Ⅲ-Ⅴ.

 宴の明るさが遠い夢のように思われる。

 明かりの落とされた夜の回廊をルドルフはモノの手を引いて走った。警備の兵士が慌ただしく行き来する中、どうっと一瞬空気が膨張して、周囲がだいだい色に明るくなる。すぐにしぼむように暗くなった回廊から見える中庭を超えた先の城壁の、さらに向こう側が赤く光っていた。

 内側の城壁を突破されかかっているようだ。この爆発が魔法によるものだとすれば、敵側に相当な使い手がいる。

 しかし通常、集団戦闘で魔法使いを効果的に用いようとする場合、彼らが集中して魔法を扱えるように守護するための前衛や護衛の部隊が必要となる。先日ソニアが語ったとおり、魔力の制御の精度はそのまま魔法の効果に影響するからだ。

 敵の規模は皆目わからないが、王都の内にそれほど大勢の敵兵が潜めるとは考えにくい。


 つい、いつもの癖で敵側の規模をはかりかけたところで、ルドルフは異邦からの客人に過ぎぬ自分が首謀者の推理などするだけ無駄だと思い直した。


 自分がここに呼ばれたのは旧友であるエデルの依頼。その依頼の内容は王子を守ること。ならばこうして王子の元に向かうのは間違いではないはずである。

 侵入してきた敵は騎士団に任せるべきだろう。


 再び轟音と閃光。今度はさっきよりも近く、頬に当たる風に微かに熱が混じっていた。煙の臭いがきつくなる。


――王族の寝所は……この奥か?


 白い大理石の階段を駆け上がり、二階の廊下へと上がる。ここから先にはルドルフも足を踏み入れたことはなかった。

 人気のない廊下が奥へと続くが、ところどころ壁に掛けてある燭台以外に灯りがない。警備の兵士は下に集まっており、敵はまだ入り込んでいないのだろうが、大声で王子の名を呼ぶことは避けたかった。


「す、すみません、ルドルフ……ちょっと……」

 ここまで引きずられるようにして走ってきたモノが、肩で息をしながらやっとそれだけを言い、ぐっと唾を飲み込んでから咳込んだ。旅を続けてきたとはいえ、やはり小さな体に見合った体力しかないようだ。

 彼女が大きく息を吐いて近くの扉に背中を預けた時、杖の先端が扉に当たってゴトンと思いのほか大きな音が響いた。


「ヒッ……!」


 異質な音に、ルドルフとモノは思わず顔を見合わせる。

 モノは自分の肩越しに背後の扉を見て、そろそろと背中を離すと、ルドルフの方へと寄る。彼女が完全に自分の後ろに移動したことを確認し、ルドルフは扉の取っ手に手をかけ、一気に開いた。


 同時に部屋の中から情けない悲鳴が上がる。

「ひゃあああ、こ、殺さないでえ! ア、アタシはただのしがないメイドですう!」


「騒ぐな」


 ルドルフは低い声で端的に言い放つ。

 下手に騒がれて敵をおびき寄せる結果になるのはごめんだ。

 相手は息を止めてぴたりと騒ぐのをやめた。


「とりあえず出てこい。殺しはしない」


 ひゅっと息を吸う音がして、数瞬のためらう気配の後、室内の闇の中から薄暗がりへと小柄な――モノよりも幾分背が高い痩せた人影が、恐恐こわごわといった動きで進み出てきた。


 ひた、ひた、と裸足で大理石を踏む音がする。


 出てきたのは少女であった。城で働く下働きの女性用の灰青色の制服を身に着けている。上下とも七分丈の袖と裾の質素な服だ。来客の前でも働くことがある召使い達と違い、スカート姿ではない。動きやすさだけを重視されているので、後ろで束ねただけの髪を押さえる装飾品の類もなかった。


 しかし、服装よりも、その姿形で目を引くのは、背中に畳まれている蝙蝠こうもりのような大きな羽根だった。


 ウィングローグ――速く飛べるわけでも長距離を飛べるわけでもないが、その飛行能力を活かして、他種族は容易に近付けない深い谷や、流れの険しい海流に囲まれた島などに集落を作る種族だ。


 萎縮した様子のウィングローグの少女は、赤茶色の瞳でルドルフを見上げた。


 乾いた血を思わせる鉄錆てつさび色の髪の毛と瞳、そして浅黒い肌はウィングローグの特徴である。

 その髪と瞳の色、蝙蝠様こうもりようの翼、夜目がくといったことから、昔は「夜になると飛び回り女子供をさらって血を吸う」という偏見が人間達を中心に根強くあったという。


