第47話 土筆と厄介なはぐれモノ⑬

 土筆つくしが森の中で地竜と激戦を繰り広げていた頃、スタンビートの進行経路となっているエッヘンの街の外ではユダリルム辺境伯軍による防衛戦が繰り広げられていた。


 今回、ユダリルム辺境伯が選択した戦術は前線に配置した三層の重装歩兵部隊により魔物の群れの勢いをき止め、後方に布陣した遠距離攻撃部隊が魔物の群れを殲滅せんめつするといったものである。


 この戦術では前線の重装歩兵に負担が大きくし掛かり、部隊の規模も大きくなってしまうため費用対効果が低くなってしまうのだが、対スタンビート戦術としては最適な戦術であり、決して誤った選択ではない。

 しかし、当初観測されれいた規模よりも遥かに大きく膨れ上がった魔物の群れは、日を追うごとに前線の重装歩兵部隊を疲弊させ、次第に前線の維持が厳しくなっていくのだった。


「戦況は余りかんばしくないみたいだな」


 ゾッホはユダリルム辺境伯軍陣営の最後方に設営された天幕の中で、冒険者ギルド関係者用にと提供された執務机で事務作業をしながら話し掛ける。


「ああ、そうみたいだな……そろそろ俺達の出番かもな」


 同じ天幕の中でゾッホと向かい合うように置かれた執務机で事務作業を行いながらエッヘン支店の責任者であるザギギが答える。


「ユダリルム辺境伯が俺達に依頼した任務は、防衛ラインを突破してきた魔物達の討伐だからな」


 音を立てながら飛んできた小虫がゾッホのツルツル頭皮にとまると、かさずゾッホの平手打ちが天幕内に軽快な音を響かせながら炸裂する。


「ユダリルム辺境伯のことだから心配はしてないが、一向に勢いが衰えないのが気にはなるな」


 ザギギは音を立てて飛んでいった小虫を目で追った後、ゾッホの頭皮に付いた赤い手形の痕を見て思わず噴き出す。


「まあ、いざとなったらメルの嬢ちゃんが何とかしてくれるさ」


 ゾッホは遠慮なしに笑っているザギギを睨んで不機嫌そうな顔をすると、天幕の奥のに特別に設置されたテーブルにて、一食一軒、全メニュー制覇チャレンジを現在進行形で行っているメルの方に視線を送る。


「うんうん。今日のお店は串焼きが美味しいねっ」


 本来であればゾッホからの招集が入った時点でチャレンジ終了だったのだが、先日の騒動でメルの噂を聞きつけた料理店が、普段は行っていない出前をしてでもメルに挑戦したいと一日三回、わざわざ天幕まで自慢の料理を運んでくれるのだった。


「……」


 ゾッホとメルのちょうど中間地点に執務机が配置されたデリスは、全く緊張感が感じられない天幕の中の雰囲気に若干の苛立いらだちを覚えながらも自身の仕事を進めていると、突然メルが椅子から立ち上がり、クンクンと臭いを嗅ぎ始めるのだった。


