『東の君や永遠(とわ)に守らむ』サイド・ストーリー

『父』として……

 第九代会津藩主、松平容保かたもりは、先代の藩主、容敬かたたかの養子であった。容敬は、公式には第六代藩主の次男とされているが、実は美濃高須藩主の庶子であり、会津藩祖、保科ほしな(松平)正之の血統ではない。容敬は、兄が継いでいた高須藩から迎えた養子に、徹底的に、藩祖から引き継がれている『家訓』を守ることを教え込んだ。会津と血が繋がらないゆえに、さらに強く、藩祖からの会津藩のあり方を守ろうとしていたのだろう。容保も、他国者とそしられぬよう、会津の血統を受け継ぐ者として生きてきた養父ちちの苦しみを理解できた。くして、容保は、誰よりも会津藩祖の教えを守り通す藩主として育てられていった。


 『京都守護職』は、黒船来航や開国により幕府の威信が衰えてきて、京を中心として反幕勢力が大きくなり、京都所司代や京町奉行では頻発する事件を押さえられなくなった結果、設置された役職で、最初は、徳川御三家が任じられるはずであった。しかし、この役職が反幕派の恨みを買うことを恐れた御三家が、すべて辞退してしまい、御三家に次ぐ家柄である会津松平家に、それが押し付けられたのだ。


 松平容保は、京都守護職を任じられ、京の治安維持に奔走した。藩祖、保科正之以来の家訓を大切にし、勤王と、徳川への忠義を柱としてきた容保は、孝明天皇に重く用いれられ、反幕派の長州を追い落とすことに成功した。また、将軍家茂の信頼も厚かった。だが、家茂から慶喜に将軍職が引き継がれ、孝明天皇が崩御されると、反幕派は倒幕派となり、かつて共に長州を追い払った薩摩も、倒幕の旗をあげた。


 新選組はその前身、壬生浪士組の頃より京都守護職の御預おんあずかりとなり、不逞浪士の取り締まりや、ときに会津藩の先陣として反幕派との戦いに臨んだ。倒幕の矛先は、将軍だけでなく、容保や新選組に向けられた。鳥羽伏見の戦から逃げ出した徳川慶喜は、その責任を、時の幕府の中枢に負わせ、自身は謹慎と称して、駿府に籠ってしまった。慶喜によって蟄居、江戸から追放させられた容保は、自身の身の潔白と謹慎の意を新政府に示そうとしたが、元から、会津を潰そうとしている新政府はこの嘆願を却下した。会津藩は抗戦を決意し、新選組も、旧幕臣として会津藩と共に戦うことになった。


 

 それは、歳三が足を負傷したまま会津入りした慶応4(1868)年閏4月、松平容保に謁見し、挨拶を終えた時のことである。

「土方、ちと、良いか?」

下がろうとした歳三を、容保が呼び止めた。

「はっ」

歳三は、かしこまったが、容保が、

「苦しゅうない、近う。足も痛かろう。楽にしてよいぞ」

というので、そばに寄った。歳三は珍しく緊張した。京では容保と二人きりになることなど、滅多になかったからである。

「土方、そちは、梅乃うめの、という女性を存じておるか?」

「いえ、存じ上げませぬが」

歳三は答えた。すると、容保は微笑んで、

「ああ、すまぬ。たぶん名を変えておろう。うめ、といっておるはずだ」

その名を聞いた歳三の顔色が変わった。

「そちの妻女であろう?」

「い、いえ、私に妻は居りませぬゆえ……」

歳三は冷静さを失っていた。それを見た容保は、いたずらっぽく笑って、

「新選組の『鬼の副長』のそんな顔は初めて見る。よほど惚れたおなごであるのだな」

と言った。

「はっ、恐れ入ります……」

歳三は、顔をあげられない。汗が額から落ちた。

「そちは、『堀川国広ほりかわくにひろ』の脇差を所持しておろう。余は、近藤に最後に会ったときに聞いたのだ。近藤が申しておった。『『国広』は、土方が心よりいとしんだ、うめ、というおなごの形見である』とな」

歳三は、それを聞き、腰の脇差を容保に差し出した。


 それは、江戸に下行した折、姉、のぶに渡された、うめの父の脇差であった。うめとは、半年ほど共に暮らしたが別れた。そのとき、うめのお腹には歳三の子が宿っていた。うめが生んだ娘、りょうが日野に来たとき、この刀を母の形見として持ってきたのだ。男として母に育てられ、日野で武士として成長したりょうは、新選組の歳三のもとで、小姓として仕えることになった。歳三は、この刀をいつかは我が子に渡さねばならぬと思っているが、りょうに、

『この刀は土方先生を守ってくれる』

と言われ、歳三が預かったままになっていた。


 容保はその脇差を抜いて眺めながら、言った。

「たぶん、間違いないであろう。土方、そちの妻女、いや、惚れたおなごは、余の義姉あねである」

これには、歳三も驚きのあまり、顔を上げて容保を見つめた。うめが武家の娘であることは知っていた。父親は、結構大きな旗本に仕えたらしいということも聞いていた。でも、会津公の身内であるという話は、今まで聞いたことがなかった。