 また、彼らの足は人間とは違い、高所の枝などを掴みやすいように指が長く、それぞれ器用に動かすことができる。それ故に靴を履くという習慣を持たない。


 現在でも、その見た目や習慣の違いからウィングローグをさげすみ嫌う者は多い。しかし実際の彼らは血を吸うどころか肉食自体をあまり好まず、果物を好んで食べるという。


「あ、ルドルフ様……? ルドルフ様ぁ!」


 ウィングローグの少女は目を丸くして、次の瞬間、必死な様子でルドルフにすがりついてきた。正確には縋りつく手前で伸ばした両腕をルドルフに掴まれ、ジタジタと手足をバタつかせていた。


「痛い痛い! あ、ああアタシですよう! こちらに来られた時に騎士団のお部屋を使われるお客人のために色々ご準備に伺いました! あの中のメイドの一人です! お、覚えておられませんか!?」


「ああ」

 武術師範として与えられた住居に入る時、エデルの指示で城の使用人達が掃除や日用品の準備に来ていた。言われてみれば――いたような気もする。


「メイドがこんなところで何をしている」


 尋ねながら腕を解放してやると、少女はルドルフに掴まれていた部分を撫でながら唇をとがらせて、ぼそぼそと説明を始めた。


「アタシ、夜目が利くからってよく先輩達に夜の消灯係を頼まれるんです。お城は大きくて広くてオバケが出るって噂もあるから、よく見えない人間には怖いんだって言われて」


 それは仕事を押し付けられているのだろうと思ったが、ルドルフは黙っていた。


「で、今夜も。そしたら急にバーンって大きい音がして、何か争ってる声もするし、とっさに近くにあった部屋に隠れてたんです」


「……こういう非常時にどうすれば良いのか、他の者から聞かされていなかったのか?」


 ルドルフの言葉が叱責に聞こえたのか、相手はびくっと肩を竦めた。

「アタシ、ここ来たばかりなんです。鈍臭いから、先輩達を怒らせるばっかで、仕事を覚えるのも精一杯で……た、多分、先輩達もアタシにそこまで教える余裕なかったんじゃないかなって。ア、アハハ……」

「…………」

「あ、あのう……一体何が起きてるんですか?」

「敵襲だ。詳細は不明だが、城にはもう入り込まれている」


「て、敵襲!? な、な、何でぇ!?」


 そんなことはこちらが聞きたいくらいだ。


「とにかく、俺達はもう行く。城の構造はきっとお前の方が詳しいだろう。何とかして安全な場所に避難しろ」


 そう言って踵を返しかけたルドルフに、少女が悲鳴をあげる。


「む、無理無理無理無理無理! 敵の中を一人でなんて無理ですよぉ! 死んじゃいます! 一生のお願いですう! アタシも連れてってください!!」


「騒ぐな。こっちもこれから何があるかわからないんだ。ついてくる方が安全とは言い切れん」


「そんなあ! 一人の方が絶対危ないでしょ……ハッ!」


 暗闇の中、少女の赤い瞳がきらりと光った。

 彼女はきりっと眉を上げ、ぎゅっと握り拳を作って、ルドルフを見上げた。


「そ、そんならアタシ道案内します! お城の中はアタシの方が詳しいって、今ルドルフ様もおっしゃいましたよね!」

「道案内?」

「そうです! それにアタシ目が良いし、夜目が利きますから、危険も早く見つけられますよ!」

 ふんっと自信ありげに少女は胸を張った。

「あの、ルドルフ」

 モノが横から呼んだ。

「もしかして、この人なら王子の部屋の場所も知っているのでは」


 ルドルフが答えるより先に少女が耳聡くそれを聞きつけた。


「何々? 王子のお部屋ですか? ええ、ええ、わかりますとも。この建物には何度かお掃除に入ってますから」


「……いいだろう、ついて来い」

 ルドルフが言うと少女は胸の前で手を合わせて喜んだ。

「ああ! ありがとうございますう!」

「この調子の良さで敵を案内されてもかなわんからな……」

「え? 何ですか?」

「何でもない。お前、何か身を守るものは持っているか」


 少女は慌てて自分の服をあちこち探る。


「あの、あの、アタシ戦ったことなくって……あ、これ。く、果物ナイフでしたら」

 そう言って少女がポケットから出した手のひらに、すっぽり収まるサイズの折りたたみ式の果物ナイフがあった。


「……怪我をしないように、それはしまっておけ」

「ハイッ! あ、そうだ。アタシはミリィっていいます。ふつつか者ですがよろしくお願いしますです!」

 ウィングローグの少女はポケットに果物ナイフをしまうと、廊下の奥を指差した。


「こちらです! 参りましょう!」

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