第二章
第18話 ジン・クライファング
志藤家の治める土地は、中心を分断するように深い峡谷が出来ていた。この底を流れるのはオース皇国の聖なる湖、ヨルバ湖から繋がる大河の支流だ。
「これは……すごいな」
峡谷となっている場所は、見事なまでに絶壁で、底へ向かうにはかなり苦労をしそうだった。
「サーシャなら対岸まで行けるか?」
「無茶言わないで、支援してもらってギリギリ届くくらいね」
軽いやり取りをして道を進んでいくと、大きな橋と厳めしい外観の屋敷が見えてきた。建築様式は少数民族同盟特有の倭式で、波打つ黒い屋根が特徴的だ。
「あれが志藤家の屋敷だ。とりあえず今日の所は――」
馬車の上でシズが説明している途中、不意に彼女は口を噤んだ。
不思議に思い、俺は彼女の方を見る。
「伏せろっ!」
「っ!?」
驚いたが、無意識に言葉に従っていたのが功を奏した。俺とサーシャが身を屈めるのと、馬車の屋根がひしゃげるような音を立てて消えるのは、ほぼ同時だった。
「なっ、なんだ!?」
「危機一髪……ってところかしら」
状況を把握しようと前方を見ると、二頭の馬が頭部を無くし、力なく崩れ落ちる瞬間だった。
「ん? おかしいな、馬車ごと食ったはずだが」
そして、その前方には一人の男が立っていた。
髪を獣のように伸ばし、鋭い目つきでこちらを見ている。そして、何よりも目立つのは。額に刻まれた赤黒い烙印と、顔半分を覆う牙を模した面頬のようなマスク……
「罪源職!」
俺が叫ぶのと同時に、シズが壊れた馬車から飛び出して、牙マスクの男に切りかかる。黄金色で短めの刀身が男の腕に食い込む。
「なるほど、桐谷の娘が乗っていたか、道理で」
男は刺さっている刀身を気にも留めないようにそう言って、もう片方の腕でシズに殴りかかった。
だが、彼女を身を翻して拳を躱し、倭刀を引き抜いて距離をとった。
「志藤迅……」
「ちがうな、俺はジン・クライファング――DSFの第六烙印、グラトニーだ」
ジンと名乗った男は、口から何かをゴトゴトと吐き出す。それに俺は見覚えがあった。馬車の金具だ。
「ああ、そうそう遺物の一つ、口(ベヒモス)……お前の家から拝借してるぞ」
「言わずとも分かっている。返してもらおう。遺物と、妹の名誉を」
「妹……? ああ、美味かったぞ、なんせ――」
言葉はそこで遮られる。シズが再び話頭を振り抜いたのだ。
「っ……」
今度は腕の途中で止まるような事は無く、肉の裂ける音と共に片腕が宙を舞う。ジンは咄嗟に距離をとったようだが、その傷は明らかに致命傷だった。
「ちっ、会話もしたくないって事かよ……」
男は落下してきた自分の腕をキャッチすると、マスクに近づける。
――ぞぶり、ぐちゃっ
その瞬間、俺は全身に鳥肌が立つのを感じた。切り離された自分の腕を、牙のマスクが不気味に動いて咀嚼し始めたのだ。
「っ……ふう」
ぐちゃぐちゃと咀嚼音を立てて腕を食べ終わると、傷口から徐々に新たな腕が生え始め、元通りになるとジンはその手でマスク――遺物を丁寧に撫でた。
「これが遺物の力だ。飾っておくなんてもったいないだろ?」
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