第6章 近藤の首

 歳三が沖田のところを訪れる数日前のことであった。その日は、沖田の具合が悪く、りょうは、島倉医師の往診を待っていた。待ちきれずに、離れの木戸のところまで迎えに出た時、いきなり、数人の洋装軍服の兵士に囲まれた。

「我々は政府軍んもんや。ここはわいん住めか?」

兵士の一人がりょうに凄んだ。

(薩摩言葉……!新政府軍か!?)

だが、りょうは怯まず、

「何ですか、あなた方は、いきなり失礼じゃないですか!?」

と言った。理不尽なことには我慢が出来ない性格である。

「ないゆか、小僧。我々に歯向かう気か?わいは、質問に答ゆればよかど!」

兵士が言うと、りょうはムッとして、

「政府軍だと言えば何でも許されると思ったら大間違いです。他人の住まいを訪ねるなら、それ相応の礼儀があるでしょう」

と言った。りょうの言うことは正論だった。兵士たちは、一瞬言葉に詰まっていた。すると、後ろから、上司らしき人物が出てきた。

「どけ、わいらでは話にならん」

その言葉に、兵士は後ろに下がり、りょうの目の前に一人の背の高い男が立った。男は、落ち着いた声で言った。

「おいは、東征大総督府東海道先鋒参謀・西郷隆盛様の第一小隊長を務める、中村半次郎ち申す。旧幕府ん残党取り締まりを行っちょっ。住んじょる者がだいなんか尋ねよごたっとだ」

旧幕府軍の取り締まり、と聞いて、りょうは、落ち着け、と自分に言い聞かせた。沖田をなんとしても、守らなければならない。

「ここに住んでいるのは、僕と、……病気の兄です」

りょうは、沖田を兄と言った。

「名はなんちゆとじゃ?」

中村は聞いた。

「僕は玉置良蔵。兄は……宗次郎といいます」

その時、中村の鋭い視線がりょうに向けられた。

「玉置……?」

りょうは、動揺してはいけないと、相手を見返した。相手の目をまっすぐ見つめる、母譲りのりょうの癖だった。もっとも、この時は目の前の相手を信用しているわけではなく、この薩摩の侍に、気迫で負けるわけにはいかないという、意思の現れだった。中村はそんなりょうを見て、ふっ、と笑った。

「度胸んよか小僧じゃな。顔はおなごんごたっどん」


 すると、後ろに控えていた兵士が言った。

「中村さん、我々ん調べでは、こん近くに新選組ん沖田が潜伏しちょっと聞いちょっ。中をあらためた方が良かとじゃらせんか?」

それを聞いてりょうは焦った。そんな情報が政府軍にいっているのか?……歳三は、近藤は大丈夫なのだろうか……と心配になった。しかし、今は沖田を守るのが先決だった。

「兄は重い病気なんだ。中に入れるわけにはいかない!」

りょうは木戸の前に立ちはだかった。

「そげんこっをゆて、わい、沖田を隠しちょるんじゃらせんか?もしそうなら、わいも同罪だぞ!」

兵士は、そう言って乗り込もうとした。

「待て!」

中村が制止した。

「ないごてだ、中村さん。沖田はこけおっに決まっちょっ。沖田をれれば土方ん潜伏先もわかっじゃろう!」

兵士が言うと、中村が言った。

「焦らんでん、東山道には土佐ん板垣が近付いちょっ。いずれはどっかで戦いになっとじゃ」

(新選組は、今流山にいるはずではないのか?こいつらは、なぜ父さんを名指しで探しているのだろう?)

その時だ。

「なにをしている!?」

島倉医師がやって来た。中村が、沖田が潜伏しているのではないかと聞くと、島倉医師は、

「沖田なんて男は知らん。私はここに往診に来ただけだ。この子は医者の見習いで、兄を看病している。それが事実だ」

と言った。それでも一人の兵士が納得せず、木戸を開けようとすると、島倉は怒鳴った。

「中に入ると感染うつるぞ!」

木戸にかけた兵士の手が止まった。

「病人は重い労咳病だ。なにも予防せずに接すれば、そのうちお前さんも労咳になる。それでもよければ、病人を連れていくがよかろう」

島倉の言葉は、薩摩兵を威圧するのに十分であった。労咳、と聞いた兵士は、後込みしていた。中村は、ふふん、と笑って、

「ここはもう良か。他を探すど」

と言った。中村は、りょうに向かって、

「医者ん見習いなんか……兄をよう看病してやっがよか。最後までな」

と言って兵士たちを連れて去った。


 去り際に、中村は、後ろを向いたまま独り言のように言った。

「そういえば板橋総督府に、幕府鎮撫隊長ん『大久保大和』が出頭してきた。おそらく、あや助からんじゃろう。御陵衛士に知られちょっでな」

りょうは、その言葉に耳を疑った。

(近藤先生が捕まった……!?)


