倒置法
創作論めいた話を書いて調子が狂ったので、平常運転に戻るべく、分からんものの代表を持ってきてみた。分からんのだ、これが。
使いかたは分かる。主語と述語を入れ替えるだけである。「使い方は分かる」だったら「分かる、使い方は」とする。
分からんのは、効果の方だ。
基本的には、主語が強調されると言われておる。小説の場合だと主語は人名が多くなりそうなものだが、実は全然そんなことなかったりする。
なんでそうなるかと言うと、日本語は他の言語では類をみないくらい主語の省略が簡単だからです。ほんと恐ろしいくらいハイコンテクストな言語である。日本語で小説を書くというのは、要するに文脈を理解するということにほかならないのだ。分からん。ちょっと大げさにいった。
私は倒置法が嫌いだ。なぜ嫌いかって、油断してるとすぐに文章が逆立ちしちゃうからだ。私の書いた話を読んだ人なら知っているかもしれない。まあやたらと文章が逆立ちしておる。倒置、振り向けば、状態である。もはや首と躰が円満離婚したデュラハンだ。私の書く文章は。
いまやった倒置が、また厄介である。文法のルールを知らないのでマジに分からんのだが、倒置は句点で区切っていいのだろうか。ダメと言われたら特にこだわりはないので読点に……いや、なんかおかしいだろ。分からん。おかしい気がする。
で、この倒置は、体言止めとナメクジのように絡み合い、より分からなみを増す。分かりみがあるのだから分からなみがあったっていいはずだ。分からんが。
「好きなんだ、君の歌」
青春の影が足元に這い寄ってきておる。しかし、這い寄る青春は無視して、文章に集中してもらいたい。これは体言止めでいいのだろうか。まあテストをやっているわけではないので名称がどっちであろうとどうでもいいけれど、効果の方は困る。
我ながらバカっぽいなあと思いつつ、ググったり本を読んだりしてみる。すると文章の品格を下げるのだとか、話を断ち切ってリズムをつけるのだとか、まあ色々と解釈が出てくる。分からん。
分からんが、倒置法には言外の意味を読ませたり、印象を強くしたりする効果があると言われている。すなわち、さっきの「好きなんだ、君の歌」は、
君のこと自体は好きじゃないという意味をもたせつつ余韻を残してリズムをつくり品格を(略)
君のこと自体は好きじゃない、の一文にびっくりされた方もいるかもしれない。普通はそう取らないだろと。いるんだ。それが。そう取る奴が(私だ)。
どうだ、この倒置法の連打は。
このように、油断するとすぐ倒置しちゃうのだ。これはもう、文章をつくるときの思考の癖に近いのかもしれない。
いちおう自作を見直すと、倒置法は比較的、段落の最後にくることが多いようである。そして、倒置体言止め法(技っぽくてカッコイイ)は使用頻度が少なく、体言止め単体だと戦闘シーンや自問自答に多用されている。要するにスピード感の調整をしている――つもりなのだろう。
うん。分からん。
実はこれを機に創作しているときの思考を言語化しようと思っていたのだが、技術的な部分はもうホント勘で書いているとしか言いようがない。
たとえば、長文。長文。長文。短文。長文。長文。短文。長文。短文。とか、そういう法則性でもあれば、なんちゃら理論とか名前をでっち上げられるのに。
こういうとき気が利かないのが、私の創作である。
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