第2章 英太夫一座との再会

 数時間ほど歩くと、千住宿についた。千住宿は、日光街道と奥州街道の玄関口である。当然のことながら、新政府軍による検問所が設けられていた。彰義隊の残党狩りの真っ最中で、検問は特に厳しかった。新選組とて同じことだった。近藤を処刑した新政府軍は勢いづき、新選組や旧幕臣も同様に厳しく取り締まられていたのだ。刀を差している侍は、荷物の中身まで、皆調べられていた。りょうの荷の中には、『誠』の隊旗があった。見つかれば捕らえられるのは必至だった。悩みながら検問の近くにたたずんでいたとき、誰かが声をかけてきた。

「あんた、りょうちゃんじゃないのかい?」

りょうが顔を上げると、旅芸人の一座の頭らしき女が近づいてきた。りょうがきょとんとしていると、その女は言った。

「小さかったから、忘れてしまったかねえ。神奈川宿から日野の高幡不動まで、一緒に旅したんだよ」

その声に、りょうの記憶がよみがえった。

「お雪姉さん!!」

それは、母の仇を討とうと、歳三を求めて日野に向かった6才のりょうを助け、日野まで共に旅をした、旅芸人の『はなぶさ太夫一座』の看板女優、雪であった。今は、英太夫の名を継いで、一座のかしらになっていた。

「大きくなったねえ。いくつになったんだい?」

「16です。あのときは、なんにもお礼が言えなくて、すいませんでした」

りょうが謝ると、雪は笑って言った。

「はしかで熱出してたんだから、仕方ないよ。あれからあんたのことが気になってはいたんだけど、日野にはなかなか回れなくてね……偶然でも会えて良かったよ……検問、行かないのかい?」

雪は、検問を躊躇していたりょうが気になって、声をかけたのだった。

「えっ……あの……混んでいるからどうしようかと……」

りょうは、曖昧な返事をした。雪は、芸人の独特な勘で、りょうに何かあると感じていた。そこで、雪は言った。

「あたしたちは、今夜この宿場で泊まろうかと思ってるんだ。久しぶりに会えて、話もしたいから、一緒にどうだい?」

りょうは、一刻も早く会津に行きたかったが、雪の申し出を受けた。落ち着いて考える場所が欲しかったからだ。


 「へぇ。あのお医者の養子になったのかい。それは良かったねえ。で、今はお医者の修業中……なのに、なんで薬売りしてるんだい?」

雪は聞いた。りょうは、薬は、伯母の、のぶの実家のもので、手伝いをしているんだと説明した。雪は、それを聞いて、十年前、りょうを玉置良庵のもとに担ぎ込んだ翌日、真っ青な顔をしてやってきた女性のことを思い出していた。

(あの人は、とてもしっかりした女性に見えたっけ。仇だなんて言っていたけど、土方歳三の身内に、立派に育ててもらったようだね……良かったね、りょうちゃん)

一座は京にも行ったことがあった。新選組が京で名を轟かせていた頃だ。鬼の副長、土方歳三の噂は、旅芸人の耳にも入っていた。


 「りょう、あんたのおっ母さんは、病気で亡くなったんだから、元々、仇討ちなんてのは間違いだったんだろう?話してくれないかい?別れてからの、あんたのこと……検問を通るのに悩んでいたのには、理由があるんだろう。あたしたちにできることなら、何でも力になるよ」

雪の言葉に、りょうは、自分が歳三の娘であること、仇射ちではなく、父を越えたいと、新選組に追いかけていったこと、今はまた、父を追って会津に向かうつもりであることなどを話した。

「僕は、皆さんのご迷惑になります。どうか出会わなかったことにして、先に検問を越えてください」

りょうが言うと、雪は怒った。

「何を言ってるのさ!新選組だろうと、お尋ね者だろうと、あんたとあたしの仲には関係ないだろう!あたしには、かわいい妹分のりょうちゃんさ!」

雪が言うと、他の仲間たちもみな、そうだよ、と頷いていた。

「お雪姉さん、皆さん……ありがとう……!」

りょうは雪や一座の者たちに頭を下げた。

「頭を上げておくれよ。で、その荷物があらためられなければいいんだね?」

「はい」

りょうは答えた。


 雪は、みんなを見回して言った。

「さあ、明日は検問越えだ。みんな、この子を守るのに、あたしに力を貸しておくれ。お願いします!」

その声に、一座の者は皆頷いた。

「太夫、任せておくれよ。絶対気づかれないようにするから!」

一座は荷造りをああしようか、こうしようかと相談しだした。


 翌日は、雨の降りそうな空模様だった。嵐が近づいているのだ。そのせいか、街道にいくつもある大きな川を早く越えようと、旅人が、検問の前に列をなしていた。大きな大八車に興行用の荷を積んだ『英太夫一座』も、その列に並んだ。今日の検問の当番は、佐賀藩のようだった。


 少しでも怪しい行動を取る者や、浪人のような風体の者は厳しく扱われていた。大きな荷物を持った旅人は、荷を全部ひろげられてしまったりして、それをまたまとめるのに苦労していた。

