第6話


 中毒症状というのは結局のところ快楽からくることがほとんどだ。

 快楽でなかったとしても、欲望が満たされた際に起こる快感が原因だと思う。


 想像を超える気持ち良さに思考が破壊され、正しい判断を行うことができずに、ただ本能に従い快楽を求めてしまう。


 それを止める理性というものは回数を重ねる度に機能を失い、いつしか自分の中から消えていく。


 自分が何かに対してそうなるなんて考えたことはなかった。

 それが愚かなことだと理解していたし、だからこそ自分を抑えることができるという自信もあった。


 そう。

 あった。

 確かにあったのだ。


「……あ、んっ」


 快楽を前にした時、人は愚かで無力だ。

 あの日、俺は宮崎紗弥加と体を重ねた。抱き合い慰め合う歪な関係から、さらに歪んだ関係へと変化したのだ。


 寂しいから。

 その理由で呼び出されることは今でもある。だけど、今はそれだけではない。


 毎週金曜日。

 宮崎の母親が帰ってこないといわれる週末のその日、俺と宮崎は決まって体を重ねている。


 それはただ、快楽を求めて。

 理性も自制心も何もかもを脱ぎ捨て、ただお互いを求め合う獣と化している。


 最初はぎこちなかった行為も回数を重ねる度に慣れ、新たな発見と共に変化していく。


 もう一度、重ね重ね言っておく。

 俺達は恋人ではない。


 ただの、友達だ。


 俺は確かに変わった。

 あの時持っていた葛藤は、今は跡形もなく消えている。体を重ねることに抵抗はなく、宮崎が俺を求めてくれていることが嬉しくてたまらない。


 俺自身、彼女を欲しくなることが幾度となくある。だけど、俺から誘うことはない。

 誘いたいという気持ちはあるが、断られたらどうしようという不安がまだどこかにあるからだ。


 彼女に拒まれることを、俺は今最も恐れている。


 とはいえ。

 俺が誘わずとも、最近では金曜日になると行為に及ぶということ二人の共通認識となっている。

 最初の頃はメッセージで示し合わせていたが、今では一緒に帰りそのまま彼女の家に上がる。


 この関係が歪なものであることは分かっている。

 だけど。

 それを理解していたとして、もう後戻りなどできないところまで来てしまっている。


 俺よりも変わったのは宮崎の方だ。


 俺が疲れ果て、布団で横になっていると彼女は俺の腰辺りに手を当ててくる。

 この行動が何を意味し、この後どうしてくるのかはもう知っている。何度も同じようなことをされているから。


「ねえ、中野……」


 宮崎は物欲しそうに俺を見上げる。


「分かったよ」


 性行為の快楽に溺れたのは宮崎の方だ。

 寂しさを紛らわせる為に行っていた行為は、いやもっと言えば好きな人のために処女を捨てようとした行為は、いつしかただ性欲を満たすためのものになっていた。


「きて……」


 時間が許される限り、俺達は互いを求め合う。

 そんな日々が、もう随分と続いていた。

 今告白すれば、受け入れてもらえるのではないだろうか、とたまに思う。


 自分で言うのも何だけど、今の俺は宮崎にとって必要な存在のはずだ。性欲を満たすために不可欠なものであるはずなのだ。

 ならば……。


 俺が最も恐れていたのは、彼女が俺を必要としなくなることだった。


「はぁ、はぁ……今日はもう終わりだな」


 疲れ果てた俺は肩で息をしながらそう言った。すると宮崎は残念そうに表情を曇らせる。


「もう終わり?」


「もう終わりって……もう四回はやってるぞ。普通なら十分過ぎる回数だよ」


 普通の回数は知らんけど。

 俺がそう言うと、宮崎は少し不服そうに頬を膨らませるがもうどうしようもない。

 俺の体力が尽きたのだ。


「もっと体力つければ?」


「ついた方なんですけど……」


 セックスはスポーツだ、という人の気持ちが分かる。確かにこれはスポーツなのかもしれない。


「……」


 宮崎は部屋の壁を触りながら、何かを言いたげにこちらを見てくる。

 何が言いたいのかはだいたい予想がつく。アパートの一室であるこの部屋の壁は薄い。

 たまに隣の部屋の笑い声が微かに聞こえることがあるくらいには薄い。それを気にして、宮崎は声を我慢している。


 それが不満だったりするんだと思う。

 けど、じゃあどうするんだと言う話なのだが。場所を変えるにも、そう毎度毎度変えていられない。

 必要な場合はお金だってかかるわけだし。


 次やるときまでに、ちょっと考えておくか。

 たまにならホテルに行ってもいいかも。二人で出し合えばそこまで痛い出費にはならないだろうし。

 不満を一つでも持たれて、捨てられてしまったら俺はどうしていいのか分からない。


 目の前にいる彼女を手放したくない一心で、俺は毎日を生きている。宮崎を支えるつもりで隣にいた俺は、いつしか彼女に支えられている。


「あ、そうだ」


 ふと、思い出したように宮崎が声を出した。


「なに?」


「今度連休あるでしょ?」


「ああ。シルバーウィークだっけ」


「うん。そこで旅行に行くことになったの」


「いつものグループ?」


「そう」


 その時、俺の心がちくりと痛む。

 いつものグループということは宮崎の意中の相手である須川健吾がいるということ。

 旅行となれば、何も起こらないとは限らない。


「あのね」


 そして。

 宮崎は何の躊躇いもなく、いつもの調子で言葉を紡ぐ。

 俺が聞きたくなかった、あの一言を。


「その旅行でね、健吾に告白しようと思うんだ」

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