「どうした?良蔵くん、早く戻りなさい」

島倉医師には、中村の言葉は聞こえなかったらしい。りょうは、この事は絶対に沖田に知られてはならない、と心に決めた。


 「中村さん……!」

薩摩兵が中村に何か言おうとするのを、中村は制した。

「解っちょっ。あん中に居たんな、沖田総司本人や」

「そんならば、ないごて?」

不満げに問う兵士に、中村は言った。

「もう剣を取っことも出来ん侍を捕れて、どうすっとじゃ?沖田はまもなっ、けしん(死ぬ)とじゃ。あげん剣ん使い手が、畳ん上で、病でけしん……哀れじゃ」

中村は、まるで自分のことのように悔しげに言った。

「こんこっは、せごさぁ(西郷隆盛)に報告すっとな?」

と兵士は聞いた。中村は、

「必要なか」

と兵士を見据えた。兵士は中村の意図を承知したらしく、また歩き出した。中村もまた、剣の腕を頼りにこの時代を生きてきた、薩摩武士だったのである。沖田の悔しさを理解できたのかもしれない。


 中村は、また別のことも思い返していた。

(玉置良蔵……御陵衛士がゆちょった、『土方ん泣き所』じゃらせんか。こげんところに、沖田と二人で、暮らしちょったんか……相変わらず『わっぜ小せ医者』じゃな……)

中村が沖田のことを伏せたのは、総督府に、かつての御陵衛士が薩摩兵として加わっていたからであった。彼らはりょうの顔を見知っている。一度、沖田とりょうを襲い損なったことがある彼らは、この話を知れば、何としてでも報復しようとするだろうと中村は考えた。中村は、なぜか、あの『小せ医者』を彼らに捕らえさせたくはなかったのだ。このとき、中村の心の中に、沖田に対する、同情とは異なる、もやもやした感情が走った。しかし、今はまだそれが何であるか、本人も気がついていなかった。


 それから二十日近く過ぎた日の午後、植木屋の平五郎が離れにそっとやって来て、りょうに一枚の紙切れを渡した。瓦版であった。りょうは、それを見た瞬間、体が震えた。


『新選組局長 近藤勇 斬首』


慶応4(1868)年4月25日のことであった。

(斬首……だって?近藤先生は、幕府の旗本じゃないか…!!)

近藤は幕臣となったとき、見廻組与頭格みまわりぐみくみがしらかくの旗本であった。また、歳三は肝煎格きもいりかくとして、御家人と同等の扱いになっていた。総督府に捕まっていたとはいえ、本来なら、近藤の斬首などあり得ない、とりょうは思っていた。しかし、瓦版には板橋刑場で斬首となっている。無惨にも、絵まで描かれている。りょうは泣きそうになるのをじっとこらえた。

「良蔵さん、あと、これをあんたにって、預かっているんだ」

と、平五郎が渡したものは、言伝てだった。

(三郎だ)

りょうは、急いで沖田の元に戻り、

「総兄ぃ、平五郎さんの女将さんから、お使いを頼まれちゃったんだよ。ちょっと出てくるね」

沖田は、言葉で答える代わりに、手を上げた。

沖田に外の様子を知られてはならない。りょうは、平五郎にその事を頼み、言伝ての場所に急いだ。


 言伝ての示した場所に着き、周りを見渡したが、小幡の姿はない。しばらく待っていると、見知らぬ旅姿の僧侶が近づいた。僧侶は、りょうを気にしない風で、小声で話し出した。

「そのままの姿勢で聞け。俺はこれから局長の首を盗みに行く……振り返るな!」

りょうは、その声の通りに動かなかった。

「首を……!?三郎、どうする気だ?」

僧侶に扮した小幡は、草鞋わらじの紐を直しながら語った。

「薩長も土佐も、徳川も許せねぇ……局長を犠牲にしやがった……!俺はあいつらに一泡ふかせてやる。局長の首を盗んで会津に持っていく。三条河原に晒しもんなんかにはさせねぇ……!」

「会津へ?」

りょうは聞いた。

「徳川はもう当てにならねぇ。皆会津に向かった」

「土方……先生は……?」

その名が出たとき、小幡の手が一瞬止まった。

「あの人は、局長を見殺しにした。新選組も捨てた。幕府の脱走隊と共にいるはずだ」

憎々しげにいう小幡に、りょうは思わず、

「そっ、そんなはずない!父さんが近藤先生を見殺しなんて……!」

と声を出した。通りすがりの人がちら、とりょうを見て去っていく。

「しっ!声を出すなよ。ふん、やっぱりお前の親父だったのか」

吐き捨てるように、小幡は言った。

「鉄や……銀や……みんなは?」

歳三付きとして、一緒に流山に行ったはずの仲間たちのことが心配だった。

「安富さんが会津に連れていった。いずれは脱走隊も会津に向かうだろう。局長に従った野村や、お前の親父の命令で勝海舟の手紙を総督府に持ってった相馬は、斬首になるところを局長の願いで助けられた。だが、たぶん新選組には戻らないだろう。二人とも、お前の親父に裏切られたと思ってるよ」