「お雪姉さん……」

りょうは、心配になり、雪の顔を見た。雪は、大丈夫、安心しな、という目で、りょうを見た。

「『英太夫一座』か。そん大きな荷物はなんや?」

役人が聞いた。

「日光のお宮で、興行があるんですよ。これは興行で使う衣装や小道具ばかりですよ」

雪がそう言うと、

「そん行商ん格好ばした小僧はなんや?そいつは役者ではあるみゃー……薬売りやと?荷物はどけーある?」

と、りょうを見咎めた。雪は、りょうを後ろに下がらせ、

「役者が急病で足りなくなって、この子にも興行に出てもらうんですよ。荷物は小道具と一緒にしちまいましたよ!」

と言った。

「よし。荷ばあらたむっ。荷ばほどけ」

と、役人が言った。すると、雪は大きな声で、

「え~っ!この大きなもんをほどいていたら、何どきかかるかわかりませんよ!」

と言った。後ろの方の旅人が注目しだした。役人はそれに気づかず、

「決まりだ。荷ばほどかんば、検められんじゃろうが」

と言った。雪はまた大きな声で、

「そんなに検めたいのなら、お役人様が荷をほどいてくださいよ。その代わり、またちゃんと元通りにしてくださいよ」

と言うと、役人が、

「なんば言うか!我らん意に従えんて言うんか!」

と怒鳴った。一座への注目は、ますます増えていく。後ろの方からは、

「何してんだ~!お役人、早くしてくれよ!」

「雨が降ったら、川止めになっちまうよ!」

と、声がする。雪はこの時とばかり、

「あたしらは、官軍の皆さんに喜んでもらおうと、日光まで急いでいるんだ。この天気じゃ、いつ利根川の房川ぼうせんの渡しが止まるかもわからない!そうしたら興行に遅れが出ます。御贔屓筋には、東征大総督府参謀の、土佐の板垣様や、薩摩の伊地知いじち様がいらっしゃる。佐賀のお方に、荷をほどけと言われたから遅れた、と正直に言ってもようござんすね!?」

と大きな声で凄んだ。雪は根っからの江戸っ子。いざというときは強い。役人も、総督府参謀の名を出されてたじろいだ。後ろの方からは、

「いいぞ、太夫!」

と応援の掛け声もする。すると、上司らしき侍がやって来た。

「なんばやいよーったい!もたもたと!……英太夫じゃなかか?どがんしたばい?」

「江藤さま!」

そこにやって来たのは、佐賀藩の軍監、江藤新平だった。

「太夫、こん前ん板橋でん芝居、がばい面白かったぞ。板垣さんもまた見たかと仰せやった」

江藤がそう言うと、雪はちらり、と役人を見た。役人は、江藤の出現にすっかり気圧されてしまっていた。雪は、

「江藤さま、あたしら、日光に急いでいるんですよ。嵐が来る前に、利根川を渡りたいんです。栗橋の関所でも、こんなに荷物をほどく、ほどかないで揉めたくないのですが……」

雪が江藤を見つめると、江藤はニコニコして、役人に言った。

「こん者たちは、ただん役者たちだ。うちが保証しよう。栗橋ん関所も通るっよう、書き付けば持たせよう」

江藤は、雪に文を渡し、一座の者は、荷を検められることもなく、千住宿の検問を越えることができたのだった。


 「お雪姉さん……ありがとう。でも、姉さんの立場が悪くなりはしないの?」

りょうは聞いた。

「あんたには、嫌な言葉も聞こえただろうね。土佐の板垣様や佐賀の江藤さまが御贔屓なのは、本当さ。あたしら芸人には、新政府も旧幕府も関係ない。芸を見て喜んでくれるのは、みんな大事なお客様だからね。立場なんて悪くなりはしないよ。あんたのことは、あの方たちにも決して言わないから、安心しな」

雪はニコッと微笑んで見せた。


 その後、利根川の手前の栗橋の関所も、江藤に書いてもらった『書き付け』のおかげで、難なく通ることができた。りょうは、新選組とばれることなく、日光街道一厳しい関所を越えることができたのだ。


 数日間、りょうは、英太夫一座と旅を共にした。街道沿いの本陣には、新政府軍が宿としているところがいくつもあり、そんな中を、一座は何の障害もなく通っていった。一座の内輪話によると、雪は、参謀の板垣退助に特に気に入られているということがわかった。雪の名を出しただけで、良い部屋に格上げしてくれた店もあった。


 明日は今市いまいち。そこで、りょうと一座は行く先が別れる。

「お雪姉さん、一緒に旅をしてこられて本当に助かりました。ありがとう」

りょうは、あらためて雪に礼を言った。雪のおかげで、手形すらも詳しく確認されず、りょうは一座の一人としてここまで来ることができたのだ。りょうは、心から雪に感謝した。その時、りょうの懐から見えていた観音像に、一座の一人が目を止めた。

「あら、あんた、面白いもの持ってるね。見せておくれよ」

りょうは観音像を見せた。一座のその女は、元仏師の娘だと言った。

「これは、仏師の作ったもんじゃないよ」

すると、雪が不思議そうな顔をした。

「観音様なんて、みんな同じように見えるけどねぇ」

仏師の娘は、

「あたしはガキの頃から見慣れてるからわかるんだけど、これは、飾り職みたいな職人が作ったんだよ。顔が仏師が作るものと違うし、ほら、合わせになって、中に何か入っているんだ……きつくて開かないけどね」

そう言って、雪に渡して見せた。りょうは、

「それ、母さんの遺品の中に入っていた物なんです。お守りがわりにしようと思って、神奈川の寺から、ずっと持っているんです。やっぱり開かないのか……」

と言った。雪はそれを聞いて、

「どんな人が作ったのかはどうでもいいよ。おっ母さんの形見なんだろう?これはあんたの大事なお守りだ。きっと、これからもあんたを助けてくれる。無くすんじゃないよ」

と言ってりょうに返した。りょうは、改めてその優しげな顔をした観音像を見た。

(母さん……新選組の小僧をつれているなんて知られたら、お咎めを受けるかもしれないのに、一座の人たちみんなが力を貸してくれた。これも、母さんや総兄ぃが僕を見守ってくれているからかもしれないよ……)


 りょうは、観音像を懐にしまい、眠りについた。明日からは、また一人の旅が始まるのだ。

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