性格が出ている。

「じゃあ、どうするんだ、儀三郎」

源吉が聞くと、儀三郎は答えた。

「俺は、玉置に果たし合いを申し込む!」


 午後、りょうは、迎えに来た斎藤にまた馬にのせてもらいながら、天寧寺へ向かっていた。

「山口隊長、聞いてもいいですか?」

「なんだ?」

斎藤は内心、びくついている。朝、自分の気持ちをりょうに見透かされた気がしたからだ。

「恋文って、もらったらどうすればいいんですか?」

りょうの言葉に、斎藤は、また手綱が乱れそうになった。

「こっ、恋文だってえ!?」

斎藤は二の句が次げない。

「返事は文で返すんですか?それとも、会って直接返事するんですか?」

りょうはケロッとして聞く。

「そ、そんなの俺が知るか!土方さんにでも聞け!!」

斎藤はしどろもどろである。

「土方先生には、聞きたくないんです!」


 昔、りょうは、歳三が送ってきた文の中にあった、芸妓から歳三への恋文の束を盗んで燃やしたことがある。それを歳三に思い出されたら困るのだ。斎藤がそんなことを知るはずもない。

(全く、最近のガキどもは、油断も隙もないな。俺なんか……恋文なんて、もらったことないぞ!)

馬上で密かに憤慨していた斎藤であった。


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