「……何か臭う」


 メルの大胆な発言に反応したデリスがゾッホの方を睨む。


「……次からは外でお願いします」


 デリスから突然話を振られたゾッホは訳が分からず戸惑いを見せる。


「はっ? 俺、何かしたか?」

「メルさんが臭がってるじゃないですか」

「ゾッホ、レディーの前だぞ」


 降って湧いたネタにゾッホ達が盛り上がりを見せる中、メルは鼻を鳴らしながら臭いを嗅ぐと天幕の外へ向かい始める。


「おっ、嬢ちゃん。とうとうギブアップか?」


 ゾッホをからかって談笑していたザギギは、メルが天幕の外へ向かうのに気付いて声を掛ける。


「ううん。後から食べるからそのままにしておいてね」


 メルはそう言い残すと、天幕の外へ出ていくのだった。


「嬢ちゃん、どうしたんだ?」


 ザギギが不思議そうにゾッホに尋ねる。


「さあ、花でも摘みに行ったんじゃないか?」


 ゾッホはザギギからの質問に対して真面目に答えるのだが、デリスはゾッホの言葉に反応するとため息を吐く。


「……ゾッホさん、最低です」


 ザギギはゾッホの面食らった表情を見て満足そうに笑むと、席を立って天幕の外へ向かう。


「おいっ、俺も連れてけ」


 デリスの小言口撃を回避したいゾッホは、デリスと二人っきりになるのを阻止するためにザギギを追って天幕の外に出るのだった……



 天幕を出た所で立ち止まって何かを見つめているザギギの肩に手を置いたゾッホは、どうしたのかと尋ねる。


「あれ、嬢ちゃんじゃないか?」


 ザギギが指差す先にメルの姿があったのだが、次の瞬間、メルが二人の視界から消える。


「ん? 何処行った?」

「あれじゃないか?」


 ザギギが再度指差した場所はエッヘンの街を囲む外壁の笠石かさいしの部分であり、メルは十メートル以上ある高さを助走もなく飛び上がっていたのだった。

 常識から完全に逸脱した出来事に言葉を失ったままで立ち尽くす二人の視線の先でメルがもう一度跳躍すると、今度は見張り塔の屋根の上に着地する。


「猫人族って皆ああなのか?」


 見張り塔の屋根に立つメルを眺めたままザギギがゾッホに尋ねる。


「さあ、一つ言えることはメルの嬢ちゃんは普通じゃなねえってことだな」


 ゾッホの返事に言い返す言葉を見つけることができなかったザギギは、そのまま暫くの間ゾッホの横でメルを眺めているのだった……



 見張り塔の屋根の上に着地したメルは、何処からか微かに漂ってくるその臭いの正体を探ろうと、つま先立ちをして鼻先が高くなるようにあごを上げ背筋を伸ばすと、全神経を鼻に集中して臭いを嗅ぐ。


「くんくん……これ何の臭いだっけ?」


 先日岩トカゲを狩りに向かう途中、エッヘン北の森で嗅いだ臭いと同じだと言うことは理解できているのだが、それが何の臭いだったかは記憶にもやがかかったように思い出せないのだった。


「うん、思い出せないなー」


 本能的にメルの存在意義に関わる重要な何かであるのは間違いないのだが、深いもやがその正体を包み隠す。


「んーんーんー……」


 メルにしては非常に珍しく、臭いの正体について深々と考え込み始めると、普段全く使われていない脳は直ぐにオーバーヒートを引き起こし、その際に発生した知恵熱によりメルの頭がくらくらする。

 発生した知恵熱が幸いしたのか、深いもやに包まれて見えなかった何かの影が、メルの発熱に同調して断片的に見え隠れするのだった。

 

「あーーっ、思い出したー」


 メルが臭いの正体を思い出した瞬間、メルの体から神力が溢れ出し、メルを聖白な天使の翼を失った天使の姿に変形させるのだった。


「よいしょっと……アルトレイさまの気配を発見です」


 聖白な翼を失った天使の姿に変形したメルの前の空間が割れ、その中から幼い面影をした天使の子供が顔を出す。


「やっぱり、アルトレイさまだ」


 幼い面影をした天使の子供は空間の割れ目から出ると、右手に持った杖を一振りして空間の割れ目を閉じる。


「ミュルンですか」


 アルトレイと呼ばれたメルは、メルの時とはまるで人が変わったように落ち着いた口調で名前を呼ぶと、毅然とした態度で臭いの元となっている東の森の奥を見据える。


「はーい、愛しのミュルンですよーと。でもアルトレイさま、あれは探している悪魔ではないですよ?」


 ミュルンと呼ばれた幼い面影をした天使の子供はメルの言葉に対して嬉しそうに返事をすると、メルが探し求めている呪いをかけた悪魔ではない事を報告する。


「構いません。後か先か、それだけの話です……遅れないように」


 メルはそうミュルンに告げると、自身の足下に神力による足場を作り、力強く跳躍する。


「はーい。鋭意努力えいいどりょくしまーす」


 ミュルンは片手を挙げてそう言うと、自身の背中に生えている小柄な天使の翼を広げてメルの後を追うのだった……

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