エログロ

 エログロの表現の仕方が分からないという話ではない。描写のやり方は分かる。というかエログロが過ぎると怒られたこともある。どこまでがOKか考えるのはダルいのですぐ取り下げちゃいます。んでは、何がわからないのかというと、


 エログロってのがなんのか、よくわからないのだ。


 時代は繰り返すというべきなのか、最近はエログロが批判されがちである。かつて(といっても数百年前)、エログロは禁忌だった。正確に言うと、芸術とみなされないでいた。芸術というのは美しかったり綺麗だったり尊いものであった。


 そのうちに抑圧された変態性が爆発し、汚かったりエロかったりグロかったりするものが美しいという発想に至った。ドブネズミみたいに美しくなりたいである。パンクだ。だいたい十九世紀の終わりから二十世紀のはじめが顕著である。


(パンクの定義を語るという非パンク行為はしません。念の為)


 旧時代パンクであるから、作者は牢獄にブチ込まれたり、絞首刑になったり、劣悪極まる精神病院に叩き込まれたり、戦地に直送されたり、正義の名のもと粛清されたり、認められずに自殺したりと、まあバリエーション豊かな死に様に至った。


 日本だと、暇すぎると手が伸びる系の本の著者こと澁澤龍彦がマルキド・サドの翻訳で罰金刑を食らったりしている。このとき澁澤は『三年くらい懲役食らうと思ったのに罰金七万とかナメてる。またやる(意訳)』と言い放った。パンクだ。


 翻って私は、プログレッシブなのでエログロは書かない。

 ……いや、書いているかも分からないが、常人がエロいグロいと思うようなのは書いていないと思う。自信ない。分からん。


 ラノベの世界だと、昔はエログロが多かった。多かったというと語弊があるかもしれないが、今よりもずっと……分からん。表現自体は最近の商業作の方が直接的でムチャクチャやってる気すらする。でも公募で出すとエログロ過ぎるとノーを突きつけられたりする。


 新人賞でエログロはちょっとという意味かというと、やりすぎ感のあるのが賞をとってたりする。摩訶不思議だ。まあ、悔しいので私に求められてるのはエログロではないと理解しておいている。今日はこのへんにしといたるの精神だ。


 まだ地球が重なり合う平行四辺形だった頃、というか割と最近まで、そういうもんだからくらいの感覚で少年誌レベルのエロをねじこんだりしていた。いわゆる、着替えに遭遇、パンチラ目撃、ボディタッチ過剰などである。


 ねじこむためにねじこむとエロくないんだ、これが。


 そもそもにして、小説として書いていると、エロが分からなくなる。ちょっと具体的に書こう(苦手な人は避けましょう)。


 たとえばJKこと女子高生のパンツである。漫画ならエロに片足を突っ込むかもしれないが、小説の場合はどうだ。思考の深度によってはグロくないか? あと着替えに出くわすなどのラッキースケベ、エロいか? 私には分からん。


 小説の場合、主人公に感情移入して読むのが多数派だとされる。ラッキースケベ状況で主人公が『ご、ごめん!』と慌ててるなら、お前も慌てろ読者。なにをいきなり幽体離脱して状況を楽しんでおるのだ。物語と真摯に向き合え。

 

 ――いささか暴論が過ぎた。読者さま一同にお詫び申し上げる所存である。


 てなことを書いててしまったと思った。本来、語るべきであったグロを語るに紙幅が足らない。まあ、また機会があったら分からなさを書きたいと思う。

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