長編と短編の書き方の違い

 前回、読むのもしんどいし読ませるのも心苦しい怪文書を投稿したことを、ここに侘びておこう。申し訳ない。ひとつだけ言い訳をさせていただけるのなら、自分でよく分からんことを分かったことにしようとしたがために、ああなったのである。分かった気になるのはいかに危険か分かってもらえただろか――いえ、ごめんなさい。


 考えてみれば、純粋にKACを楽しんでいる人に悪い。


 というわけで、お詫びと言ってはなんだか、常々、本当に分からんと思っていることを書いておきたい。それが、長編と短編の書き方の違いです。これもよく分からんのだ。マジで。


 まず、長編と短編の定義をしておく。

 長編は文庫本一冊程度=十万~十五万字で、短編は……長短に差がある。マジである。短いのは星新一のショートショート(掌編)であり、長いのは……五万字くらいにしときます? 分からんけど。


 で。書き方の違いはあるのか。あります。間違いなく。

 ですが、何がどう違うと言われるとよく分からんのである。


 えらいもので、私も長編で二十本(未発表含む)ちょい、短編で……え、何本書いてるのこれ(ドン引き)くらい書いてきた。だから一家言くらいできてて欲しいのだがないんだな、これが。ガハハ。


 ただ、短編の書き方として、なんとなく勘違いされている要素がある気がする。その代表例が描写で、短編だとおろそかになっている場合が散見される。ような気がしている。体感なのでそうでもないかもしれない。分からん。


 短編だから描写を削っていいかというと、実態は違う。なんなら、いかにして短い文章で描写をするかが大事である。そうすると文章が嵩むので、なにか別のものを削らなくてはならない。何を削るべきか。


 慣れてないなら、会話を削りましょう。


 だいたいにして、会話というのは文章量が嵩むのである。なぜかといえば口語だからで、逆に言えば文語とは、口語で書くと長ったらしいものを短くするための言語なのじゃ。うん今テキトー言ってます。気をつけて。


 他に短編のコツがあるとすれば、勇気だ。いや意味分からん。分かる。分からん。


 どんな勇気かというと、時間や場所をすっ飛ばす勇気である。つい数時間前に投稿したKAC(けっきょく参加してる)の短編では、一行で二年をすっ飛ばしている。短編なのにも関わらず――否、短編ゆえにすっ飛ばしているのだ。


 長編でこれをやると、大失敗する。たとえば、いま私が投稿している長編『無限軌道のブルートレイン』では、一話がアクションシーンで二話目に三年経っている。そらもう読んだ人のほとんどは二話目でグッドバイだ。原因は分からんが、二話目に辿り着いて読んでリタイヤパターンだから、まあ三年飛ばしたのが悪いのだろう。知らんけど。


 その他にも短編を書くコツがある。さっきとは逆に場所も時間も飛ばさず、限定する。簡単そうに見えて実は地獄の難易度である。そりゃそうだ。場所も時間も変えずに話に起伏を作らなくてはならない。


 起伏がなければストーリーにならず、前にも書いたが、起伏のない話はそりゃもうやべーんである。また出すと『無限軌道のブルートレイン』は意図的に起伏を小さくしているが、結果としてストーリーが薄いとされ(中略)要は微々たる変化を面白く書くのはクッソもといウッンチむずいのだ。


 ただ、ここでもう一つ難しい問題が立ち上がってくる。


 極端に短い場合、オチさえしっかりついてればなぜか起伏があるとみなされる。


 

 長さと起伏、実は意外とむつかしい関係なのかもしれない。いままで真面目に考えたことがないので、マジでよく分からん。

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