第44話 水都親子の来訪

 まだまだ寒い時期が続く2月。政木の家に、水都とその父親である汽水が訪れていた。


「すみません、簡単なもてなししかできませんが……」

「いいんだ気にしないでくれ。いきなり訪れた私たちの方が悪いからね」


 汽水の横には制服姿の水都がいる。たぶん前に長良から「一人で来るな」と言われたから、父親を引き連れてきたのだろうと政木は思った。

 律儀に約束を守るあたり、意外と彼女も常識を忘れてはいないのかもしれない。


「それでいきなりどうされたんです?」

「いやあ、世間話をと思ってね。まあ私の方は完全に娘の付き添いなんだが……」


 その水都はといえば、いまだに口を開かないままだ。ソファに置いてあったクッションを抱えて、沈黙を保っている。


「じゃあ水都さん、何かあったのかな?」

「………………」

「う、うーん。何か怒らせちゃいましたかね……?」


 会うのは正月以来だから緊張しているという線もなくはないが、どちらかと言うと彼女はそういうタイプではない気がする。

 初対面の時や2回目に会ったときなんかは堂々としていた。


 喋らなさそうだったので、政木は汽水の方をちらりと見ながら水都の話をしてみる。


「そういえばもうすぐ娘さんも高校卒業ですよね? Vtuberは高校卒業してからとは聞きましたが、大学には通われるんですか?」

「大学は行くつもりみたいだ、既に合格をもらっていてね。こう見えても娘は勉強ができる子だからなんだよ」

「いやいや、すごく賢そうに見えますよ!」


 政木が少し水都を褒めると、水都は嬉しそうにはにかんでいた。

 ただ顔に出てはまずいと思い直したのか、ぶんぶんと頭を振ってまた神妙そうな顔に戻った。


「じゃあ来年からは二足のわらじですか。大変になりますね」

「まあ幸い事務所の方からも仕事のペースは決められてないから、ゆっくりと慣れていければと思っている」

「そうですね」


 高校のうちにVtuberになるという選択をして仕事を受けたのもいいことだが、同時に大学に通うこともいいことだろうと政木は思う。大学でしか学べないことは多く、Vtuberという仕事にも必ずいい影響をもたらしてくれるだろう。


「…………」


 だがさすがに話題が尽きた。そもそも、社長と話したいことはあっても水都がいる前で話すべきかという問題はあるし、逆もある。

 2人が話せる内容の話題もないので、できれば水都から話をしてもらいたいところだが……。


「パパ、そろそろ……」

「ん? ああ、わかった」


 と思っていたところで、水都がようやく口を開いた。といっても父親に対する耳打ちだが。


「どうかしました?」


 政木はそれを不審に思って聞いたのだが、答えは返ってこなかった。


「えーごっほん。あーあー、汐留くん。そういえばもうすぐ、何かイベントがあったような気がするんだが、何か思い出せるかね?」

「イベント、ですか?」

「そうだ。日本ではポピュラーな事柄だったと思うんだが……うーん」


 明らかに演技。しかもとても下手だった。明らかに慣れていない様子が伝わってくる。


 ただ政木は素直なので、そんなことは気にせず考える。イベント、イベント……。


「えーと、昨日が建国記念日でしたっけ」

「そこで祝日を最初に挙げるのはどうなんだ汐留くん……」

「いや、すみません……全然思い浮かばないです」


 政木に頭にあったのは仕事に関わる話だけだった。政木の、というか汽水の会社は祝日は絶対に休まなければいけなかったから、政木はいつも憎らしくカレンダーを見ていたことだけは覚えている。


 だがそれ以外にイベントなんてなかったような……。


「ちょっとパパ。なんとかして」

「あーごっほんごっほん。2月の14日に何かあったような気がするんだがね。2月14日2月14日2月14日……」

「えーと、うーんと……なにか、あったような……」

「お菓子お菓子お菓子お菓子お菓子チョコレートチョコレートチョコレートチョコレートお菓子お菓子お菓子お菓子チョコレートチョコレートチョコレートチョコレート……」

「あ、バレンタインですねっ!」

「ようやく思い出してくれたか…………」


 疲労の汗を額に浮かべる汽水。

 まさか日本人でバレンタインデーが思いつかない人間がいるとは、と政木のことを逆に感心していた。


 しかしさらに。


「それで、そのバレンタインデーが、どうかしましたか?」

「…………」


 思わず汽水と水都は顔を見合わせた。絶句というのが近いのか、諦めというのが近いのか……そんな表情だった。

 対する政木は「はにゃ?」という顔である。


 大きくため息を吐いてから話を始めたのは、ずっと静かにしていた水都の方だった。


「そうだよね……有馬に察しろって言う方がダメなのか…………。はい、これ、ボクから」

「水都さんから?」


 水都がバッグから取り出したのは、赤色の包みをされたプレゼントだった。


「えっと、もしかして……バレンタインのお菓子っていうやつ?」

「そうに決まってるでしょ……。はい、じゃあボク渡したから!」


 立ち上がろうとした水都。だがその前に政木から返事があった。


「ありがとう……! 中見てもいい?」

「だ、だめっ!」

「あっ」


 水都の制止もむなしく、政木は包みを開けてしまう。


 その中にあったのは、バレンタインの時によく話題に上がる高級チョコだった。


「え、こんないいものをもらっていいの……?」

「違う、いいものなんかじゃないよぅ……。ほんとはもっと高いものにしたかったのに」


 たしかに言われてみたら、それこそ1万円とかするようなチョコではない。

 これは政木の感覚がマヒしているだけかもしれないが、今までの水都の言動を思えばささやかなプレゼントという感じだった。


 その疑問に、汽水が答える。


「実はね、そのチョコは娘が自分で稼いで買ったチョコなんだよ。毎日母親の皿洗いとか掃除とかを手伝ったりして、ね。年明けくらいからだったかな。それで結局は2000円くらいしか貯まらなかったんだけどね」

「ちょっと言わないでよパパ!」

「そうだったん、ですか……」


 そう言われると、なぜだか目の前にあるチョコと、そして赤面している女の子のことがすごく愛らしく思えてくる。


「帰る! バカ! 有馬もバカっ!」

「僕もですか……でも、ほんとありがとうございます……!」

「バカバカバカ!」

「あはは。じゃあ私も家でしっかり娘に怒られておくとするよ」


 水都の印象が大きく変わった。そんな出来事だった。


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