第20話 案の定と案の場外

「はあ? 辞めたい? 馬鹿なこと言ってんじゃねえよボケが‼」


 案の定というかなんというか、政木が退職をしたいという旨を課長に伝えると、課長は激怒した。


 朝から始まる課長の罵倒に、いつものことかと周りは無視をしている。


「それでもやりたいことができたので……」

「お前みたいな半端者はんぱものが何やっても上手くいくわけねえだろ! 黙って言われた仕事をやってろ!」


 ちなみに今回は長良の助けはない。

 政木があらかじめ長良には関わらないように言っておいたからだ。


「引き継ぎはちゃんとします。だから辞めさせてください」

「そんなことを気にしてるんじゃないんだよこっちは!」


 相変わらずびりびりと胸に響くような怒声だ。政木もこの声を何回聞いたことだろうか。


 だが政木も引くことができない。政木もここで諦めてしまったら、一生この会社に居続けることになる。そう直感で感じていた。


「お願いします。辞めさせてください」

「だーかーら‼ 頭を下げりゃいい問題じゃねえんだって言ってるだろ‼」


 政木としては課長の怒りが収まるのを待つしかできない。

 全ての怒りを吐き出させるまで、徹底的に言われるしかない。


 長丁場になりそうだ………………そう政木は思っていたのだが。


 思わぬ助け船がやってきた。


「おや、どうしたんだい?」

「き、き、き、汽水きすい社長⁉」


 ニコニコと笑いながらやって来たのは、政木たちの会社の社長だった。


 これには課長も当然ながら、政木も驚いていた。


「社長……どうしてこんなところに」


 政木は社長と面識があった。

 Vtuberを始めるにあたって、直接話す機会があったからだ。


 汽水も政木が話しかけてきたことに笑って返す。


「あはは、社長なんだからオフィスにいてもいいじゃないか」

「そ、そういう意味では……」

「ああ別に深い意味もないよ。たまにこうして社内でのみんなの働きぶりを見たくなるんだよ。そうしたら何やら口論があったようだからね」


 キリっと汽水が目を向けたのは課長の方。


 政木が何かを言う前に、何かを察した課長が先んじて語る。


「こ、この部下がですね。この会社を辞めたいというもんですから、必死に止めていたわけなんですよ。ええ、それで少し熱くなってしまいまして」


 見るからに動揺している課長。


 そして課長からその話を聞いた汽水も驚いた様子を見せる。


汐留しおどめくんはこの会社を辞めたいのかい?」

「……はい」


 社長に言うのは気が引けたが、それでも言うしかない。


 社長は「ふむ……」と顎に手を当てて考え始める。


「君が抜けるのはうちの会社としては痛いが……理由を聞いても?」

「えっと、副業の方で頑張りたいと思いまして……」


 社長にだけ伝わるように言葉を濁す。

 課長の頭にははてなマークが浮かんでいたが、社長には狙い通り伝わったようで「なるほど」と言った。


 それから一言。


「よし。許そう」

「しゃ、社長⁉」


 それに一番驚いたのは課長だった。

 まさか自分たちの会社のおさが、立場が上の自分ではなくてその部下である政木の意見を支持するとは思わなかったのだろう。


「あまり若者のセカンドキャリアを閉ざすのは良くない。それに彼ならどこでもやっていけるだろう」

「あ、ありがとうございます!」


 しかし社長の一言は重く、課長がおいそれといって反論できるものではない。


「それじゃあ社長室まで来てくれ。話したいことが少しあるから」

「はい、わかりました」

「しゃ、社長……」


 呆然とする課長。目からは生気が抜けているようだった。


「じゃあ行こうか」


 社長の後に続く道中で、長良がピースサインを送ってくるのが見えた。






「汐留くんも退社か。寂しくなるねえ」

「すみません……雇ってもらったのに裏切るような真似をしてしまって」


 社長室では2人きりだった。


「いやいや、むしろ辞めてもらって助かったよ」

「…………それは」

「あ、違う違う。汐留くんがいてくれた方が会社としては良かったんだけどね。娘が」

「娘さん?」


 一瞬政木にも動揺が走ったが、汽水が慌てて否定する。


 そして困った様子で話すのだった。


「娘が『配信が少ないのは父さんのせいだよ。父さん嫌い』って言うからねえ……」

「ああ、そういう意味でしたか。というか娘さんも知ってくださってたんですね」

「いつも君の配信を見て喜んでくれている。私としても君には感謝したい」

「いえいえ」


 和やかなムードで話が進む2人。


「でも娘が文句を言うからといって、優秀な社員のクビを切るわけにもいかん。だから君から退職の申し出があってちょうどよかったというわけだ」

「そういうことでしたか……」

「これで娘から毎日のようにお小言こごとを言われなくて済む。あと……もしかしたらパパって呼んでもらえるかも」


 お小言って……と政木は思ったが、社長も娘には勝てないのだと理解することにした。あと後半部分は聞かなかったことにした。


「反抗期の子というのは分からないもんだよ。高校生は特によくわからん」

「な、なるほど……」

「まあそういうわけで1,2か月は働いてもらうことになるとは思うが、引き継ぎをしっかりやってもらえれば問題ない。ちょうど新しく中途で入ってくる人がいるから、人手不足は何とかなると思う」

「ありがとうございます。心配を残さなくていいのは、大変ありがたいです」


 ただ辞めるだけならいつでもできたが、今までできなかったのは長良や同じ課の人間を心配してのことだった。

 それがなくなるのはありがたいことだった。


「じゃああと少しだけ頼むよ。それから配信の方も頑張ってくれ」

「はい! ありがとうございました!」


 ちょっと早い過去形だったが、今までの感謝の思いを政木は言葉に乗せて部屋を去った。


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