「わ、私の知っているのは、呉服屋の下働きの女でございます。容保さまの姉ぎみになるようなお方では……!」

歳三は、あわてて弁解した。

「父親が罪に問われたと聞く。きっと、両親から何も聞いていなかったのであろう。苦労したにちがいない」

容保は哀れむように言った。

「身内の恥をさらすようなことだが、聞いてもらえるか?」

と、容保は語った。


 前藩主の松平容敬には実子がなく、会津藩の支藩から養子をもらうことが決められていた。江戸詰めの折り、容敬は、一人の奥女中に情けをかけた。養子縁組がすでに決定していたので、家臣は慌てた。容敬は、その奥女中を側室にすることを望んだが、すでに何人かの側室がおり、身分の違いもあって、奥女中自身が、側室になることを望まなかった。家臣の中で、江戸の旗本と懇意にしていた者がいて、その旗本の用人に、奥女中を嫁がせることにした。その時、一緒に下賜された刀が『堀川国広』の脇差だった。


 生まれる子が男児であれば、会津藩の後継者となり得る。しかし、生まれたのは女児であった。その時、旗本の用人から会津藩家臣に送られた文に、女児の名前を、梅乃としたことが書かれていた。その後、旗本のお家騒動の責任を取り、その家臣が切腹するなどして、家族の行方はわからなくなったとの話であった。


 会津藩では跡継ぎ問題は起こらず、その約十年後に容敬の側室に姫が生まれたことにより、その婿として、容保が選ばれた。


 「近藤から話を聞き、余は配下の者に、密かに調べさせた。梅乃どのはすでに他界されており、詳細はわからなかったが、今、この脇差を見て、すべて納得した。我が父は、その旗本の家臣に、大切な女性と、その子の人生を託したのだ。生まれる子が、男でも、女でも構わなかったに違いない。だから、大切な脇差を護り刀として与えたのだ」

と容保は言った。歳三は思った。

(うめの母が、あの刀だけは手放すなと言ったのは、そういうわけだったのか……)

「だが、梅乃どのが男児であれば、余はたぶん会津にはいなかったであろうの。まこと、えにしとは不思議なものだ」

容保は笑った。


 あの、おうめが、先代藩主のご落胤……ということは、りょうは、会津藩主の血を引いていることになる……歳三は、それを容保に伝えた方がいいのか、迷った。すると、容保が言った。

「土方、このことは、会津の中でも、古株の家臣しか知らぬ。もし、そちと梅乃どのとの間に子がいれば……」

「子が、いれば……?」

と歳三は復唱した。

「その子は、また騒動の火種になるやもしれぬ。父として、子は守らねばならぬ。そうだな、土方」

容保が何を言いたいのか、歳三は察した。

「この刀は、そちに預ける。そちの刀として、生涯使うがよい」

「ははっ」

真実は、己の胸に秘めよ、と容保は言っているのだ。

「余にも子がおる。慶喜公の弟ぎみを、昨年跡継ぎとして迎えた。実の子ではないが、やはりかわいい。こんな時代に、足元の危うい藩の養子となった心はいかばかりかと思うと、あわれでならぬ。この子を守り、戦う。父冥利に尽きるではないか、のう、土方」

容保はすでに、新政府との戦いを決意しているようであった。その言葉に、心から頷き、

「御意にございます」

と答える歳三に、沖田と共にいるであろう、りょうの姿が浮かんだ。

「世が世であれば、梅乃どのを中に、そちと酒を酌み交わしていたかも知れぬな、土方」

容保が言うと、歳三は、

「それはご勘弁ください。堅苦しい酒は、飲んだ気がいたしません」

と答えた。それを聞き、容保は笑った。歳三も微笑んだ。


 「時に、土方。近藤の墓のことだが」

真顔に戻り、容保は歳三に話しかけた。

「はっ」

歳三もかしこまった。

「今、新選組の屯所になっている天寧寺てんねいじはどうであろう。あの山の中腹に建てようと思うが」

容保の言葉に、歳三は、

「殿、ありがたき幸せにございます。近藤も浮かばれましょう」

と答えた。

「幕臣として、身をにして働いて散った英雄じゃ。余が戒名を授けようぞ」

切腹も許されなかった盟友、近藤勇。しかし、容保は、近藤をちゃんと武士として扱ってくれている。その心が歳三には嬉しかった。


 歳三は怪我の療養のため、城外の清水屋に逗留することになった。

「会津の家臣には、頭の固いのが多くての、余も御し切れん。遠いところで留まらせることになり、すまぬと思っている。しっかりと怪我を治し、また戻ってきてくれ」

申し訳なさそうに容保は言った。

 

 会津藩の中でも、在京していた藩士たちの間では、新選組の力は認められていた。しかし、国家老はじめ、国元の家臣の中には、新選組を軽んじる者が多かった。もし、この戦上手な男たちを、もっと大切にしていれば、会津の戦況は、また違っていたかもしれない。


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