第22話 はじめての
疲れただろうと、路地から大通りに戻り、明るいカフェに入った。若い女性の店員さんたちの「いらっしゃいませ」の声が高く響く。
うわぁ、女の子ばっかり。そう思いながらよく見渡すと、奥まったところで男女連れが静かに会話を楽しんでいた。友達同士、恋人同士、どちらでも落ち着けるようだ。
わたしたちも、外からは影になる壁際に案内してもらった。
女の子たちがアリオを見て、こそこそキャーキャー言っている。
うん、かっこいいよね。大人の魅力もあるし。
彼女たちの声にも、アリオは全然反応しない。外面はクールなのよね。
「甘いものはどうだ? ここはリンゴのケーキが有名らしい」
さっきのクールさはどこに行ったのか、微笑みが眩しい。
まだお腹は空いていないけれども、食べたい。
「食べたいです」
アリオは、リンゴのケーキを一つとクッキーの盛り合わせ、紅茶を二つ頼んでくれた。
アリオの前にクッキーの盛り合わせのお皿。わたしの前に、リンゴのケーキ。
「美味しそうだね」
一口頬張って頬が蕩けたわたし。アリオがリンゴのケーキと私を交互に見ている。
これは言わないとダメなパターン?
「あの、一口食べますか?」
「うん」
すごくいい笑顔。
あれ? カッコいい大人の男はどこにいった?
そして、アリオは口をぱかりと開けた。
ひぇ、もしかしてこれは、恋人同士でよくすると噂の「あーん」待ち。あーんですよ、あーん。
あの、アリオ、あーんは難易度が高くありませんか。
心の中でどんなに批判しても、アリオには届かない。アリオは口を開けたまま、期待した目がわたしを見ている。
わたしは両眼をぐっとつぶって、フォークを握りしめて覚悟を決めた。
アリオとわたしは恋人同士。これもいつか通る道よ。
わたしはフォークでケーキを掬って、アリオの口に近づけた。
アリオが、フォークをパクりと咥える。フォークを引くと、ケーキがなくなったフォークだけが唇から戻ってくる。アリオの口がもぐもぐと動く。
「うん、美味しいね」
満足そうな顔だ。
「イシルももっと食べて」
促されて、わたしはぱくぱくとケーキを口に入れた。
「焦らなくていいよ」
アリオが苦笑いしている。そしてまだ残っているケーキに視線を落とした。そしてわたしを見つめた瞳は、またしても語っていた。
『もう一回、あーんして欲しい』
わからないふりをしたい。けれども、アリオの瞳がキラキラと期待に輝いている。
わたしは今度は大きめにケーキを掬って、フォークを差し出した。
アリオの唇が、ぱくりとフォークを咥える。唇からフォークが離れたときに微笑む色っぽさよ。
前言撤回です。大人の色気、ダダ漏れです。耐えられません。
そしてアリオがまだケーキを咀嚼している間に、わたしは残りのケーキを口に入れてしまった。
これであーん攻撃はもうできない。
と思ったのに、アリオが余裕の笑みを浮かべている。彼の手元には、クッキーが。
アリオは大きめのクッキーを一枚とり、二つに割って、その半分を私の口元に持ってきた。
「イシルもね、あーん」
いやぁぁぁん、まだ終わってなかった。逆あーん攻撃、きた。しかも、こっちの方が強力。
頬を熱くしつつ、わたしは視線だけで周りを見回した。
よかった、誰もわたしたちに注目していない。アリオは壁に顔を向けているので、女の子からは見えていない。周りは恋人ふうの人たちばかり。みんな自分たちのことだけだろう。
わたしは、目の前に差し出された、半分に割ったクッキーを見た。アリオに視線を戻すと、彼はわたしににっこりと笑いかけた。
わたしは口を開け、クッキーが中に入った気配を感じて、口を閉じた。
オレンジとバターの香りが鼻に抜ける。噛むとサクサクと音がする。
「美味しい」
「よかった」
アリオは半分の片割れを、食べていた。
ケーキを食べ切ったと思ったら、今度はクッキー。結局全部半分づつにして、あーんとされてしまった。
合間に自分でカップを持って飲む紅茶が、ほっとする。
デートって、こんなに疲れるものだったのだろうか。
* * *
カフェを出てから、わたしとアリオは公園をそぞろ歩きしていた。
公園の真ん中には人口池が作られ、その真ん中に彫刻がいくつか置かれている。その周りを踊るように水が吹き上がっている。池を囲むように置かれたベンチに、わたしたちは座った。
目の前で、日が沈んでいく。低く落ちた日の光が噴水に当たってキラキラと輝いている。
わたしの右に座ったアリオの腿が、わたしにぴったりとくっついている。
どきどきを悟られないように、わたしはいつもと変わらない声を出した。
「きれいですね。噴水、はじめて見ました」
「こんなに大掛かりなものは珍しいらしい」
風に乗ってたまに飛んでくる細かい水滴が、火照った顔を鎮めてくれる。
アリオの右手が、膝の上で軽く組んだわたしの手を覆う。
「イシルとこんなゆっくりとした時間をもてるなんて、幸せだ」
アリオの左手が腰に回された。
「だけど、もっともっとと思ってしまう」
アリオの吐く息が、右の耳をくすぐった。
「待ちきれない」
わたしはひゅぅぅぅと縮こまった。
こんなの、はじめて。
まだ結婚の日取りは決まっていない。聖女になってからわたしもアリオも忙して、やっと一緒に過ごせたのが今日。
待ちきれないと言われても、わたしはどうしたらいいのかわからない。つい体に力が入ってしまう。
ふっとアリオが息を吐いた。
「そろそろ夕べの祈りの時間だ。ここでする?」
アリオは神官の声に戻っていた。
エリア大聖女さまは、夕べの祈りまでに帰ってこなくてもいいと言っていた。だから、ここで祈っても怒らないだろう。神はどこにでもいらっしゃるのだから。
「はい」
ベンチに座ったまま、胸の前で手を合わせる。
奥宮にいるように、それぞれの神さま一柱ずつをイメージし、胸の中で祈祷の言葉を紡ぐ。
噴水で跳ねる水が、日の光でキラキラと輝く。光を浴びたわたしの胸元のネックレスから、さまざまな色の光が溢れ出る。
噴水の広場には、色とりどりの光が踊った。
そこにいる人たちが、噴水を、その周りにきらめく光を見上げて騒いでいる。ニコニコしている様子から、喜んでいるのがわかる。小さな子が、光を掴むように手をあげて追いかけていた。
日が沈んで、光もおさまった。綺麗だと見あげていた人たちも、それぞれの用事を思い出したのか移動を始めた。
「さすが私の聖女。素晴らしい祈りだ」
アリオは、私の頬に口付けた。ひぇっとわたしは叫びそうになったが、口を抑えて我慢した。
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