描写と説明

 重すぎる手を動かさねばとキーボードに向かうと疑問が立ちはだかるのである。それも長年の悩みのある種、集大成じみた奴が。デカい。重い。せめて柔らかければいいのだが固いとくる。それが描写と説明の違いだ。厳密にいえば、使い分けである。


 描写した方がいいものと、説明したほうがいいものの違いが、よく分からん。


 すごいざっくりした区分けで言えば、描写というのはストーリーがついてくるやつである。一方で説明にはストーリーがついてこない。……こともない。ごく簡略化されたストーリーがつく。


 一般的な感覚としては、キャラクターにまつわる情報は描写した方がよいような気がする。以前にも書いた気がするが、たとえば優しい男だと一文だけ添えられても理解しにくい。せめて野良猫の一匹でも拾ってもらいたいのが人情だ。


 しかし逆に優しい装置なるガジェットが出てきた場合は描写されても困る。ガジェットなので一期一会で消え去る代物。かつてその装置はうんぬんかんぬんと始まり装置の開発秘話をダラダラ語られても眠くなる。いや私は眠くならないけど眠くなる人も多いのが現実である。


 でもって、どこからが描写でどこからが説明なのか。これが分からん。


 あれは夏のことだった。一匹の猫が木陰に隠れて陽炎が立つアスファルトを見つめていた。黒トラの首輪付き。近づいても逃げる素振りを見せなかった。正面で腰をかがめてカメラを向けるとサービスとばかりにアクビした。

 

 これは描写か、説明か。私は説明のつもりで書いている。しかし、人によっては描写だと言う人もあろう。あってくれ。でないと話の根底が鉢からピロピロ飛び出て干からびてしまう。根腐れだ。キノコの匂いがし始める。


 じゃあ描写とは何か。


 ある夏の日だった。日差しから隠れるように、一匹の猫が木陰に座っていた。陽炎の立つアスファルトを見つめる黒トラの首輪つき。私は「何してるの?」とカメラを向けながら正面に屈み込む。猫がサービスとばかりにアクビした。


 描写っぽくなった。分からん。変わらんという人も多かろうと思う。でも書いている私の感覚だと描写寄りになっているのだ。

 

 どちらの文章も文字数はほぼ同じで、状況は変わらない。情報を出す順番が微妙に変わっているのと、主語として『私』と『猫』が多めに使われているだけである。つけくわえるならば『こと』を取っ払ったのと、一文だけ現在形が入っている。


 実は、このへんが描写っぽさと説明っぽさを分けるポイントなのではと思う。


 いまいち分からんが、現在形をタイミングよく放り込むと臨場感が増す。臨場感とはすなわちその場にいる感覚なので、説明というより描写に近づく。ついでに視点人物に台詞がついたことで感情移入をしやすくなり、猫が主体的に行動したかのような一文で視点人物以外の他者(猫)を意識させている。たぶん。分からん。


 正直、感覚で書いただけの文章を振り返ってみているだけだ。分からんのだ。


 この辺の理解の不足が私の書く三人称の小説の地の文の読みにくさの高さの原因なの。どうしても『が』を『の』にできなくてフラストレーションが高まったので、そろそろ終わろうと思う。

 

 もとい。


 ネット(ないしウェブ)小説だと、地の文は説明的でよいように思う。もちろん好みの範疇だ。じゃあ公募なら描写的なのがよいかというと、そんな甘いもんでもないと思う。


 またややこしいのは、事物を体言止めで羅列しても描写にならなかったり、長々ねっとり書いても説明でしかなかったりする。


 もうちょっと描写と説明の書き分けができるようになりたいもんである。

 

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