「そんな……!」

りょうの脳裏に、最後に会ったときの歳三の顔が浮かんだ。『お前を信じている』、と言った歳三の顔は、とても苦しそうだった。断じて、近藤を裏切って見捨てようとしたのではない。近藤が撃たれたとき、一緒になって手当てをしてくれた相馬や野村の顔も思い出された。彼らにとって新選組が居場所であり、近藤や歳三を尊敬していたはずだ。彼らに歳三を憎んでほしくない。だが、小幡の口調からは、明らかに歳三に対する、憎悪の気持ちが現れていた。


 「俺にとって、局長は親父おやじみたいなもんだ。俺は親父を取り返す!」

と小幡は断言した。その時、小幡が持っている包みが、刀であることにりょうは気づいた。

「三郎、それ、刀、だよね?」

小幡はさっとそれを隠した。

「局長が流山で投降する前に、小姓に預けた刀だ。『阿州吉川六郎源祐芳あしゅうきっかわろくろうみなもとのすけよし』、これも会津に持っていく。局長の片身だ」

小幡は、本当に近藤を慕っていたのだ。それが良くわかった。りょうは言った。

「三郎、山崎先生が亡くなるときに、僕に、三郎を頼むって言い残した」

小幡の肩がピクッと動いた。

「山崎さんが……?」

りょうは背を向けたまま続けて言った。

「三郎を見捨てるなって……だから、命を無駄にしないでくれ、やけになんかならないでくれよ。僕は、決して君のことを見捨てたりなんてしない!三郎は僕の大切な幼馴染みなんだ!」

それを聞いた小幡は、ふっと笑った。

「その言葉でますます勇気がわいたぜ。韋駄天小僧の力を見せてやる。いずれその結果がわかるさ。りょう、楽しみにしていろよ」

言うが早いか、小幡は風のように去っていった。

「三郎……!」

りょうは、小幡が去ったあとも、しばらくその場に立ち尽くしていた。

(みんな、いってしまう……遠くに……いつかは、総兄ぃも……!)

りょうは唇を噛んだ。涙があふれ、頬を伝った。


 「ただいま」

りょうが戻ると、沖田が聞いた。

「ネズミ取りの罠なんか、見つかった?」

「え?」

「平五郎さんが、家にネズミが出たから、女将さんが罠を探しに行くって、お供したんだろう?」

そんな話になってるのか……とりょうは、

「ううん、探せなかった」

と答えた。

「そうだろう。やっぱりネズミには『石見銀山』じゃなきゃ。試衛館でもよく出たんだ……」

と、沖田は明るい声でりょうに話しかけた。

「へえ……」

と、りょうは、歳三や沖田がネズミ取りの餌を仕掛けている姿を想像して、クスッと笑った。

「良かった。りょうの顔が明るくなった」

沖田はりょうを見て呟いた。りょうは思わず、

「そ、そうでしょう?罠が全く手にはいらないから、僕もがっかりしていたんだ」

と答えた。

「平五郎さんところの職人さんたちも探していたんだって……大変だったな」

「う、うん」

りょうは、沖田の話に合わせるように返事を返した。

「今日は、それで周りが少し騒がしかったのか……何かあったのかと思ったよ」

沖田の言葉に、りょうはドキッとした。瓦版が回っていたので、近所の話し声が聞こえたのかもしれない。沖田は気付かなかっただろうか……沖田は勘が良いので、りょうは心配だった。


 翌朝、板橋の刑場でちょっとした事件があった。刑場に晒された首が、一時、なくなったのである。夜明け前のことだったので、通る人はほとんどなく、大した話題にはならなかった。しばらくして首はまた戻され、その首は火酒に漬けられて京に送られ、閏4月8日、『近藤勇の首』として三条河原に晒された。瓦版も出た。しかし、その首を見た人は、口々にこんなことを言っていた。

「近藤って、こんな情けない顔してはったんか?」

「悪そな、泥棒みたい顔やねえ」

すると、島原で芸妓をしていたという女が言った。

「近藤はんは、あんなお顔してまへん!あれは、別のお人や!」

生前、島原の芸妓に馴染みが多かったという近藤だったので、この言葉に人々はざわついた。女はすぐに捕り方に追い払われたらしいが、そのうちに、噂がまことしやかにささやかれるようになった。

『近藤勇の首は、元の新選組の部下によって盗まれたんだとよ。新政府軍は、それを隠そうと、別人の首を仕立てたらしいぞ……』


 事実、京の瓦版では、描かれている首の顔立ちは、弱々しく情けない。京の瓦版を写したという近藤の顔は凛々しく描かれている。多摩での近藤人気が、顔を凛々しく描かせたというのが通説だが、果たしてそうだったのか?京の瓦版の顔は、わざと弱々しく描かれたのだろうか?

京で晒したのは別人の首であったから、弱々しかったのだ、ということにはならないだろうか……


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