閑話:アバル帝国帝都ヴァントハイムにて2

 雨の降る路地を抜け、割れた雨どいから滝のように流れ落ちる水を避け、ボロボロに錆びて、頼りなく揺れる鉄骨製の階段を上る。少女の後ろを歩く間、ごろつきから数度睨まれることがあったが、俺が睨むと、彼らは居心地悪そうに目を逸らしていた。


「ここで待っててください。少し時間がかかるかもしれないけど」


 踊り場の中心で待つように言われる。どうやらここから先は誰にも教えていない、少女とその父親だけの道なのだろう。スラムでは珍しくもない。


「……」


 俺は未だに降り続く雨模様の空を眺める。


 あの忌まわしい、左手を失った夜。俺はモニカの氷属性魔法を再生しかけの八咫烏を身代わりにして、冷気を遮断して逃げだした。


 並外れた再生力を持つ八咫烏も、氷属性で細胞一つ一つを破壊されては再生できない。属性の扱いは俺のような新参よりも、ずっと優れていた。


 少女が戻ってくるまで、まだ時間がかかるようだった。俺は手慰みに魔力を練り、右手の上で弱いつむじ風を作ってみる。


 しかしそれは歪な形で、とても渦を巻いているようには感じられない。ニールやモニカは、杖の上で木の葉を綺麗に回していた。彼らはどうも、こんなに難しい事を片手間に行えていたらしい。


 杖……触媒さえも取り上げてあいつと喧嘩別れしたことが、今になってどれだけ酷い事だったか、今になってようやく分かった。


 相手の状況も考えず、思慮さえ欠いて、周囲に当たり散らした結果が強欲者だ。罪源職に堕ちて、左手を失ってようやく、俺は俺の未熟を思い知ったというわけだ。


 いつからこうなったかは、あまりに記憶が曖昧だ。


 あいつがする支援魔法への感謝が薄れ、当然と思うようになり、いつしか攻撃に参加していないという不満になり、役割を押し付けていた。


「ちっ……」


 舌打ちをする。何度も何度も繰り返されたそれは、俺の癖になっている。


 アバル帝国の帝都、ヴァントハイムにまで逃げてきてからは、スラムに身を隠し、乞食と強盗で命をつないでいた。


 炎症が起きれば腕を焼き、いつしか命をつなげなくなれば死ぬ。そんな気持ちで生きてきた。あの時、八咫烏と一緒に氷漬けになっていればどれだけ楽だったか。


 生きる意思はなくとも、身体はどうしても生きたいと願ってしまう。鈍化する感覚も、スライムに焼かれる痛みで再び蘇ってしまう。


 だから、腕が治るのならば治したかった。既に生きる目的など見失ってしまったようなものだが、強欲者としての特性か、身体の奥底にある正体の分からない「渇き」が、俺に生きることを諦めさせてくれない。


「……」

「あの、カインさん。大丈夫だそうです。私について来てください」


 少女が再び顔を出すと、俺は首を少しだけ降って、考えていたことを振り払う。


 彼女が先を促したので、俺は濡れた外套を揺らして、建物の中へと入った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る